十一、ヒーローの休息

 一樹の父は、この世界にあまり干渉しないほうがいいと言ったが、二人はまるで気にせず、革命を起こしまくって歩いた。一樹はアホらしい理由でむだに苦しむ人たちを見るのが我慢できなかったし、桃香は彼が落ちこんで自分を求めてくることに、ぞくぞくする快感を覚えていた。

 だが彼女がいちばんうれしいのは、自己評価が極度に低い一樹が、周りからほめ倒されて自信を持ち、満面の笑顔になるときだった。その輝く太陽のような温かい笑みが好きだった。彼はいつもかっこよくなろうと必死だったが、彼女は彼のカッコなんかどうでもよかった。ただ笑顔だけが欲しかった。彼の微笑みだけが、自分を照らしてくれると思った。それは自分の中の冷たい闇を、やさしく温める光だった。このチルアウトゾーンへ来て、不自由はまったくしていないが、やはり心細かったのである。

 二人だけで、肉親も親戚もいない世界。今は街おこしで収入を得て生活できていても、それにはなんの保証もない。まさか、これでずっとやっていくわけにもいくまい。先の見通しもなく、この先どうなるのか、まるでわからない。心の奥でつのる不安。


 といって、今すぐ元の世界に戻りたいとは思わなかった。

(いつかは、戻らなきゃいけないんだよね……)

 そう思うと、胸がちくと痛くなった。もうしばらく、一樹とここでこうしていたい。あっちへ戻ったら、絶対またきつい現実におびやかされて、もとの暗い一樹に戻ってしまうだろう。

(そうだ、もうそうならないように、ここで完全に立ち直ってもらうんだ)(それはきっと、私にしかできない)

 旅を続けるうち、桃香の中で決意のようなものが生まれていた。



 それがますます強まったのは、ある町を救ったときだった。例によってひどいところで、親が子供をなんらかの形で「利用」することが法律で定められていた(チルアウトゾーンには国家がないので、個々の町が固有の法律を作る)。一樹の母親のように、自分のめぐまれない育ちのせいで子を使い捨てるようになった、などの原因がある家庭というのは、たいてい例外であるが、このム・ルソー・タウンでは、なんとそれが全ての住民に義務づけられ、すでに百年が経過していた。

 しかし、いわゆる「毒親」は、たとえば「子供に自分の夢をたくす」などの、誰でもやるような願望が度をこした結果、それを強制し、子供の精神を破壊し人権を奪う犯罪行為にまで発展することがあるが、この町では別にそういう夢もなにもない場合にまでも、強制的に子供利用を義務づけた。そのため、そのような親でも、とにかくわが子をなんらかの方法で「利用」しなくてはならず、たとえば一日の一定の時間内に子供を椅子がわりにして上に腰かけたり、でかい鉢に植えて部屋のオブジェにして飾っておいたり、あるいは台所でタマネギをむくのに、うしろから子供の両腕をつかんで子にむかせたりという、わけの分からない「利用」の仕方をしていた。子供はもちろん嫌がるが、親は「我慢しなさい、こうしなきゃ罰金だし、それでもしないと逮捕されるんだ」と怒るしかなく、中にはそんなことをしたくないので、泣く泣く子供に謝りながら、彼らをアホ極まりないことに「使って」いる親もいた。

 これらの惨状を見て、我らがヒーロー、芦沢一樹がブチ切れないわけがない。町長に直談判し、「こんなことをしているから、経済から文化から、町のあらゆる面がおとろえて、いまや廃町の危機に陥っているんですよ!」と強く言った。

 だが小太りで丸顔の町長は、ただ眉を下げてのん気に困惑するばかりだった。

「しかし、いったいどうすれば……?」

「『子供利用法』なる悪法を、直ちに廃止すればいいんです!」

「なるほど!」

 とたんに丸顔が輝いた。

「それは気がつかなかった!」


 あとは定石どおり、町中から大感謝されて、特に大人よりも子供たちの大喜びのパレードで送られて終わったが、「子供を使い捨てる」という、まさに一樹にとってピンポイントにド直球なシチュエーションが彼に与えたダメージは大きく、車からホテルに入るのも桃香とボーイの肩を借りて、ようやく部屋まで行けたほどだった。

 ボーイを帰すと、彼は安楽椅子にぐったり沈んだ。久しぶりに見る、死んだようなどんよりした目に、桃香はいささか驚いた。

 実はここへ来る前、意外と町が続いていたせいで、三日連続で鬱状態に陥り、その都度、そこのホテルで赤ちゃんプレイをやって立ち直っていたのだが、そのあいだ、徐々に彼の状態がひどくなっていたのに気づかなかったのである。

(これじゃ、町の人たちのこと言えないわ)

 桃香は、一週間くらいは休みを取らないと、彼の身が持たないと思った。だが、今はとりあえずアレをして、彼の心と体を癒さなくてはならない。

 彼女は例のごとく、胸を広げて彼をうながした。が反応がないので、こっちから寄っていって彼を抱きしめようとした。しかし、彼の目は床のじゅうたんに落ちたまま、微動だにしない。

「一樹……?」

 顔の前でてのひらを振ったが、やはり反応はない。

 彼は、目をひらいたまま気絶していた。


 呼んだ医者は、たんなる気絶だと言ったのでほっとはしたが、桃香は隣のベッドに横になって明かりを消しても、頭にいろいろ浮かんで寝つけなかった。

 ずっと自分が彼の助けになっていると思っていたが、実は負担を増やしていたのではないか。いや、と首をふる。たまたま立て続けにやったからいけないんで、しばらく休めば、またもとどおりの彼に戻るはず。

