第三章 烈風いざないて

第26話 潜行と対話

「……目が覚めたかね?『新生の私』」


 ……ここは?目が覚めると、俺は不思議な空間に浮いていました。

 前方にいたのは、やたら露出の多い黒のドレスに身を包んだ……『ノエル』、ですか。

 それに……。 

 

「目が覚めたというのもおかしな話なのだがね。『本来のノエル』よ」


 後方には、見覚えのある男子学生服に身を包んだ、少し幼い『ノエル』がいました。

 物憂げな表情をしているのと、服装のインパクトのお陰で刺さる人にはかなり刺さりそうです。

 いや、これは見た目が『ノエル』の形をしているだけで、本来は違うのでしょうね。

 正体はなんとなくわかります。


 どちらも『俺』なのですから。


「……あなたがたはかつての俺ですか。なんの用で?それとも、これはただの夢ですかね?」


 そう、これはかつての俺です。つまりは、2000年前の『私』と前世となる『オレ』。


「お前に用などない。オレは自分でも気づかぬうちに『新生のオレ』となったが、そこに不満はない。元の生き方より幸せだと思っていたのでな」


「私はお前のやり方が手ぬるいとは思っているが、やはり特段不満はないよ。そのやり方はそのやり方で、実に楽しそうだからね。なので特段用はないね」


 二人には不満はなさそうです。

 ……そりゃあ、どちらも俺なのには変わりないですから、俺が幸せだと感じていれば二人も幸せだと思っていますよね。


「……だけど、それなのに、お前として完全に統合された私たちの意思がこうやって現出している。状況としてはたしかに夢なのだろうが、ここにいる私と『異世界の誰か』は確かに今、完全に意思というものを持っている。二つの魂の合一も、意思がこうやって再び元に戻った理由もわからない」


 ……どちらにも、俺にも理由はわからない、と。

 だけど、それでもわかることもあります。


「これは一時的なもの、なんですよね?」


「おそらくはそうだな。もっとも、擬似的にチカラのようなものは得ているとはいえ、オレにはこんな超常のチカラのことなどマトモにわからぬからなんとも言えんがね」


「『異世界の誰か』の言う通り、私にも確かな事は言えない。だけど、まず間違いないだろう。今後またこんな現象が起こるという可能性は否定できないが、今の私では外のことなんてわからないからね。ひとまずは、これ一度きりだと考えようか」


「……そうですね。では、二人から俺に言っておきたいことなどはありませんか?どちらも己ですからなんとなく察するところはありますが、より深く、『私』や『オレ』として確立している二人ではないと気付けない視点もあると思いますから」


 これは『私』へ向けた言葉というより、『オレ』に向けた言葉ですね。

 魔界統一戦線は頼りになる参謀もいますが、対神々を見据える上では、俺とバアルと陛下のみで策謀を練っているようなものですからね。

 この中である程度以上頭が良いと言えるのは、陛下だけ。

 俺もバアルも頭が良いとは言えません。

 『私』も同じです。


 それでは、神々に出し抜かれてしまうかもしれません。

 やつらはまともに現世に干渉できませんが、それでも何かしら対策できるかもしれませんから。

 でも、『オレ』ならばなにか思いつくのではないか、そう思ったんです。中学生とは言え、間違いなく頭脳は最高クラスでしたから。


「私からは……特に言うことはない。そのままでいいと思うよ。私より上手く運べるようだし、世界もハチャメチャにかき回せるだろう。それでいて、結末としては私がやるよりも良いところに着地できるかもしれない。ならば、すべて託すだけだよ。先程も述べたように、手ぬるいとは思う。だけど、その生ぬるさを心地よく思ってしまったからね。かつての己であるまま、我は我として新生した。こうして再び自我を得た今は、二重の意味でそうだ。楽しいよ。そのまま突っ走るといい」


 そう言って、『私』は優しく微笑みました。

 ……鏡で見慣れているくせに、かなりドキッとしてしまいました。ですが、それ以上に違和感を覚えます。なにか違うような……そこですか。


「それは嬉しい言葉ですね。ですが、なぜあなたは……『トゥティーラ・リャニブル』は、かつてとは被りもしない口調をしているので?目もなんというか、かつてよりもずっと優しいです」


