第11話「薄暗い部屋で」
クロエはベッドの上で、糸の切れた操り人形のようにぐったりと横たわり、天井の木目を見つめます。
その夜は、木目は弦の切れたバイオリンに見えました。
少女の心の中では、疑問が湧き水のようにあふれ出ています。
なぜ、手紙の主は自分でサファイアを盗まずに、コートニー氏に盗ませたの? わざわざ共犯者を作るより、自分1人で窃盗を完結させたほうが、リスクは少ないはず。
そして、男はどうして空き家に現れなかった? ただただコートニー氏に宝石を与えて、なんのとくが?
男は貧しいコートニー氏に同情する何者かで、手の込んだ立ち回りをした?
いや、それなら、男が自分でサファイアを盗み出し、コートニー氏の郵便受けかなにかに宝石を放り込んでおけば、いいだけの話……。
クロエの思考は、車輪がゆがんだ自転車のようにあっちへ行き、こっちへ行きをし、少しもまとまりません。
やがて考えは、別な方向へ進んでいきます。
そもそも、コートニー氏がサファイアを盗んだことと、彫像が持ち去られたことは関係があるの?
クロエは頭の中が、くたくたになりました。
あー! もう分かんない! なにが、どうなってるの!?
少女はうつ伏せになり、枕に顔を深くうずめます。
しばらくの間、ただただ深く呼吸をします。
気持ちは、少し落ち着きました。
とりあえず明日は、4番地空き家に行ってみよう……。
4番地空き家は、この村では珍しく、灰色のレンガでできていました。空き家にしてはまだまだ建付けが悪くなっていないドアを開け、誰に気をつかうでもなく、つかつかと中に入り込みました。
家に入るまえから想像はできていたことですが、鼻をつくようなカビの匂いが強いです。とうぜん、照明のひかりはありません。あまり日当たりの良い家ではなく、窓からはうっすらとした外のひかりが入り込むだけです。
以前、ここにどのような人が住んでいたのかはわかりません。部屋の中にある物品は平凡なものばかりです。
革が破れて、綿がぼろぼろとあふれ出ている椅子。脚にびっしりと蜘蛛の巣が張られているテーブル。そしてその上に乗る、やはり蜘蛛の巣だらけのロウソク台。陶製の皿も、調理器具も、鉄の桶も何もない、食器棚。鏡が痛ましいほどに割れている、化粧台。
クロエは、床を見ます。灰色の埃だらけの床には、足跡があります。足跡は人、ひとり分です。
その足跡がコートニー氏のものであることは、考えるまでもありません。
少女は、ゆっくりと慎重に移動します。コートニー氏以外の人物が残した足跡はないか、ということに意識を集中させます。
家の中を、時計回りに進みます。出発地点に戻ったところで、こんどは中央に移動します。
いくら注意して床の上を調べても、そこにあるのは、コートニー氏と自分の足跡だけ……。
ここしばらくの間に、コートニー氏以外の人間が、この空き家に入ったことを物語る痕跡は、皆無でした。
今日は、村にはそう長くいないつもりだったので、馬車の御者には村の入口で待機してもらっています。
いつまでも御者を待たせておくわけにはいきません。
クロエは、なんでもいいから空き家の中に手がかりはないかと、必死で頭を回転させます。
……だめでした……。
行き詰りかけている調査……目の前に現れてくれない手がかり……答えの出ない謎……。
空き家の中の薄暗く冷えた空気に支配されるかのように、クロエの胸の中は、底なしの闇に包まれます。
空き家のそとの道は、人気がなく、寒々しいです。
心の中に深い霧をただよわせるクロエは、街の中央に向かおうと、歩を進ませます。
道の先に、その男はいました。
大工の大男、ドワイトです。
大工ドワイトは、クロエの行く手を阻むように突っ立っています。
大男は汚い歯をむき出して品のない笑みを浮かべ、クロエに言います。
「よう、嬢ちゃんよ。ひとの村で、こそこそすんな、っていう、おれのアドバイスは無視か?」
クロエ・ガーネットの目つきは鋭くなり、ドワイトを睨め付けます。
「あなたのアドバイスを聞き入れて、それが何かわたしの、とくになるの?」
……しまった……。人気のない暗い道……挑発された、腕力の塊のような大男……。
これは、いい状況とは言えないわね……。
ドワイトは眉間にしわを寄せます。