 そう思ったとき、窓の外で何かの鳥の声がした。とたんにぐっと不安になり、隣の彼の顔を見ようとしたが、向こうを向いている。

 ふと涙があふれた。

(わ、私が泣いてどうすんの……)

 と思ったが、不安は見る見る増して止まらなくなり、布団をまくって後ろから彼の首に腕をまわし、背にしがみついた。

「か、一樹……」

「桃香……?」

 目を覚まし、寝ぼけながら困惑の声を出す。

「ど、どうしたの……?」

「か、一樹、大丈夫なの……?」

 はっと聞き返すと、彼は顔をこっちに向けて目をこすり、あくびしながら言った。

「うん、まだちょっと眠いけど……気分はいいよ」

「よ、良かったああ――!」

 いきなり大声を出してしがみつくので、一樹は驚いて飛び起きた。

「ええっ、どうしたんだよ、いったい?!」


 桃香が離れてベッドの明かりをつけると、彼のきょとんとした顔が、くすんだ色のシーツの上に浮かび上がった。桃香はものすごく嬉しそうな顔を近づけ、また泣きそうになった。

「良かった……だって一樹、気絶しちゃうんだもん。それから、ずーっと……」

「ええっ、何年たってるんだ?」

 驚いて叫ぶので、泣き顔のまま笑い出す桃香。

「そんなにたってないよぉ。夕方に気を失って、いま、夜中だよ」

「なんだぁ」と胸をなでおろす。「いや、SFとかで、そういうの多いからさぁ。目が覚めたら何年後、とか……桃香?」

 伸ばした手で頬を触られ、またきょとんとする。

「でも、本当に良かった……」


 桃香の安堵の顔に、一樹も自然と笑みがこぼれた。

「ごめんな、心配かけて」

「いいよ、一樹は悪くないもん」

 ふと真顔になり、ベッドの下の闇を見つめる。

「……ねえ一樹、しばらくここにいない?」

「ここって、この町に?」

「うん。よそへ行くと、どうせまたロクなとこじゃないんだから、また働くことになっちゃう。それじゃ、一樹の身が持たないよ」

「確かに、ここんとこ続けてたからな……」

 思い出して天井を見る。

「でも俺、わりと高をくくってたんだよ。どんなに鬱になろうが、桃香に甘えれば、すぐに立ち直るんだって。やっぱり甘えすぎだよな、俺」

「ちがうよ、甘えるのが悪いっていうんじゃないの」

 すぐに言い、顔がくもる桃香。

「甘えられるとすごくうれしいけど、それって一樹がダメージ受けたからなわけでしょ。それがあんまり増えると、ええと、その……」と、ちょっと考えて、「ほら、風邪だってさ。いくら薬を飲んでも、重労働しちゃったら、また悪化するじゃん。そういうふうに、体を壊したら、ちゃんと休まないと、なおらないと思うんだよ」

 あくまで例のつもりで言ったのだが、それがいけなかった。


「そうか俺、桃香のこと薬みたいに思ってたんだな……」と、うつむく。「最悪だ」

「ちょ、ちょっと、なんでそうなるの?!」

 あわてる桃香に、彼は暗い声で言った。奈落に落ちるように、気分がずるずると沈んでいく。

「ちょっとほめられたからって、いい気になって。桃香に甘えさえすれば、何でも出来るとかって……まるで道具だ。やっぱり俺は、あの女と同じだ。すぐ桃香を利用しようとして――」

「カズっ!」

 いきなり両手で頬をつかまれ、顔をぐいと向けられる。そっちには、桃香の怒った顔があった。目を丸くする一樹。

「ぼ、ぼぼが……」

「こっち見て。私を見て」と真剣に見つめる。「君が私に、もしひどいことしたんなら、私は君と一緒にいない。よく見て。いまの私が、君のこと嫌がってると思う? 私がどう思ってるか、ちゃんと見て」

 言いつつ頬をぐりぐりこねるので、一樹は戸惑いながら言った。

「ええど……お、おごっでる……」

 とたんに手を離し、苦笑する桃香。自分の頬をさすり、まだ困惑する一樹に、彼女はさとすように言った。

「私ね、カズと一緒にいると、本当に心の底から幸せなの。君に利用されてる、なんてぜんぜん思ってない」

「ほ、本当に……?」

「うん」と、にっこりする。

 とたんに、さめざめと泣きだす一樹。


「またぁ」と彼の顔を胸に引き寄せ、抱きしめる。「甘えんぼうだなぁ、カズは……」

「お、おれ、知らないからさ」としゃくりあげる一樹。「どうすりゃいいのか分からないんだ。どうすれば誰かが幸せになるのか。不幸が来たら、とりあえず耐える。それしか知らないんだ。だから……」

「うん、知ってる」と彼の髪に頬をうずめ、目を閉じる。「これだけは覚えてて。私、カズのこと大好き。本当に好きなの。なにがあったって、この気持ちは変わらない」

「お、俺も、桃香のこと……」

 彼は顔をあげ、驚く桃香を見つめる。どちらも瞳がうるんでいた。宇宙のように深く、互いに吸い込まれそうな目だった。

 顔が近づき、二人は目を閉じて唇が触れた。そしてゆっくりと押しつけた。初めてのキスに、桃香は半ばめまいがいた。

 口が離れると、一樹の温かい微笑があった。

「好きだ。俺、桃香が好きだ」

「カズっ!」


 二人は固く抱き合った。窓の外で、またさっきの鳥が鳴いたが、桃香には、甘いバイオリンの調べに聞こえた。

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