Dr.コバヤシ、新居を探す
黒味缶
Dr.コバヤシ、新居を探す
「この物件って、ブレインネットは有線接続しかできないんですか?」
良いなと思った物件に付記された一文。
少々珍しい条件であるそれを見て、私は思わず通話先の不動産業者である堅苦しい敬語口調のイヌイ氏に質問してしまった。
「はい。こちらの物件は20年ほど前にゲームアスリートの方が建てたものでして……当時は無線での脳接続が危険視されていたこともあり、脳接続系統は有線のみとなっています。コバヤシ様は職業的にも、無線で常時接続の方が使い勝手がよろしいでしょうか?」
「営業時間は決めるつもりですが、自営業ですからね。そりゃいつお客さんから相談が来るかもわからない以上、ブレインネットには常時接続していたいですよ」
師匠の下から独立し、新生活に向けての物件探し中。
イヌイ氏とともに様々な物件の間取りを見ていた私は、今となっては時代遅れの通信環境であると注記されている賃貸物件に目を惹かれた。
間取りは個人的には最高。広さも友人を呼べる程度に広い一軒家。
欠点は一世紀ほど昔であれば忌避されたであろう、通信販売で生活の殆どをまかなうことを前提とした田舎である事と、脳接続設備が有線のみというあたり。
「無線接続系を個人で設置する分には問題ないですよね?」
「退去時に原状回復が必要なので、壁や柱に傷をつけない形であれば。実際、過去に借りた方も後付け可能な無線接続系を設置していましたよ」
「やっぱり。役所での手続きが必要で時間がかかっても、無線での常時接続を知ってしまえば有線の時代には戻れませんからね~」
「ええ、長く住むためにこそ無線脳接続機器を用意した方々が殆どでした……ただ」
「ただ?」
「……どうもこの物件、"出る"らしいんですよ。そのせいで、時間をかけて環境を整えたにもかかわらず、すぐに別の場所にうつってしまうんです」
あまりにも真剣な声。今でも無くはないとはいえ、オカルトの舞台が雑多な情報まみれの旧ワールドワイドウェブにうつった現代ではあまりに時代遅れな内容。
そのギャップに、私は惹かれてしまった。
「事故物件とかでは、ないんですよね?」
「ええ。土地は山を切り開いたまっさらな土地で、建てた方も今まで住んだ方も全員健在。数世紀前のいわくの例である水場を埋め立てただとか、過去の史跡を壊したりもしていません。……そもそも切り開いた山というのが林業用の杉山ですので、元から人の手が入っていた土地なんです」
「もうちょっと詳しく聞いていいです?」
私の食いつきに応えようと、イヌイ氏はかつての住人たちが経験したという怪奇現象を教えてくれた。
子供が棒立ちになり壁の一点を見つめ続け、当人に聞いてもそのことを覚えていなかった、とか。寝て起きたら確かに生活を続けてるはずなのに記憶が数日分飛んでいた、とか。一人暮らしのはずなのに生活の痕跡がふえている、とか。
共通して、己の人生が欠けてその分見知らぬ存在が差し込まれているような怪奇現象が起こるらしい。
「明確に何かを見ただとか、海外の怪談のように派手なラップ音でお出迎えだとかはないみたいですが、気色悪いし怪奇現象と言うには十分でしょう?」
「私もなかなか聞かないタイプの怪談ですねー……ここ、内見してみても良いでしょうか?私から見て何か悪いところがあれば指摘もできますよ」
「良いのですか?それなら――」
私は言われるがままの日程で内見の予約を入れて、通話を切った。
そして、来る日に備えて"出る"らしい家のある土地についての情報を収集をはじめたのだった。
――数日後。
私はイヌイ氏と不動産屋のビルでおち合ったのちに、亜光速便を使ってかつて林業で栄えていたという地に訪れた。
開かれた場所が多いはずの山には木々がきちんと生えており、少し遠くの山々は大気に青く霞んで自然を主張する。
「下調べで水資源保護用山林が多いとは出てたけど、思った以上に山林が残っているんですね」
「ええ、実際に来られた方はそこで驚くみたいですね。さあ、ここからは車です。社用車が用意されているのでこちらへどうぞ」
私はイヌイ氏に連れられ、まだ木々の残る山のひとつへと入っていく。亜光速便の駅から新型車で30分ほどの場所に、もしかすると私の住居になるかもしれない物件があった。
納屋つき平屋建て。独身者がすむには広く、家庭を持つことも視野に入れられているであろう物件。