「口調は単にお前と被るからだね」


「己相手とはいえ、『トゥティーラ』が他人に譲るというのは流石に想定外ですよ」


 『トゥティーラ・リャニブル』。かつての俺が名乗っていた名です。

 あの村から覇を唱えんとした時から名乗った名。

『ノエル』としてならば、原作主人公とその仲間に少しほだされていましたが、『トゥティーラ』としてほだされることはついぞありませんでしたから。

 単に名前を変えただけではありますが、少しばかりショックでもあるんです。


「そう、お前が言ったように相手が私だからというのもある。だが、それ以上に変わったんだ。先程も言ったが、お前として新生して生きたことで、本来の私の方にも変化というものがあったらしい。二重の意味で我は我として新生したというのはそういうことだよ」


 ……なるほど。雰囲気が柔らかくなっているのはそういうことですか。

 今でも、気に入らない他人がいたら踏み潰して足台として飛翔するくらいはやるのでしょうが、かつての俺、トゥティーラならば徹底的に踏みつけて己に逆らう気力を失わせることを目的にしていたでしょうから。


「悪くはない気分だ。愛や情など未だに理解はできんが、知識としては知っていたからな。擬似的にそれを体験できるのは悪くなかった。初めて、心の底から愉快な気分になれた気がする。だから、今の私……お前のことは好きだよ」


 なんだかむず痒いですね。己からとはいえ、ここまで純粋に好きだと言われると照れてしまいます。

 自己愛は強いほうだと思いますし、容姿やチカラと言った己の魅力もひけらかしたいと常に思っていますから。

 自己愛(それ)だけで生きていきたくはないし、ちゃんと他人を深く愛したいという気持ちも強いので、表情には出しません。意地ですね。

 ……少しだけでれーっとしてしまった気がします。反省。


「……なぜオレは目の前で、己とノエルの睦言を眺めなければならぬのだ。見た目は良いとは言え同一人物でくっつくなど現実ならば少し気味が悪いし、両者を良く知る身としては見たくもない。そういうことはどこか隅でやってくれないか」


 機嫌悪そうにしながら、『オレ』はそう吐き捨てました。

 

 まあ、気持ちはわからなくもないです。オレはどこまで優れていても『常人』ですからね。

 感性は巨大でもなければ壊れてもいない。ちょっとおかしいというところにとどまります。


「ふふ、私には愛や情がわからないからそういうことではないよ。精神を間借りしているから擬似的に体感していただけ。こうなった今では、感覚のみが残っているだけだ」


「……そうか。ならば良い。それはともかくとして、だ」


『オレ』は自身の精神体を少しだけ見つめた後、不快そうな表情を浮かべました。しかし、少しだけ頰が赤らんでいました。……?


「『俺』はノエルであると同時に、オレでもあるだろう?心に関しては男のままのハズだ。なのに、どうして……ああも己の服装に拘れる。アレでは女装趣味ではないか」


 次に発したのは予想外だった言葉。……しかし、言われてみればそう。

 俺の体は『生まれつき女』ですが、俺の心は『男のまま』のはず。なのに、最初から女物の服を着ることに抵抗なんてありませんでした。アーリデ殿やメタトロン殿、それにバアルを着せ替えることを楽しんでもいますが、それと同等に己を着飾ることを楽しく思っています。楽しさを超える興奮もありました。


 ……これはかなり由々しき自体なのでは?こちらのほうが生きる上で不都合は減りますが、意地というかなんというか、そこらへんが削れるような……。


「たしかに……どうすればよいのでしょうか。男としてはやめたほうがいいような気がしますが、やめないほうが不都合もありません」


 深刻そうに発したその言葉は、次の瞬間……『私』の笑いでかき消されました。


「あはは、ふふふ、ふはははははは……っ!!!! 今の私は己の心が未だに男のままだと思っているようだ。これは傑作だ。気づいてはいたはずなのに、自覚していないのかね」