「おれのアドバイスを聞いて、どうとくになるかは知らねえ。だがな、アドバイスを聞かないとどう悪い目に会うかは知っているぜ。教えてやろうか?」
……まずい……。
そこで、ドワイトは下卑た笑い声をあげました。
「ははは! いま、お前さんの生意気な目つきがよ、怯える目に変わったぜ! こいつは愉快だな! いつも強がってるのによ! 猫に追いかけられるネズミの目だぜ、そりゃ! こいつは笑えるな! ははは!」
クロエは何も言わず、ただただ立っています。
道の真ん中に立っていたドワイトが、端へ移動しました。
「さあ、臆病者の嬢ちゃんよ、どこへでも行っていいぜ! また、おっかねぇ目に会いたくなかったらよ、二度とこの村にくんなよ! あー、こりゃけっさくだぜ! はっはっは!」
クロエは、冬の砂のように冷たい目つきで、ドワイトの横を通り過ぎていきます。
大男は、いつまでいつまでも、心底おかしそうに笑っていました。
いま探偵の少女は、村の中心部から出口へ向かう道を、背中をまるめて歩いています。
最初、このリトル・ハダムにきたときは、牧歌的で暖かい村だな、と思いました。
でも、いまはこの村のすべてが、寒々として見えます。
やさしい色だと思っていた家々の外壁は、いまは暗い川の底のような色に見えます。道の敷石は、雨に濡れて朽ちた麦粒に見えます。
少女は、寒秋の雨雲のような表情で、ただただ道を進みます。
道の脇に、3人の女性が立っていました。村の主婦たちでしょう。女性たちは、なにやらひそひそ話をしていました。
主婦のひとりが、クロエの方をちらっとみました。主婦が話すのが聞こえました。
「あれよ、探偵だかっていうのは。あの小娘のせいで、コートニーさんは逮捕されたらしいわよ」
別の女性が言います。
「ひとの村にきてこそこそして、余計なことまでして、本当に迷惑よね」
クロエは、わたしには何も聞こえていない、と自らに言い聞かせます。
村の主婦たちの冷たい視線が、針のように体に突き刺さるのを感じながら、少女は道を進みます。
そのときでした。
足元に、石が飛んできました。石は、自分の後ろから飛んできたものだと、すぐにわかりました。
少女は反射的に振り返ります。
いつかの夜に、小道の入口で、ポーカーをしていた4人の子供たちでした。
こどもたちの顔には、怒りの表情が浮かんでおり、全員が手に、石を握っていました。
ハンチング帽をかぶった少年が、クロエに向かって叫ぶように言いました。
「おまえのせいだ! おまえのせいで、コートニー先生は警察に連れていかれたんだ!」
そう言うと、クロエに向かって思いっきり石を投げました。
勢いよく飛んできた石は、クロエの体を横切りました。
こんどは、ベストを着た少年が、石をうえに大きく掲げながら言います。
「このまま、コートニー先生が戻ってこなかったら、どうしてくれるんだよ!?」
少年は石を力強く投げます。
こんどは、石はクロエの腕に当たりました。
「痛た!」
クロエは、痛みでよろけました。
子供たちは、つぎつぎに石を投げてきます。
「コートニー先生を返せ! このよそ者!」
勢いよく飛んでくる石は、体のあちらこちらにぶつかります。
逃げなきゃ!
クロエが向きを変え、走りだしたときです。痛みでバランスのくずれた足が、飛び出た敷石につまずきました。
クロエは、勢いよく前へ倒れこみます。
全身を、強く地面に打ち付けました。
きゃ!
少女が道端に倒れこんでいる間も、石の雨はやむことがありません。
クロエは、なんとか態勢を立て直そうとしますが、体のあちこちに石がぶつかり、痛みで思うようにうごけません。
「この、卑劣なよそ者! コートニー先生は、今ごろもっとつらい目にあってるんだぞ!」
子供たちは、狂ったように叫んでいます。
探偵の少女は、背中にぶつかる石の痛みを感じながらも、なんとか体を起こして立ち上がります。
「おもいしれ! 厄介者のばか探偵!」
子供たちの一斉攻撃のなか、少女は馬車が待つリトル・ハダム入口をめざして、人生でこれほど必死で走ったことはない、と思えるほど全力で疾走しました。
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