第56話 もう二度と

『この親不孝者がァ! 戦争に行こうなんて何考えてんだバカ野郎!』

『父さん、分かってくれよ! 僕は戦いたいんだ! 魔界を守るために戦っている人たちのように、僕も戦いたい!』

『何言ってんだ! だからってどうしてお前が戦うんだ! お前は黙ってこの店でも継げば―――』

『いやだ! 僕は戦いたいんだ! それに父さんは悔しくないの? 近所の奴ら、父さんのことをゴブリンの上位種のホブゴブリンなのに戦おうとしない腰抜けだって!』

『言わせておきゃいいんだよ!』


 ホブゴブリンのヤオジ。

 王都で生まれ育ち、親が開いたレストランを切り盛りしている。

 料理の腕はよいが愛想の悪い強面というのが難点だが、それでも優しく頭のいい息子がフォローすることで、王都でも人気の店となった。

 妻を早くに亡くしたが、息子と二人で何不自由なく生きてきた。

 しかし、そんな仲の良かった二人が大喧嘩をした日があった。

 息子が一般民兵の公募で魔王軍に入ろうとした日のことだった。


『いやだ、僕は戦いたい! それに、腰抜けでもない! このまま安全な王都でヌクヌクと暮らすようなの耐えられないよ!』


 この時代に生きるものとして、戦争に行って命を懸けて戦うのは義務であるという息子と、戦争に行くのは反対だという父で二人の口論は何日も続いた。

 殴り合いにも発展した。

 そして……


『バカ野郎……もう勝手にしろ……死んでも知らねえからよ……バカ息子が』

『父さん……ごめん……でも、僕は……ごめん!』


 最後の最後に父が投げやりに言ったことを最後に、息子は家を飛び出して魔王軍の下へと向かい、そしてあっという間に地上へと旅立つこととなった。

 その旅立ちの日、英雄たちの出陣として王都の民たちによって魔王軍が見送られる中……



『ッ……こんのバカ息子がーーーー!』


『父さん……』


『いいかー、ぜったいに生きて帰るんだぞー! どんなみっともなくてもいい! 駄目になりそうになったら絶対に逃げろ! 逃げて逃げて逃げまくって、必ず帰ってくるんだぞー! 必ず!』


『父さんッ! 分かったよ、父さん!』

 

『約束だぞ! 行ってこい! バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!』


『ああ、約束する! 必ず―――』



 拳を掲げ、力を込めて父の言葉に応えて『約束』した息子は旅立ち……




 それが今生の別れとなった。




 その死は、王都の広場の戦死者リストとして張り出されただけ。




 遺体すら戻ってくることは無かった。




 そしてもう一生帰ってくることはない。




 その瞬間、彼は生きる意味も失い、残ったのは後悔と憎しみだけだった。


「おやっさん!?」

「な、なんで、何でおやっさんが?!」

「危ないわ!」

「殺されるッ!」


 その、ホブゴブリンの男の行動にその場にいた誰もが理解できないでいた。

 この場でもっともエルセを助けるはずのないものが、エルセを死なせないために必死に飛び込んで、最強勇者に飛び掛かったのだ。


「なんだァ、貴様は! ジャマをするなァ!」 

「うるせえ、こいつは俺がぶん殴るんだァ! 勝手に殺すんじゃねえ!」

「なにい?! ッ―――ゴブリンッッ!!??」


 ボーギャックも理解できないでいた。

 クローナや魔王軍の上層部がエルセを受け入れたのは分かっていた。

 しかし、民衆の一人がエルセを助けるために自分に立ち向かってくるなど想像もしなかった。

 圧倒的な力の差のある相手だが、その行動にボーギャックは理解できずに戸惑ってしまった。

 それもそのはずだ。

 同じ魔族の民たちも、魔王軍の兵たちも、そして……


「ぐっ、な、なん、で……オッサン……」


 助けられたエルセが驚いているからだ。


「うるせえ! ああ、クソ……本当に、俺は何やってんだよぉ! でも……」


 いや、そのホブゴブリン本人すらも戸惑っているのかもしれない。

 だが、彼はもう止まらない。

 ボーギャックにしがみつきながら……



――俺も、分からなくもねえ……オッサン……あんたは俺と同じだ



 エルセに言われたことを思い出し、そして……



――ああ、殴れよ……明日もまた来っからよぉ!



