PEACE OUT

灰崎千尋

peace

 始まりの合図は銃声でなくちゃ。

 一発で仕留められれば上々だけど、アンタ相手にそれができるとはアタシも思ってない。

 だから撃ってすぐに身を隠す。真っ暗な廃工場なんて、おあつらえ向き過ぎて反吐が出そう。ほら、アタシの顔の数ミリ隣をアンタの弾が飛んでいった。


 いつかこうなるんじゃないかと思ってた。

 あの日、アンタが気まぐれを起こした時からずっと。


 あの日アンタは、アタシの横でいびきをかいてたクソ野郎をぶっ殺した。酒も飲んでて、ヤった後で素っ裸だもん、ドアを開いてズドンでおしまい。目を覚ましてたアタシは全部見てた。だからアタシも殺されるんだろうと思ったけど、少しも怖くなかった。あの頃のアタシは、クソ野郎以上に怖いものなんて無かったから。

 アンタはアタシに銃口を向けたけど、ギラついた瞳がちょっと揺れたと思ったら、すぐにその手を下ろした。アタシの首に指の跡がくっきりついてたから? 火傷やアザが見えたから? それとも誰かにもう聞いてた? クソ野郎が実の娘にどんなことしてるかって。

 アンタは銃を持ってない方の手をアタシに伸ばして、だけど引っ込めようとしたのをアタシは掴んだ。


「あの女───母さんは?」

「殺した」


 それが最初の会話。それからはずっと、アンタと一緒。


 あの日、アタシはやっと知ったんだ。

 暴力に勝てるのはもっと大きな暴力なんだって。

 

 アンタもそう思ってたかどうかは知らない。アンタは静かな男だったから。自分のことも喋らないし、アタシのことも聞かないし。だからアンタがいつから、どうしてこういう仕事をしてるのかもアタシは知らない。でも別に気にしない。アンタがアタシのヒーローでコーチってことには変わりないんだから。


 アンタの手を取ったのは、アタシがティーンになったばかりの頃で。虚ろな目をした中年男とアタシみたいなのが二人でいるのは、路上のピエロより目立ってた。だからアタシは気を利かせたつもりで「パパ」って呼んだり、売春婦フッカーのふりをしてみたりしたけど、アンタは「二度とするな」って珍しく怒った風に見えた。だからそれぞれ、一回しか試したことはない。

 だけどアタシ、仕事の邪魔に決まってた。アンタをペド野郎と勘違いしてアタシを狙ってくる商売敵もいた。だからアタシは「アンタの仕事を教えて」って言ったんだ。最初は無視されたけど、「アタシがもう負けないために必要なんだ」って言ったら、少しずつ教えてくれるようになった。

 最初は護身術。といってもハードなやつ。これで人間の急所を叩きこまれた。やっぱりスイートスポットって大事で、初めて人を殺したのはこれがきれいに決まった時だった。脈がないのに小魚みたいに痙攣してる相手を見ながら、アタシも震えてた。アタシはやったんだ、アンタの手をわずらわせずにアタシがやったんだ、アタシはこれに勝ったんだ、って。

 そこからはアンタも、覚悟を決めたんだろうね。こっちから仕掛けるためのやり方だとか、後始末の手配だとか、いつもアンタがやってるやつを教えてくれた。始めは色々ヘマもしたけど、最近は良い相棒だったでしょ。でもアンタはきっと、素直にうなずいちゃくれないって知ってる。


 ねぇ、アンタって本当、哀れな男。

 アタシたちの関係をこんな、安っぽいドラマみたいに終わらせようとしちゃってさ。


 アンタの弾はいつだって正確。

 咄嗟に避けたけど、アタシの左耳が金髪ブロンドと一緒に吹っ飛んだ。熱い。体じゅうの血が沸騰しそうなほど。そう、でも、今なら行ける気がした。さっき銃口のあった位置、その影をつくるガラクタの山へ向かって、音を出すのも構わずアタシの全速力で走り抜ける。銃弾が追ってくる。だけどアンタは動かない。やっぱりそうだ、アタシの弾のどれかがアンタの足を封じたんだ。

 もうすぐアンタにたどり着く。だからって真正面から行ってどうにかなる相手じゃない。それなら。

 アタシは大きく跳び上がってすぐそばの柱の出っ張りに足をかける。それをまた蹴り飛ばして、頭上の錆びついた梁に腕を伸ばす。届いた。その勢いのまま体を振ってくるりと梁の上に登る。そして───

 アタシは上からアンタに組み付いた。

 揉み合って、腕も脚も絡まって、互いの息と血が混じり合う。どっちも殴られたくらいじゃ怯まない。だけどアンタの方が、ここまでに流した血が多かった。だから最終的に組み伏せたのは、アタシ。

 アンタの眉間に銃口を当てると、アンタは抵抗するのを止めた。ついさっきまで瞳を染めていたギラギラの殺意が消える。アンタはふーっと大きく息を吐いて、その目でアタシを見上げた。


「どうしてさっき撃たなかった」


 アンタは顎でくいっと梁を指す。

 アタシはなんとか息を整えてから、とびっきりの笑顔で言ってやる。


「最後くらい、アンタをハグしたかったんだもの」


 アンタはあの日みたいに瞳を揺らして、けれどすぐに瞼を閉じちゃった。


「二度とするな」

「二度目は無いじゃない」

「俺以外の相手にだ」

「アンタにしかしない」


 ほらまた、アンタは何も言えなくなる。アタシに口で勝てたことなんて無いんだから。本気でり合って勝てたのは、今日が初めてだけど。


「他に遺言は無いわけ?」


 アタシが言うと、アンタはゆっくり目を開けた。虚ろなわけでもなく、ギラついてるわけでもなく、アンタがそんな目をできるなんて知らなかった。


「お前はもう、負けない」


 やめてよ、そんな、田舎の牧師みたいな顔。


「お前はもう、誰にも負けない。だから大丈夫だ」


 あーあ。全く、いつだってそう。アタシのほしいものをくれるのはいつだってアンタなんだ。だけどアンタは、アタシの手で終わらせてほしいって言うんだもの。それがこれまでのお礼だってことなら、叶えてあげるしか無いじゃない。

 アタシは体をかがめて、銃口を当てていた眉間にキスをした。撃つのはハートにしといてあげる。


Peace outまたね, Dad」


 そのうちアタシもそっちに行くから。

 

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