第12話「決断の少女」

 子供たちから、容赦なき石つぶての猛攻撃を浴びせられた日の、翌日のこと。


『ガーネット探偵事務所』のなかで、少女クロエ・ガーネットは、混乱の大声を上げました。


「ない! ない! ブローチがない!」


 そうです。襟に付けていた黄金の羽のブローチが無くなっていたのです。


 クロエは、沈没する船の乗客のようにパニックに陥っています。


 ブローチはどこ!? いったいどこにいったの!?


 頭が水車のようにぐるぐると回っているとき、はっとしました。


 そうだ! 昨日、子供たちに石をぶつけられて転んだときにブローチがゆるんで、どこかで落ちたんだわ!


 クロエは、がっくりと肩を落とします。

 

 ああ……どうしよう……アークエットさんからもらった、大切なブローチなのに……。


 ふらふらと、執務机の椅子に座ります。


 よどんだ目で天井を見上げ、心は絶望のなかにどっぷりと浸かります。


 ……素敵なブローチ……大切なブローチ……。


 長い間、クロエは魂のないカカシよりも力なく、ただただ椅子に小さな背中をあずけていました。


 

 探偵事務所のドアが開きました。ドアチャイムが鳴り、よく知った顔の人物が入ってきました。


 ウィル少年です。


「どうも、クロエさん」


 クロエはかすれた声で返事をします。


「……こんにちは、ウィル……」


 ウィル少年は、ぐったりしたクロエの様子にはお構いなし、といったふうに、接客用のソファに座りました。


「クロエさん、こっちに来てくれないかい」


 クロエは接客テーブルの前の椅子に移動し、弱々しく腰を降ろしました。


「……どうしたの?」


 クロエは、まだ絶望から這いあがれない中で、少年の顔を見ました。


 少年は真剣な顔つきでした。

 

 少年は、ほつれだらけのベストの内ポケットに手を潜り込ませ、何かを取り出しました。それは、じゃりんじゃりんと金属音が鳴る、綿のきんちゃく袋でした。

 少年は、汚れたきんちゃく袋をがしゃりとテーブルの上に置きました。


 クロエは聞きます。


「それは何?」


「ペンス硬貨、15枚だよ。報酬の後金さ」


 ずっと呆然としていたクロエですが、ここで突然目が覚めました。


「どういうこと? 調査は、まだ終わってないわよ」


 ウィル少年の顔は、よりいっそう真剣になります。


「ぼく、昨日、子供たちがクロエさんに罵声を浴びせながら、石を投げているのを見たよ」


 ウィル少年は、じっとクロエの瞳を見つめます。


「あんな辛い目にあってまで、調査してほしくない」


「ウィル、わたしなら平気――」


 少年はクロエの言葉をさえぎりました。


「もう終わりにしよう。あんな嫌な目にあってまで、事件を解決してほしいとは思わない。もう終わりだ。頼むよ」


 なぜだか、クロエは何も言えず、何もできません。


 ウィル少年が立ち上がりました。

 少年は、無理な作り笑いをし、不自然な明るい声をだします。


「じゃ、クロエさん、ぼくはもう行くよ! リトル・ハダムに来ることがあったら、ぼくの家に寄っておくれよ! それじゃ、またそのうちね!」


 少年はクロエに背を向けます。

 ウィルが心のなかでは泣いていることを、クロエはよく分かっていました。

 でも、クロエは口を開くことも、立ち上がってウィルを止めることもできませんでした……。


 少年は、扉をひらいて、出ていきました……。





 クロエ・ガーネットは喫茶店『スリーピング・ダリア』のテーブル席で、憂鬱な湯気をあげるココアをじっと見つめています。

 大好物のココアなのに、今日はぜんぜん美味しそうに見えません。

 少女は、ただただ冷めゆく飲み物の前でじっとしています。


 店主レイノルズさんが、紳士然とした足取りで、少女のところへやってきました。


「座ってもいいかな?」


「ええ、もちろんです。レイノルズさん」


 レイノルズさんは、クロエの向かいの席に、なめらかに座ります。


「今日は、どうしたんだい?」


「聞いてください、レイノルズさん――」


 クロエは全てを話しました。リトル・ハダムでの調査がはじまり……ウィル少年の母親の体調が悪くなり……子供たちに石をぶつけられ……少年から調査の終了を迫られ……。


 レイノルズさんは、クロエが話しているあいだ、瞬き一つもしなかったかのように、真剣に聞いていました。

 話しをすっかり聞き終わったレイノルズさんは言います。


「クロエちゃんは、調査を続けたいと思っているんだね?」


 少女はほんの少しだけ、身を乗り出します。


「わたし、調査を途中で終わらせるのは、嫌いです」


「ふむ……」


 レイノルズさんは考え込むように腕を組みました。

 紳士的な店主は、しばらく静かになります。

 

 やがて、レイノルズさんが口を開きました。


「ひとつ、慎重に考えなければならないことがあるよ」


 クロエは店主の瞳をぎゅっと見つめて言います。


「なんです?」


「もし、調査を続けると、ウィル少年に危害が加わる可能性も、無くはない、ということだよ」






 その晩も、少女はベッドで仰向けになり、湖面のような瞳で天井の木目を見つめていました。

この夜は、木目は長い髪の悲し気な女性に見えました。


……中途半端に終わろうとしている調査……ウィルの身の危険性……。


 クロエは目を閉じます。


……父さんなら、こんなときどうするだろう?

父さんは、調査を途中で投げ出すのが嫌いな人だった……。

でも、人が傷つくのを、何よりも嫌がる人でもあった……。


……父さんなら……父さんなら……。


 クロエは目を開けます。


 父さんがわたしの立場なら、ウィルの身を案じて、捜査を終わりにする。


 そう、もう終わりにしよう。

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