 約束が過った。

 息子が戦死し、抜け殻のように腐っていた自分。

 周囲には自分と同じように家族を失った者たちも居て暗く、そうでない者たちもどこか自分たちに気を使っていた。

 そんな中で出会った人間との奇妙な約束。

 その約束が果たされなくなりそうになったとき、気づけば彼は動いていた。

 


「約束したくせに寝ぼけてんじゃねえよ、クソガキ! お前は明日も俺にぶん殴らせてやるって言ってただろうが! そんで帝国にも復讐するって言ってただろうが! こんなところで寝てんじゃねえよぉ!」


「ッ……おっさ……」


「だから、お前は何があっても生きてなきゃダメなんだろうが! 生きて帰ってこないと……生きて!」



 エルセはただただ戸惑うしかなかった。

 これまで、自分の生を誰が望んだ?

 


――この国から出ていけー! 永久追放だ!


――磔にして引きずり回してやれ!


――殺せ! 殺せ!



 同じ人間である故郷の者たちにだってそう言われた。

 だから、魔族からすれば自分たちに対する感情はソレ以上というのは当たり前。

 魔族でありながら自分とジェニを愛してくれ、そして受け入れてくれたクローナだけが特別だと思っていた。

 実際、ヤオジもまたエルセに対して憎しみをぶつけていた。

 それなのに、今のヤオジの目は、本気で「死なせない」という意思と覚悟が滲み出ていた。


「あ……あぁ、だ、めだ……おっさ……やめ―――」


 それは不意に……



――おねがい、いきて……あなたは……テラのたからもの……わたしにとっても――――



 命を懸け、そして最後の最後まで自分とジェニの身を案じ続けたシスを思い出させ……



「汚いゴブリンがぁ、私に触れるでないイイイイ!! ゴブリン、ゴブリン、ゴブリンッッ!」


「――――ガっ」


「あ……」



 そして、ボーギャックが己から引き剝がすように無理やり振るった剣で斬られるヤオジ……青い血が飛び……



「「「「「お……おやっさああああああああああああああん!!!!」」」」」



 その瞬間、民たちが一斉に悲鳴のような声を上げ……


「この世のゴブリンは全て根絶やしにしてくれるぅ!」


 憤怒と殺意に満ちたボーギャック。

 戦いを邪魔されただけでなく、その過去に個人的にゴブリンという種族そのものに激しい憎悪を抱いていたため、今のボーギャックは冷静さを一瞬失った。

 そして、斬り返しにボーギャックが今度はヤオジの首を刎ねようと剣を振り下ろそうとし――――


「や、いやあああ!」

「やめろおおお!」

「おやっさぁぁぁぁん!」


 民たちの制止の声で止まるはずもなく、ボーギャックの剣がヤオジの首に触れそうになった瞬間―――



(今度こそ! もう……もう――――俺たちのために誰かを――――)



 世界の全てがエルセにはスローモーションになり、時すらも、音すらも超越する。

 ボーギャックが、目の前のヤオジを殺すことに一瞬気を取られ、その視界と思考から一瞬だけエルセのことが外れたほんの僅かな隙。

 その隙を―――



――動くこと雷霆の如し



 エルセは逃すことなく……


「……? ……ッ!?」


 次の瞬間、閃光が走る。

 同時に、ボーギャックの身体が意思とは無関係に止まった。

 ヤオジを殺そうとした動きが止まり、自分でも何が起こったか理解できていない様子。

 だが、ソレも一瞬。


「なっ!? なん……わ、私の手!?」


 気づけば、エルセの手刀のが、剣を持っていたボーギャックの右手首を切断していたのだ。


「「「「「ッッッ!!!???」」」」」


 その場にいた魔族も人間も一瞬遅れで何が起こったのかを理解。

 だが、それでも言葉を失ったままである。


 人類最強の勇者が聖剣を持つ手ごと斬り落とされたのである。


 それは本来であれば歴史的な大事件。



「小僧……き、貴様……貴様ぁ! 何をッ!?」



 数多くの傷を負ってきたボーギャックとて、腕を失うなど生涯初めてのこと。

 その揺らぎを、エルセは逃さない。


「時間がねえ……一秒でも早くテメエは死ねぇ!」

「ッ!?」


 ボーギャックの問いに答えることもなく、再び閃光が走る。

 

「ッ、速……ッ!?」


 格好も何も関係なく、ただボーギャックは勢いよく横に飛んだ。

 向かってくる光から逃れるために。

 だが、次の瞬間には自分の頬が深く抉られる傷と稲妻の痛みが全身を駆け抜けた。

 

