十、オギャりながらアホ町観光

 あのとき。

 俺は、俺でなかった。

 ただ、なにも出来ず桃香になだれ込んだ。それしかなかった。あのときまでの芦沢一樹は死んだ、と思った。


 ところが、桃香という新しい母に抱きついて、泣いて甘え終わったあと、とたんに重苦しい後ろめたさが押し寄せ、元の無感情な男に戻ってしまった。

 確かに桃香は、絶対に誰にも愛されないと信じきっていた自分を受け入れてくれた。しかし、人間がそう簡単に変われるものではない。

(恥ずかしいところを見せちまった……)

 後悔し、それは恐れに変わり、不必要におどおどした。桃香は、あんなにもどんな俺も平気だと言っていたが、きっとどこかで軽蔑はしたはずなのだ。全然しなかったはずがない。女はそういうものだ。としか思えなかった。

 桃香の腕の中で温かいぬくもりに包まれたとき、確かに俺は幸せだった。桃香は俺を大好きだ、とさえ言った。なのに、まだそれが信じられない。

 彼は頭を抱えた。

 こんな自分が嫌だ、本当に嫌だ。桃香が好きな自分を好きになれないなんて、桃香への侮辱である。

 一樹は今までの人生で、一番自分が嫌になった。なんだ、ほとんど何も変わっちゃいない、と思った。桃香が愛してくれるようになった、というふうに、たんに状況が変わっただけで、自分自身は、あくまでダメなままだ。


 だがそれでも、自分を見つめると、明らかに以前とは違ったところがある、とも感じる。今までの重いヨロイを着込むような硬直したぎこちなさから、ほんのわずか解放され、一歩だけ自由になったような気がする。ちょっと前の、東京にいたときより、数倍ほども楽だとさえ思う。もしかしたら、こんなふうにしょっちゅう甘えていたら、もっともっと自由にリラックスして、そのへんを歩いている普通の人ぐらいのレベルにはなれるかもしれない。

 普通の人というのは、自分には悪いところもあるが、同時にいいところもある、という動かぬ事実を、ちゃんとバランスよく把握できる人のことだ。それが出来ず、ただ悪いところしかないんだと決め付け、落ちこんでまわりに迷惑をかけたり、傷つけるのがダメな奴なのだ。いつまでもダメじゃいけないのだ。


 幼い子供みたいに見える桃香の顔。その姿に目が行くたびに、心がほわっとあったかくなって安心する。本当に俺の母親なんじゃないか、などとバカなことを思うが、ぬくもりや、「守られる」という意味での母を知らずに育った自分には、ちょっと優しくされれば、誰でもそう見えてしまうのかもしれない。

 そして、彼にはそんな経験があまりにも少なかった。




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 旅を続けるうち、彼らは恋人同士のような、母子のような、異様な関係になっていった。ふだん、コウモリの翼とトカゲのしっぽを持つラクダのベヘモスに乗って移動しているあいだは、仲のいい兄と妹のような雰囲気だが、一樹が何かで落ち込んで桃香に甘えるときは、一転して母親と息子のようになる。

 彼はときどき、自分たちがなんなのか分からなくなった。恋人だとしても、これで本当に付きあっていると言えるのか。桃香が自分に恋愛感情を持っているのは確実だが、こっちはどうか。彼女のことは好きは好きだが、一緒にいて胸がどきどきするようなところまで行かない。彼女のことが必要なのは確かだ。だが、それは単に依存ではないのか。ただ緊急時とか、何かのおりに甘えたいから付きあっているだけだとしたら、相手を利用していることになる。これじゃ、自分の母親がやっていたことと同じだ。

 そう思い、自己嫌悪がひどくなると、落ちこんで泣いて、結局は、また彼女に甘えることになる。町をいくつも過ぎるうち、なるべく甘えまいと心がけるようにはなったが、それでもなんらかの理由――たとえば昔、親や学校から受けた仕打ちを思い出すようなことがあると、たちまちのうちに鬱状態になり、桃香の平たい胸に飛び込んで、身も世もなく泣いてしまうのだった。そして、桃香はそれを大いに歓迎していた。





 一樹が初めて桃香の胸で泣いた夜、落ち着くと二人は父親の洞くつへ戻った。すっかり冷静になっていた一樹は、父に暴言を吐いたわびをし、父のほうもあやまり、あっさり和解した。だが、その晩は全員がすぐに寝てしまい、積もる話を語りあう親子の会話などは、まったくなかった。翌朝には、二人は出発した。