外観は伝統的な日本家屋風。内部は20年前の最新式で、家庭用発電機と有線式脳接続系統機器。そしてその他端末用の有線通信回線ならびに無線ルーターが備え付けられている……今家を建てるならちょっと古臭いが、そこらの格安物件よりは格段に豪華と言った仕様。
「玄関を開けますね。見た目こそガラスの嵌った引き戸ですが、仕組みは小一時間前にわが社のビルで見たのと同じ断熱玄関です。隙間風の心配はありませんよ」
靴を脱ぎ、イヌイ氏が差し出したスリッパに履き替える。そうして案内されたこの家は、間取りから感じる印象と違わず住みやすそうな場所だった。細かいところはまだわからないが、ざっと見た感じでの不具合はない。
数少ない不満点となりうるのが、車がないと出かけるのに不便することと、脳接続が有線であるが故のブレインネットが使える部屋の少なさだろうか。
許可をもらって自身のアカウントで接続を試した結果、有線脳接続機器は今でも通用するレベルのクオリティの物だった。20年前ならこれだけで数百万する最先端の環境だった事だろう。
普段使いでは無線機器を設置するだろうが、趣味でオンライン複数人プレイのゲームをするならこっちの方が今も安定して使いやすそうだ。
「空気も都市部に比べれば良いし、温泉地も近い。腰を据えるにはいい場所ですし、仕事にも集中できそうです」
「でしょう?」
「でも出るんですよね?」
「らしいんですよね……社員が泊まり込んで検証しても何もわからなくて。誰にでも、すぐさま出てくるような再現性があれば"オバケ付き"としてその手の物件がお好きな方にお勧めできたのですけれど」
「……もうちょっと細かく見て行っても?」
「ええ、もちろん」
了解を貰った私は、本業の視点を用いてこの家を観察しだした。
私の職は風水師。古代思想である風水を学び、それに基づく助言を免許皆伝の形で許された者である。
現代における風水は、人の受ける印象の調整に主に運用される。脳で直接仕事や娯楽を行うこの時代、人間の揺らぎやすい精神は直接パフォーマンスに影響する。その精神が受ける負担を軽くするために、印象調整のための風水が活躍するのだ。
そして、独立するだけの知識と直感レベルまで身に着けた風水感覚が告げている。この家に問題はない、と。
「……」
「何か風水的な問題が?」
「……ありません。脳への悪影響、もしくは過剰な好影響で発現するとされる霊現象が起こるような家ではないです。良点も欠点も、常識の範囲に収まりつつ良点の方が多い良い家です」
「霊現象では説明がつかない?!では、これまでの住人が遭遇した怪奇現象はいったい?」
「わかりません。霊現象らしくない以上、物理的な理由があると思うんですが……私は風水師であって探偵ではないので、ここまでが限度ですね」
「そんなぁ……コバヤシさんなら解決できそうだったのに……」
イヌイ氏としてはこの物件の怪奇現象は悩みの種だったのだろう。
それが判明しそうでしない現実に、彼は肩を落としてしまった。
「家自体は風水的に良いものだってわかっただけいいじゃないですか。外の空気でも吸いましょう」
「はい……」
玄関から外に出て、山林の空気を二人して吸う。
イヌイ氏も失望から立ち直ったのか、先ほどより顔色が良くなった。
「……すみません、コバヤシさんに調査してもらった上に、勝手にがっかりするなんて」
「口調も学生時代に戻ってますよ、イヌイ先輩」
「あっ?! お、お恥ずかしい。忘れてください」
「まあいいじゃないですか。こんな山の中で口調が崩れてやいのやいの言う人もいませんって」
「そういうわけにもいきません。仕事中ですから」
「イヌイ先輩は敬語になった以外は変わりませんね、ずっと真面目だ」
私は思わず中学生の頃、イヌイ氏がまだ部活のイヌイ先輩だった頃を思い出す。あの頃はまだ有線脳接続が主流だった。無線の範囲は個人の持つ携帯端末接続までで、目に見えないものでの脳内情報のやり取りはまだ忌避されていた。
それ故に、面白いものの共有は携帯端末の画面を通して行われていた。部活の仲間と休憩時間中、肩を寄せ合って動画を見ていたものだ。
あの頃はネガティブキャンペーンをされていた無線脳接続が今や主流となり、人々は限られた空間なら感情だってアクロバティックな動きをしつつ共有できるようになった。流石に端末系通信ほど範囲は広くないが、それも時代の進歩とともに変わっていくだろう……。
