第10話「四日目の瞳」

 まだ、明けのからすも鳴き始めて間もない、早朝のことです。教師コートニー氏の家から、10メートルほどはなれた砂利の道に、クロエ・ガーネットはいます。小さな探偵のすぐ前には、立ち上がったヒグマように背が高く、中世騎士の鎧のように角ばった肩をもつビル・ダグラス警部がいます。クロエは、警部の後ろ姿を見て、思います。


 いつ見ても、頼もしい背中ね。


 ダグラス警部は振り向き、クロエに言います。


「いいかい、クロエ、きみは、わたしの前に出てはいけないよ。つねに、わたしの後ろにいなさい。いいね?」


「でも、コートニー氏は、誰かに危害を加える人には見えませんよ?」


 ダグラス警部は右目を細めて言います。


「昔ね、ある巡査が、年老いた老婆をりんごの窃盗の容疑で、道の行き止まりまで追いつめたんだ。逃げ場を失った老婆はどうしたと思う? 鉛筆1本をポケットから取り出し、それを持って、巡査にとびかかった。そして、相手は老人だと油断していた巡査は、無残にも目玉をえぐられた」


「うげぇ」


「まあ、とにかく、もしきみの身に何かあったら、わたしは天国できみの父さんアンドリューに顔向けができなくなってしまうんだよ。だから、わたしの言うことをきいてくれたまえ」


「わかりました」


「さあ、行こうか」


 ダグラス警部は歩き出し、クロエもその後に続きます。警部は、行進する近衛兵のように律動の整った歩みで前進します。

 警部とクロエは、コートニー氏の家のドアの前で静止します。


 ダグラス警部が、二度、ドアを力強くノックしました。


「コートニーさん、警察の者だ。話がある。開けなさい」


 ふたりは待ちます。


 コートニー氏が出てくる気配はありません。


 クロエは言います。


「家にいない?」


 ダグラス警部が、すばやくクロエの前で人差し指を立てます。


「静かに」


 警部はそういうと、黙ります。ダグラス警部は数十秒の間、獲物を凝視するヒョウよりも静かに、ただただ耳を澄ませて直立していました。やがて、警部は言います。


「いる」


 警部は、ふたたびドアを強く叩きます。


「コートニーさん! いるのは分かっている! でてきなさい!」


 ふたりは、またしばらく待ちます。


 警部がドアのノブに手を伸ばし、それを回しました。


 鍵は掛かっていませんでした。


 警部は、慎重にドアを引きます。


 ドアは徐々に開かれ、警部の巨体の陰から顔をだしていたクロエにも、中の様子が見えてきました。


 女性教師コートニー氏はいました。


 古びた椅子に座って。


 警部とクロエは、ゆっくりとゆっくりと、家の中に入っていきます。


 コートニー氏は、椅子に腰をあずけて、顔をうなだれているだけで、逃げようとするそぶりはまったく見せませんでした。


 やがて、ふたりは、コートニー氏から2〜3メートル離れたところで、立ち止まりました。


 コートニー氏は、姿勢をまったく変えることはありません。やはり、冷たい床を見つめているだけです。教師のからだは、ぶるぶると震えていました。両手で、なにかを包み隠しているようにも見えました。


 コートニー氏は、紙を切るようなかすれた声で言いました。


「……そろそろ……来るころかなとは、思ってました……」


 ダグラス警部が、太く冷静な声で言います。


「では、やはりあなたが彫像を盗んだんだね?」


 コートニー氏は、蜘蛛の巣にひっかかったコオロギのように弱々しい声を出します。


「……いいえ……彫像は盗んでいません……本当です。神に誓います」


 ダグラス警部は、少し強まった口調になります。


「では、あなたは7日の夜、子供たちを追い払ったあと、井戸の広場で何をしていたんだね?」


「わたしは……たしかに、盗みは働きました。でも……わたしが盗んだのは、彫像ではありません……」


 警部は言います。


「それならいったい、何を盗んだのかね?」


 教師コートニー氏は、消え入りそうな声で言います。


「わたしが盗んだのは……これです……」


 そういうと、さきほどまでずっと閉じられていた両手を広げました。


 手のひらに乗っていたのは、ふたつの丸い透明のガラスでした。


 警部はコートニー氏に近づくと、ゆるりとそのガラス玉のひとつを取り上げました。


「これは、なんだね?」


 コートニー氏は言います。


「それは……彫像の目です」


 警部は、親指と人差し指に挟んだ彫像の目を見ながら言います。


「どうして、こんなものを盗んだのかね?」


 コートニー氏は、一瞬なにかをためらうように口を閉ざします。

 少し間があったあと、女性教師は言いました。


「その彫像の目は……サファイアで出来ています」


 ずっと黙っていたクロエが言います。


「サファイア? 彫像の目はガラスよ」


 警部は、窓から差し込む陽の光に透明の瞳を掲げ、まじまじと見つめてから言います。


「いや、これは間違いなくホワイトサファイアだ」


 コートニー氏が小さい声を出します。


「あの……立って動いてもいいですか?」


 警部はコートニー氏のほうに向き直ります。


「かまわん。だが、ゆっくりだぞ」


 コートニー氏は、ゆっくりと立ちあがり、産まれたての子ヤギよりもぎこちなく、部屋の端の方へ移動します。女性教師は机のまえまで行くと、引き出しを開き、何かを取り出しました。

 コートニー氏は、1枚の封筒を手に持ち、ダグラス警部とクロエのところへ戻ります。

 コートニー氏はダグラス警部に封筒を手渡しながら言います。


「7日の早朝、家のドアの下に、この封筒が挟まれていました……。中をご覧ください……」


 警部は、クロエにも封筒の中身が見えるように、腰をさげ、封筒を開いて中身を取り出します。


 1枚の手紙用紙でした。


 クロエは、その用紙に綴られている文字を凝視します。

 用紙には、こう書いてありました。


〝井戸の広場の彫像の目は、サファイアで出来ている。今夜、深夜の3時、それを4番地空き家に持ってこい。おれが20ポンドで買い取ってやる〟


 そのとき、コートニー氏は突然わあっと泣き出し、夕暮れ時のカラスのように大きな声をはりあげました。


「わたし、結核の母の入院費が、もう払えなくなってたんです! 贅沢をしたくて盗んだんじゃないんです! もう、こうするしかなかったんです! どうか、どうか、お目こぼしして頂けませんか!?」


 警部は泣きわめく教師を手で制します。


「そういった話しは、署でゆっくり聞く。それよりもだ、いまここに2つのサファイアがあるということはだ、男に、これを渡さなかったということだな? なぜだね?」


 コートニー氏は、なおも涙を流しながら言います。


「深夜の3時、男にこれを渡すために4番地空き家に行きました。でも、待てども待てども男は現れません……。村の人々が家を出始める時間まで待ちましたが……とうとう男は現れませんでした……」

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