第12話

「最近、綺麗になってません?」

仕事を終えた知美は隣に座る舞衣を見た。

「ネイル可愛いし」

肌になじむピンクのネイル。根元にいくほど白くなりグラデーションになっている。

「そんなことないよ。ただ気分的に」

「スカートだって前は履かなかったのに。メイクだって。髪も染めて、伸ばしてるでしょ?」

眉毛の上で揃えられ、耳に掛けることも出来なかった髪は、肩まで伸びた。

当たり前と言えば当たり前だと思う。

だって、職場には秋吉様がいる。

「ついに結婚ですか?」

「ううん」

「じゃぁ、新しい出会いでもありました?」

「ないない」

舞衣は空笑いをして、首を振った。

「そうですか」

知美はあきらかに納得していない。疑惑を残しつつ、舞衣は席を立った。

机にガツンと足がぶつかる。予想外の大きな音に周りの人が振り向いた。

遠くの木野と目があう。

舞衣の頬が一気に赤くなった。

「大丈夫ですか?」

知美の言葉は耳に入らない。

「先、帰るね」

舞衣は逃げるように会社を出た。

歩きながら、ビルのガラスにうつる自分を一瞥する。

ブラウスと膝より少し下のスカートにトレンチコート。足下はミュールで、手にはほとんど何も入らない小さなバッグを持っている。正直、以前の服の方が何倍も動きやすかった。でも、鏡にうつった自分は実に女らしい。

西西東口を出た正面にある喫茶店〝七夕〟待ち合わせをするときはここを利用することが多くなっている。レンガで作られた壁には蔦の葉が一面に広がり、レトロな雰囲気を醸し出していた。それが意図するものなのか、手入れを怠った結果なのかはわからない。