「…………ううん?」
「どうかしましたか?」
「……ちょっと、引っかかることがあって」
「風水的にでしょうか?」
「いえ、もうちょっと別のポイントです……ふむ?時代、時期によるスタンダードの変化……? イヌイ先輩」
「はいっ?!じゃなくて なんでしょうコバヤシ様?」
「この家を建てた方って、どのぐらいまでここに住んでたんですか?」
「家を建てて15年ほど住んでたようです。それ以降は、人が入って出てを繰り返しています」
なるほど。きっと、この事件は見つかるのが遅すぎた。
その後の人々が被害にあっても誰も"そう"とわからなかったのは、きっとそういう事だ。
「イヌイ先輩、近隣の役所に調査依頼を出しましょう。 違法脳接続機器、それも無線脳接続機の調査です」
「えっ?……あああ!なるほど、そっちの方面だったんですね!?」
「まだ確定はしていませんが、怪奇現象の内容もこれなら説明がつきます」
「わかりました!すぐに移動して、調査を依頼しましょう!」
言われた事を理解するまでに少々時間を要したが、イヌイ先輩もこの家で起きていた事態に気づくと力強く頷いてくれた。
私たちは内見した物件に鍵を閉めて車に乗り込み、ナビゲーションシステムを頼って最も近い役所へと向かっていった。
――それから数週間後。イヌイ先輩から連絡があった。
私の導き出した結論は当たっていた。あの家から少々離れた場所に、無線脳接続違法機器が見つかり撤去された。違法機器による利点を受け取るための通信機も付属していたらしいので、犯人の特定も時間の問題だろう。
結局、あの家で起きていた怪奇現象の正体は、初期の無線脳接続が危険視されていた原因である違法接続機器による脳領域ジャックだった。
当時は違法な接続周波を使って無線脳接続に相乗りし、勝手に脳領域を電脳コインのマイニングに使うという犯罪が大層話題だった。
未だに脳接続機器の設定に届けが必要な理由の大半が、他人の脳で勝手にやるマイニングの予防のため……ひいては、ただ無線脳接続機器を設置しただけという言い訳をする犯罪者をとっ捕まえるためという程度には脳接続の歴史に傷を残した手口だ。
「いまだに見つかるとは思っていなかったと、役所の方も唖然としていましたよ」
「でしょうね。10年前にはもう、根絶されてると思われてましたもんね」
有線脳接続と無線脳接続の過渡期、あの家の住民は有線一本で乗り切っていた。
ゲームアスリートという職の性質上、無線よりも有線の安定度と速度感の方が重要だった。違法脳マイニングが問題になっていた時期も調査をすることなく平穏無事に過ごせてしまったが故に、自宅の近くにコッソリ違法機器が埋められてるなんて思いもしなかったのだろう。
そして、その後の住人たちが住む時期になると、違法脳マイニングは身近な脅威ではなくなっていた。このころには住環境による印象操作の重要性が広く知られ、風水師の地位が向上したために"その手の案件"と思われたのも、怪奇現象の本質に気付けなかった原因だろう。
「でもこういう違法機器って、買い取り時に調査するものじゃないんですか?」
「調査は行われていましたが、我々の調査範囲は家の敷地内までだったんです。そもそも権限をもてるのがそこまでですから」
しかしこのような実例が見つかった以上、今後はそうもいかないだろう。
買い取る土地の範囲を広げるなり、役所や近隣住民と協力するなり、今後は不動産屋の物件買い取りの際の違法機器調査の範囲がより広まり、厳しく取り締まられる事になるはずだ。
「ボケたとおもってたら時代遅れの違法機器だった、なんて案件もありそうですね」
「上役は実際にその可能性を考えているみたいですよ。なんでも、妙にボケが早まる老人ホームが系列の中にあるんだとか」
「調査部署は忙しくなりそうですね。ところで、イヌイ先輩?」
「仕事中です。 なんでしょうコバヤシ様」
「内見した物件、契約したいんですけど」
今となっては何の瑕疵もない良物件。
日当たり良好、風水的な問題なし。これを逃す手はなかった。
Dr.コバヤシ、新居を探す 黒味缶 @kuroazikan
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