 父は元の世界に帰る気はなく、したがって帰る方法なども全く探していないので、当然、知らなかった。

「だが――」

 彼は寝る前に、薄暗いランプの明かりの下で言った。

「どうも、この世界と俺たちの世界がつながる場所や、そういう時期があるらしいんだ。あくまでうわさだが、クリーヤからはるか北へ行ったところに、それについてくわしい人間がいるらしい。とりあえず、そいつに聞いてみるしかないな」

 そして出発前には、こうも言った。

「まあ探してみて無駄だったら、いつでもここへ来ていいからな。なんなら三人で暮らそう」

 こんな岩山に住んでいても食うに困らないことは、昨夜に出たごちそうで証明ずみだった。この近くに村があり、父が紙に何か書いて持っていけば、すぐに原稿料を払ってもらえるので、そこの市場でなんでも買えた。ここでは彼は作家として名が通っていた。もらったファンレターをうれしそうに見せる彼の姿を見て、一樹は少し安心した。

 なんだかんだ言っても、父のことは気がかりだった。一時は死ぬほど憎んだ相手で、極度の近親憎悪の対象ではあっても、ここでは唯一の肉親だった。また久々に会って相手が老成しているせいか、子供の頃には感じなかった親しみすらわいた。





 道中、二人は様々な町を過ぎた。それらのどれ一つを取っても、彼らが来る前と来たあとで、町全体が様変わりしないことはなかった。二人は山も緑もはぎ取って更地にする凶暴な台風のごとく、行く町行く町をすっかりひょう変させた。どこも、簡単だが非常に重要なあることに住民がまったく気づかず、バカバカしい苦労を長年続けている病人の巣くつのような場所だった。

 二人は、ただ泊まるだけで、そこに革命を起こした。歌も音楽もない町では、人間の声がメロディを作れることを教え、手でテーブルを叩いてリズムを教えた。また月並みだが、ノコギリの刃を棒で叩いてホワンホワンと音色を奏で、その町に楽器が生まれた。

 すべてのものを生で食べて、死亡率が半端なかった町の人々は、食物を焼いて食えば殺菌になり、体にいいということを覚えた。きっかけは、子供が生肉を食って死にかけるところを一樹が見かけて、激怒したことだった。

 彼は、子供がひどい目にあうのを見るのに耐えられず、そのように幼少の人間に過度な負担を強いて、それを当然だとまるで疑わない大人に対し、殺意に近い怒りを持った。それで行動を起こす彼の後ろ姿を、桃香はうっとりと眺めていた。

 逆に、彼が悲惨な目にあう子供を見て、自分のトラウマを思い出して弱ったときは、彼女の出番である。

「一樹、おいで」

「うわああーん、お母さああーん!」

 十数分後には、桃香は立ち直った彼の勇士をおがめた。


 多くの町で彼は英雄になったが、いつも後ろで付きそっている少女が、どんな役割を果たしているのかを知る者はなかった。赤ちゃんプレイが必要になったときは、いつも付近のホテルなどに飛び込み、隠れてバブバブしていたからである。

 ひどい町になると、夜、部屋でみんな立ったまま寝ていた。一樹が遠慮がちに言う。

「ええと、皆さん、こう、横になって寝たほうが、よく眠れると思いますが……」

 そのしぐさに顔色が変わる住民たち。

「本当だ! 気がつかなかった!」

「ありがとう! あなたは英雄です!」

 あとは大感謝の嵐に、町中パレードの騒ぎである。


 また、ある町では外れに巨大な杉の森があり、毎年二月の半ばから四月いっぱいまで、膨大な花粉が町を覆いつくし、住民の九割が深刻な花粉症だった。一樹たちが訪れたときはまさにまっさい中で、町は白いマスクをした人々があふれ、鼻の炎症で四六時中くしゃみと鼻水に苦しんでいた。二人も軽度だがアレルギーだったので、絶対に悪化するはずだと慌ててマスクをした。鼻炎薬は、あるにはあるがろくに効かないそうで、こんなところはさっさと過ぎるに限るとベヘモスに飛び乗ったが、彼は行く直前に捨てゼリフを吐いた。

