春竜さまの料理人

紗久間 馨

王都を離れて東部へ

「お待たせしました」

 わたしは皿に乗せた鶏肉の香草焼きとパンをテーブルに置く。

 目の前に出された料理に心躍らせているのは桜色の髪の少女だ。腰ほどまで伸びた髪は、わたしが濃い緑色のリボンを使って後頭部で纏めた。白く透き通るような肌に薄緑色のシンプルな長袖のワンピースがよく似合う。彼女から贈られた同じワンピースをわたしも着ている。


「ね、ヴェラも早く座って」

 十歳ほどに見える少女はわたしを急かす。本当の年齢は知らないし、知ろうとも思わない。それに意味はないからだ。

「先に食べてていいんですよ?」

「だって、一緒に食べるとおいしい料理がもっとおいしくなるんだもん」

 目を輝かせる少女の言葉が、わたしは嬉しくてたまらない。この少女、いや、少女の姿をした春竜さまのために、わたしはここに住むことに決めたのだから。


 料理人募集の求人に応募しただけなのに、春竜セレーラさまの料理人という重大な役割を担うことになるなんて思っていなかった。






 わたしは少し前まで、ドラヴェール王国の王都・セントラにある、伯父夫妻のレストランで働いていた。王都セントラでは高評価を得ており、貴族や遠方の商人たちがよく訪れる店だ。

 伯父夫妻は七歳で孤児となったわたしを引き取り育ててくれた。その息子であり、わたしにとっては四歳下の従弟もまた料理人として腕を振るっている。

 わたしは恩を返したい一心で店を手伝った。伯父から料理を学び、認めてもらえるほどの腕前に上達した。


 十九歳になったわたしは下流貴族の三男に結婚を申し込まれた。しかし、料理人として生きたかったし、そもそも庶民のわたしが貴族に好意を抱かれる理由が分からない。

「ヴェラ、あなたの美しさに惹かれました。どうかわたしの妻になってください」

 営業中の店内で求婚された。周囲の視線が集まり、緊張と恥ずかしさで逃げたいと思った。

 わたしは自分を美しいと思ったことがない。くるくるとしたクセのある茶色の髪が好きではない。街や店で見る令嬢たちのさらりとした金色の髪が羨ましかった。美しいドレスや装飾品に憧れたこともある。

「わたしは平民ですし、美しくもありません。貴族さまの妻になるのは貴族さまであるべきだと思います」

 人前で申し出を断ったことが彼のプライドに傷をつけてしまったらしく、彼はわたしについての悪い噂を流した。常連客は嘘だと分かってくれたが、客足が遠のき始めた。貴族の力の恐ろしさを知った。


「わたしがここにいることで迷惑をかけたくありません」

 自身の行為の愚かさを後悔し、お世話になった伯父家族から離れることに決めた。

「気にしなくていいのよ。噂なんてすぐに消えてしまうものよ」

「そうだとも。それに俺らが作るうまい料理が恋しくなって、みんな戻ってくるに決まってるさ」

 伯父夫妻はそう言ってくれたが、従弟だけは引き止めようとしなかった。将来的に彼が継ぐ店なのだから仕方ない。このまま閉店してしまう未来をわたしも望んでいない。

「今、東部エスターで料理人を募集してるじゃないですか。だから、そこに行ってみたいと思っています」

 

『急募 料理人 年齢・性別・経歴・身分不問』

 一か月ほど前に東部エスター領主が大々的に出した求人だ。まだ取り下げられていないところをみると、求める人材が見つかっていないのだろう。


 島国であるドラヴェール王国は王都・セントラを中心に、北部・ノルレ、南部・スール、東部・エスター、西部・オスター、と四つの地域に分かれている。それぞれ、北部ノルレ冬竜ネベール南部スール夏竜カルード東部エスター春竜セレーラ西部オスター秋竜フレーダの加護を受けており、王国の豊かさは彼らの力によるものだ。四つの竜の加護が重なる場所に王都セントラがある。

 というのが言い伝えられている王国の話だ。ほとんどの国民は一つの物語として認識している。本当に竜が存在しているだとか、加護を受けているとは思っていない。

 料理人である私にとって、特に農業が盛んな東部エスターは興味深い地域だ。採用されなくてもきっと何か良いきっかけが掴めるに違いない。そう思った。


「わたしが採用されたなら、伯父さんの味が認められたってことになりますよね。そうすれば、このお店もまた賑わうはずです」

 わたしにできることをしたい。だから、この場所を離れる。わたしの決意は固く、揺るがない。

 常連客の中に東部エスターに向かう行商人がいると聞いた伯父が、わたしを馬車に同乗させてもらえるように依頼した。

 乗せてもらえることになったわたしは、トランクに入るだけの荷物をまとめ、翌日に東部エスターへと出発した。伯父家族に深い感謝の言葉を伝えて、必ずいい報告をするという約束を残した。

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