第5話

「何をやってるんだ!」


 和樹さんの声が聞こえた。よかった。和樹さんが来てくれたら、きっともう大丈夫。


「和樹さん、助けて! ミィちゃんが……アイちゃんが……!」


 私は和樹さんを振り返って叫ぶ。和樹さんなら、きっとアイちゃんをどうにかしてくれると思った。

 和樹さんの目は私に向けられている。その目には、驚愕と怒りが、ありありと浮かんでいた。


「何をしてるんだ、麗華れいか! ミィから手を離せ!」


 和樹さんが、私の腕を掴む。爪が食い込むほどに強く。


「いたい! 何するの!」


「お前こそ、ミィをどうするつもりだ!」


 私は、我に返る。


 私が掴んでいたのは、アイちゃんではなかった。

 ミィちゃんを両手で強く掴んで、激しく揺さぶっていたんだ。


「きゃあああ!」


 私はあまりに驚いて金切り声をあげた。でも、ミィちゃんのことはしっかりと掴んで落とさなかった。

 ミィちゃんは、口から泡を吹いてぐったりしている。息はあるけど、か細くなっていた。


「いや、いやぁ!」


 わけがわからない。

 さっきまでアイちゃんがここにいて、私はアイちゃんの肩を掴んでて。

 だけど今は誰もいなくなっていて、私はミィちゃんを揺さぶっていた。


 どうしよう。ミィちゃんが死んだらどうしよう!


「行くぞ」


 錯乱気味の私の手を、和樹さんは引っ張る。私はミィちゃんを抱きしめたまま、和樹さんに従って寝室を後にした。

 寝室に残ったのは、アイちゃんそっくりな人形。それはニタリと笑って、私の顔を見上げていた。


 ――――――


 あれから私達は、ミィちゃんを手放してしまった。


 アイちゃんが家に来たあの日。

 私がミィちゃんに暴力をふるってしまったあの日。

 私はミィちゃんを抱え、和樹さんと共に、動物病院の夜間診療に行った。

 検査の結果、ミィちゃんに異常は見当たらなかった。気絶だけで済んで、私達はホットした。


 だけど、あの日からミィちゃんは、私のことを嫌うようになってしまった。

 私の姿を見ると……いや、足音を聞くだけで、私がいない部屋へと一目散に逃げるようになった。

 私がミィちゃんに怖い思いをさせたのだから仕方ない。だけど、あれは絶対に私がやったのではない。


 和樹さんには、アイちゃんが家に来て、ミィちゃんに暴力をふるったんだと説明した。だけど和樹さんは信じてくれず、私の嘘ということで片付けている。


 嘘吐きな私には、ペットを飼う資格は無い。和樹さんはそう言って、私からミィちゃんを取り上げた。

 そして今日、ミィちゃんは、和樹さんのお姉さんの元へと引き取られる。


「ごめん、姉さん。本当なら俺らがちゃんと責任取るべきなんだけど……」


 我が家まで来た、和樹さんのお姉さん。和樹さんはお義姉さんにキャリーケースを渡した。

 キャリーケースの中には、毛を逆立てて威嚇するミィちゃんがいる。私に、唸っているんだ。


「いいのよ。物件の都合なら仕方ないわ」


「うん……ごめん」


 お義姉さんもまた、私達と同様に猫好きで、なおかつ独身だ。ペットにかける時間もお金も十分にあると言っていたから、ミィちゃんを安心して預けることができる。


「時々、写真送るわね」


「うん、ありがとう」


 お義姉さんは立ち上がる。

 私は和樹さんと共に、お義姉さんとミィちゃんを玄関まで見送った。

 相変わらず、ミィちゃんは私に怯えている。泣いてしまいそうで、私は顔をうつむかせた。


「安心して。ちゃんと責任持って育てるから」


 お義姉さんは言う。私は嗚咽をもらしながら。


「お願いします」


 と言うのが精一杯だった。

 そんな私を見かねたのだろう。


 やがて、お義姉さんが玄関を出る。

 和樹さんは深いため息をついて、リビングへと向かった。


 リビングに残った、猫用トイレとキャットタワー。これらはそのうち捨てなければならない。寂しいけど仕方ない。うちは、もう猫を飼わないのだから。


「本当に……麗華れいか、お前……

 いや、いい……」


 和樹さんは、恨めしそうに私を見てくる。

 仕方ない。ミィちゃんを飼ったのは、和樹さんの希望だったからだ。


「子供の代わりに猫を飼おうと言ったのは、俺の方だ。

 麗華れいか、お前本当は納得してなかったんだろう。本当は子供が欲しくて、ミィにあんなことしたんだろう?」


 え?


「和樹さん、何を言ってるの?」


 私は問いかける。

 和樹さんは眉を寄せた。

 何故そんな顔をするの?


「え? いや、だって、俺が原因で子供が作れないの、お前は納得してなかったんだろ? だからあんなこと……」


 そんなことない。私は首を振る。

 ミィちゃんに乱暴してしまったのはアイちゃんのせいだし、何より、子供ができないとか、そんな話をした覚えもない。


「私達には娘がいるのに、そんな話するはずないでしょ?」


 同意を求め、私は

 肩の高さで切り揃えられた黒髪。くりくりとした黒い瞳。そして、ボルドー色のワンピース。

 娘は、愛子は、私を見上げて頷いた。


「ねぇ?」


「変なお父さん」


 愛子はくすくすと愛らしく笑い、人形を抱きしめる。

 愛子のそんな仕草を見ていると、先程まで感じていた悲しみが、嘘のようになくなってしまった。


 和樹さんは、そんな私達を見て青ざめた。


「俺達に、娘はいないだろ?」



 ――――――

『赤坂さんの娘さん』

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赤坂さんの娘さん LeeArgent @LeeArgent

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