「ぐっ、なんじゃ、この異次元のスピード……ッ!? み、見えぬッ!」


 回避しきれない攻撃に、ボーギャックは更に混乱。

 エルセの攻撃は止まることなく、怒涛の勢いでボーギャックを刻む。

 

「迅雷烈断!!」


 突進から、切り返して再び突進、そしてまた切り返しての突進。

 ボーギャックはただ身を固めて亀のように丸くなってその猛威を防ごうとするも、エルセの超速スピードからの攻撃は甲冑も鍛え上げられた肉体も容赦なく引き裂いていく。


「エルセ……すごい……」


 痛む傷を抑えながら立ち上がるクローナは、ただ茫然としていた。

 自分の愛する男が、魔族の最強の宿敵を圧倒している姿に。

 それは他の者たちも同じ。

 何よりも、ボーギャック自身も動揺していた。


(なんというスピードと破壊力……こやつこんな力が……急所を防いでも傷が深く……しかも斬り裂かれた個所から体内に雷電が流れ込み……いかん! こんなとっておきを隠し持っていたのか!?)


 全身を刻まれ、血飛沫が舞い上がる中、恥も外聞も捨てて丸まって防御一辺倒になるしかないボーギャックは、その中で耐えながら思考を働かせる。


(落ち着け……今まで出さんかったのは、リスクがあるからじゃ……これほどの技……こ奴もタダではすまぬであろう……制限時間か、反動による肉体の崩壊か……いずれにせよ耐えきれば……しかし……体内に流し込まれた雷電に……防御がこのままでは崩され……)


 エルセの技にはリスクがあるのだろうと見抜いたボーギャック。

 このまま耐えきればエルセは止まって、自分は勝てるはず……そう思いたいところだったが、腕を失った状態と、想像を遥かに上回るエルセの天賦に、ボーギャックは耐えきれなかった。


(ダメだ、仮に耐えきったところで、まだ立ち上がったガウルや敵兵や武装した民衆もおる……魔王すらも……これ以上のダメージはダメじゃ! 一秒でも早くこ奴を始末せねばならぬ!)


 これ以上受け続けてはならない。

 後先のことを考えずに命を投げ出して戦うエルセに対し、ボーギャックは先を考え……


(耐えるのではなく……この状態のまま溜めこみ……溜めこみ……幸い、こ奴もこの超速スピードに慣れておらんのか、攻撃のリズムは一定! 目で追えずとも、タイミングを合わせてカウンターで叩き込んでくれる!)


 防御を固めながら、全身に魔力を徐々に流し、爆発させようとする。

 そして……


「迅雷烈断!」


 その瞬間にボーギャックは動く。

 落ちていた剣を拾い、タイミングを合わせるように姿の見えないエルセを迎え撃つ。


「極・ストラッシュオブジャスティスッ!」


 その瞬間、エルセの手刀とボーギャックの剣が交差した。


「ぐぬっ?!」

「捉えたぞぉお、小僧ッ!」


 目に見えないエルセの動きが止まった。


「ふ、ふはははは、これほどの奥の手を隠し持っていたとはなぁ……誇れ、小僧! 貴様は私がこれまで出会った誰よりも天賦の超人であった!! 強かった……本当に強かった……あと数年あれば、私やテラをも超えた、人類史上最強の勇者になっていたであろう!」


 両者の技が一点でぶつかり合い、閃光飛び散り、空気と稲妻が荒れ狂い、大地に激しい亀裂が走るほどの鍔迫り合い。押し合い。

 しかし、この形に入ればもはや自分に敗北はないと確信したボーギャックは笑みを浮かべ、同時に最大級の賛辞をエルセに贈る……


「嬉しくねえよ、そんなもん!」

「なに!」


 が、エルセはまだ屈しない。



「数年いらねえ! 今この場で、ジェニを、クローナを……そして、俺のために動いてくれた奴らを守り、テメエをぶっ殺せればこの先なんて!!」


「ッ!?」



 その突き出している右腕が、骨が無残に砕け、血も焦げ付くほどに黒く染まり、全身の筋肉が引き裂かれ、しかしそれでも体を前に投げ出して……



「な、なんっ?! バカな―――――――」



 次の瞬間、ボーギャックの剣は砕かれて――――



「ま、待っ―――――!?」



 さらにその次の瞬間、ボーギャックの左胸を鎧ごと……いや……




 エルセの右腕がボーギャックの心臓を貫いていた。




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