扉を開けるとカランと鈴の音が鳴り、客人を知らせる。だが、誰も出てこない。

奥行きが広い店内。壁に沿って、4人掛けのテーブル席が5席ずつ設けられている。

中年男の一人客が数人。各自テーブルに座っていた。人の気配はあるものの会話をしている人はいなく、図書館のような静けさだった。時刻は19時をまわったところ。

「いらっしゃい」

濃いサングラスを掛けた無精髭のマスター。オールバックで年齢は不詳。白いYシャツに蝶ネクタイは必須らしく、かならずこの出で立ちだった。

舞衣はやっと出てきたマスターに紅茶を頼み、二階へ上がった。壁に並ぶ5つのテーブル。一階とまったく同じ造りをしている。上に客はいない。舞衣は奥へ進み窓側に座った。

窓から見える風景は長閑だった。小さな改札口の奥には田んぼが見える。人通りも少なく、ターミナル駅と繋がっていることが不思議に思えてならない。

「待ったか?」

突然の声に舞衣の背筋が伸びた。

「全然、待ってないです」

木野が舞衣の対面に腰を下ろす。スーツのネクタイを緩め、頬杖をついた。会社では見られない姿。

「キスしろ」

「えっ」

舞衣の目が不自然に動く。視線があちこちに飛び、急に下された命令に戸惑う。

「あっ…あの…」

なんとなくわかってきた。こうゆう命令は全部本当。私が困っているのを見ながら、加虐心を満たしている。

「来ないですよね?」

「さぁな。俺にわかるわけないだろ」

「来た後とか?」

「駄目に決まってるだろ」

気圧される。絶対的な存在。会話も台詞も降伏したくて堪らなくなる。困りながら言うことを聞く自分も嫌いじゃない。

舞衣は腰をあげ、目の前に座る木野に顔を近づけた。唇が触れる。

「まだ離すなよ」

「でも、来ちゃいます」

「まだだ」

舞衣は木野の裾を掴んだ。階段を上る足音が聞こえる。その音は徐々に近づいてきた。

舞衣の裾を掴む力が強くなる。

「離せ」

刹那的な時間。唇が離れると、すぐにマスターが姿を現した。

「コーヒーと紅茶ね」

テーブルに白いティーカップが置かれた。コーヒーの取っ手は木野に。紅茶は舞衣に向かっている。

舞衣は髪をなおしながら「ありがとうございます」と呟いた。


「秋吉様」

「なんだ?」

「見られましたよね?絶対」

「さぁな」

舞衣は堰を切ったように話し始めた。

「秋吉様は見られてもいい人なんですか?恥ずかしいとか思わないんですか?」

「別に。お前が盛ってるだけだからな」

「えっ?私?」

「違うか?」

違う。

命令だから私は従っているだけ。でも、抑圧されてしまう。

「違くないです…」

語尾が薄れる。

「そうだよな」

「この間…ホテルの玄関、開けてたじゃないですか。本当に誰かが来たらどうしてたんですか?お客さんとか。ホテルの人とか…」

「俺の奴隷ですって紹介してたよ」

「それって、本気でいってます?」

舞衣の顔が引きつる。

「本気だよ」

木野が愉快そうにこたえた。

「嫌なら、やめるか?」

舞衣が言葉を詰まらせる。

「俺の奴隷」

ショックだった。簡単にそんなことを言えちゃうんだと。あからさまにテンションが下がる。

「今、こたえなくちゃ駄目ですか?」

声のトーンも落ちた。

「あぁ」

「酷い…考える時間もくれないんですか?」

「俺が酷いなんて、知ってるだろ」

少し考えて舞衣はこたえた。

「それはあまり思ったことないです。秋吉様は優しいから」

「そうか」と言い木野は鼻を啜った。

「でも、あの…本当のこと言ってもいいですか?」

「あぁ」

「前の…玄関あけられたとき、本当にこの人やばい人だって思って。首締められたときも、本当に苦しくて、死んじゃうんじゃないかと思いました。ここまでハードなの私、ついていけないって。求めてないって」

「やめるか?」

舞衣は首を振った。

「でも…その時はこわくても、思い出すんです。思い出して興奮するんです。また、されたいって思うんです」

木野はコーヒーを一口飲んだ。本音を吐き出す奴隷を見て、相好を崩す。

「俺は嬉しいんだよ。調教しがいのある奴隷に逢えて」

「手、繋ぎたいです」

舞衣は両手を差し出した。

「いや、いい。今日は話があって来たんだ」

「この後、ホテル行かないんですか?」

「行く」

「よかった」

舞衣は満面の笑みを見せた。

「今度、お前を貸し出す予定だから」

突然のことに、頭がフリーズする。こんなワードを現実の世界で話すことに違和感を覚えてしまう。

「貸し出し…ですか?」

繰り返すのが精一杯だ。

「質問にはこたえるよ。お前の不安はないようにしたいし」

正直、興味はある。恋人に言われ、否応なしに他人の相手をさせられるプレイは嫌いじゃない。むしろ大好きだ。動画に限るけど。

「聞きたいことはあるか?」

「秋吉様って、自分のこうゆう性癖を知ってる友達いたんですか?」

「友達というか同期」

「会社の人なんですか!?」

信じられない。

「もし、ばれたらとかこわくないんですか?というか、私にもよく打ち明けてくれましたよね?」

「そいつは、会社入る前から知ってるからな」

「あぁーなるほど」

「お前は、断ってきたら切ればいいだけだからな」

「えっ…」

「派遣なんて、そんなもんだろ」

「そうですけど…結構、ひどいな」

「貸し出す相手。同期の出世頭。人事だから気に入られたら正社員になれるかもしれないぞ。悪くないだろ」

「悪いだろ!」と全否定の言葉が喉まで出かかった。

「これはAVの企画かなんかですか?」

「なんだよ。それ」

木野は軽く吹き出した。

「どこかでカメラ回すとか?」

「悪くないな」

舞衣は「やっぱり」と青ざめた。

木野は前のめりになり、声を潜めた。

「いいか?お前は自分の舌、口、頭の先からつま先まで身体の全てを使って、そいつに奉仕するんだ。そして、奉仕と引き替えに社員になる。お前がどんなAVを見ているのか知らないが、これは間違いなくお前の身におきている話だよ」

舞衣は人差し指で目頭を擦った。

「んー…っと…混乱してます」

「社員になって、もう少しマシな家に住め」

「なんで…?うち、来たことありましたっけ?」

「履歴書見て、グーグルで調べた。名前がコーポ田中の時点で怪しいとは思ってたけどな」

「こわ…」

舞衣は身震いした。両手で身体を抱えこむ。

「派遣だとこんなものだろうとは思った」

舞衣はテーブルに伏せた。ただ、恥ずかしい。

「だから、社員になれ。社員になって、セキュリティのいいところに住め。あれはさすがに心配だ。俺に心配をかけさせるな」

「貸し出しって、秋吉様は近くにいてくれるんですか?」

「いや、そのつもりはな…」

言い終わる前に、舞衣は木野の手をぎゅっと掴んだ。

「居て欲しいです。見てて欲しいです」

自分の新たな癖が開花する。1ランクステージが上になったような気がした。顔も名前も知らない男に犯されながら秋吉様と手を繋いでいる自分。きっと、優しく見守ってくれる。想像するだけで、濡れてくる。

「その人に犯されてるときも、手を握っててくれますか?」

木野は押されるようにこたえた。

「わかった」

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