「……それはどういう?」


「性自認とやらは、あくまで『自認』だろう?己をそうであると定義しているだけで、体は最初から女だ。そして、心の方も最初から女だったんだよ。『今の私』が生まれてすぐのことだから、まだ良くわかっていなかったんだろうね」


「……理屈は通っていますね。認め難いですが、一度そうだと思えば間違いはないように思えます」


『私』が己への頓着が少なすぎたことに加えて、愛すらも知らなかったから。『オレ』が男であり、女性のみが愛の対象だったから。

 そして『俺』も女性のみを愛の対象としています。だからこそ、勘違いしてしまったというわけですか。


 認め難いですね。心底苛つきます。ですが、するりと入ってくる理論でもあります。


 認めましょうか。ここで意地を張っていても意味がありませんから。


 ……ですが、引っかかるところもあります。俺が女であると言われて、確かにそうだと十全の納得とともに返せるわけでもないような……。


 これは……俺はどちらでもないということですかね?いや、違います。どちらでもあるようです。


 男であり、女でもある。体が女だからそちらに引っ張られやすい環境が整っているだけで、思考は完全に女性のそれであるとはいい難い。


「どうした、『俺』よ。反論しなくていいのか?したほうがいいと思うのだが。……いや、頼むからしてくれ」


「別に反論する必要もないんじゃないかね?認めたところで不都合があるわけでもない。さあ、認めていいぞ」


 二人の『俺』から追い込まれます。『オレ』のほうは必死に、『私』のほうは愉快犯として。

 ですが、どちらかが求める言葉を言う必要はありません。あくまでどちらも己であることには代わりはないんですから。

 それに、『俺』として自覚も深めてほしいから。再びこのようなことが起きるかはわかりませんが、深層意識かなにかとしてまだ生き残っていることは確定したわけですしね。

 なので、ここに宣言します。


「俺は男でもあり、女でもあります。なので、その事実を都合良く使い分けるつもりです。そういう場面があったら、協力してくださいね?」


「ほう、そうきたか。心の動きを思い出すと……なるほど、確かにそんな気もしてきた。やはり、お前は『新生の私』として最上の存在だ。私よりも早く気づけるならば、筋が良いと素直に褒められる」


「……気に入らん答えだが、最悪ではないか。許してやろう。ああ、その時は役に立ってやる。オレがオレとしてまともに形を成しているわけではないだろうが、お前の中のオレが力を貸すだろうよ。オレの意思に関わらず勝手にな。なにせ、お前はオレなのだから。自然に振る舞うだけでいい。『ノエル』のほうもそうなのだろう?」


「いや、どうかな?私には己に対する認識が不足していたし……新生の私が『全性』であるのならば、私のあり方は『無性』だろう。そちらは自分でなんとかしてくれよ」


「……ふふ、そうですか。とりあえず、『オレ』の協力は得られるようで良かったです。求めていたものとは違いましたが、己の深奥を少しは理解できた気がします。また、こんな機会があればいいんですけど……」


 徐々に、世界が崩壊していく音がしていました。目覚めた時から気づいていました。

 その音は段々と強くなっていて、今この会話を繰り広げている瞬間には視界的にもわかるくらいに完全な崩壊が近い。


「頭脳は『俺』のものを使っているから、役に立てるかはわからんぞ。もっとも、頭の働きが鈍くなった感覚はないゆえ実際のところはわからんが……あまり期待はするな。自己潜行の手段として使うのが良かろうよ。あるいは、誰にも話したくないけど相談はしたい、そんな事がある時は使えるかもしれんな」


「私は『異世界の誰か』ほど協力的にはなれないと思うけどね。それでも、多少は役に立ってあげよう。気づいたことがあったら、よほど面白い事態になるという確信がない限り教えてあげるよ」


「自分に言うのもなんですけど……ありがとうございます。またいつか、会いましょう」


 そうして、世界は崩壊し……目が覚めると、部屋にはカーテン越しに光が差し込んでいました。

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