「こんな、町中がくしゅんくしゅんじゅるじゅるやりながら必死に仕事したり会話して、なんの意味があるんだ! ぜんぶあの杉の木のせいだろう! あんなもん、みんな切っちまえ!」

 それを、たまたま近くにいた町長が聞き、そのあまりに斬新なアイディアに感動した。

「そうか、その手があったか! 気がつかなかった!」

 こぶしを握り、身を震わせて叫ぶ彼も、マスクを着けていた。

 ただちに森の大部分の杉が切られ、その年から花粉がほとんど飛ばなくなり、住民は町長に大感謝した。

 だが彼は謙きょだった。

「杉を切ることを思いついたのは、私ではありません」

 花粉症消滅記念パレードの際、彼はマイクで言った。

「ここ最近、このチルアウトゾーンで無数の町を転々とし、革命を起こしている英雄がいるという噂があります。私が見たのは、おそらく彼だったのでしょう。花粉を飛ばす杉を切れば、もう花粉が飛ばなくなるという、このまさに革命的発想、コペルニクス的転換により、我々はおぞましい病気から救われたのです。

 このような簡単なことに気づかなかったのも、おそらくは我々の深い絶望のせいです。あまりにもひどい鼻炎に頭をやられ、判断力を失っていたのです。しかし彼が、そんな私たちを絶望のどん底から救ってくれました。皆さん、このまだ見ぬ救世主を、たたえようではありませんか!」

 拍手かっさいの嵐の中、町長はこの町の救い主を必ず探し出す、と市民に約束した。ザパンという名の町の出来事である。




 しかし花粉などはまだ序の口の、すさまじいレベルで最悪の町もあった。ザパンから北へ数キロ行ったところ、海に浮かぶ島にあるヤパンという町では、小中高までの全ての学校で、教師が教室の生徒たちに銃を向けて授業をしていた。この町の子供は反抗的で、おどさないと言うことをきかない、と言うのである。

 しかし子供たちを見ても、そんなに先生に逆らいそうな感じには見えず、むしろおびえている様子だった(銃口が向いているから、あたりまえだが)。二人は今、一階の廊下にいて、視察するように窓から授業風景をのぞき、その隣には教頭がいた。二人は校門前で、肩からライフルやショットガンを下げて入っていく教師たちを見て不審に思い、教育雑誌の記者といつわって潜入したのである。


 げんなりした一樹と桃香が向かいの窓から校庭を見ると、はじで何台もの大砲やミサイル・ランチャーがねらっている中で、大勢の生徒を縄のトラックにそって走らせたり、白線の囲いの中でドッヂボールさせたりして、体育の授業をしていた。

「ごらんください。生徒がふざけたり、授業を妨害でもしたら、即座に吹き飛ばします」

 痩せ型で、いくぶん髪の薄まった五十代前半くらいに見える教頭は、細い目をゆるませ、手ぶりをまじえて得意げに続ける。二人をここまで案内してくれたのも彼である。

「あれさえあれば、彼らもまじめに授業を受けてくれます」

「つ、使ったことあるんですか、あれ……?」

 一樹が恐る恐る指差して聞くと、教頭はニコやかに顔をふった。

「いえいえ、一度もありません。教室でも、いまだかつて生徒を銃撃した教師はおりません。平和なもんです。まあ、どんな札つきの不良でも、命はおしいようでしてね」

 桃香は時おり一樹の顔をチラ見しては、はらはらしていた。こんなんじゃ、彼がいつブチ切れてもおかしくない。実際、一樹は顔色がじん常でなく、足元を見つめてわなわな震えはじめていた。気づかずに続ける教頭。

「これらの装備のおかげで、生徒たちの学力は、飛躍的に伸びました。今では、この地域で一番の進学校です」

「し、島には、中学校は、ここだけなんですか?」

 あわてて桃香が一樹を押しのけるように聞くと、教頭は胸を張って答えた。

「ええ、うちがしっかりしないと、近隣の町に負けてしまいます。近隣といっても、どこも数キロは離れていますが」

 ふと思い出した顔になる。

「そういえば、南のザパンでは、毎年恒例の花粉症がなくなってしまったそうで。あれのおかげで春の間はうちの圧勝だったのに、これからはそうはいきませんな。

 なんでも、杉の木をぜんぶ切り倒させたバカがいたそうです。せっかく杉が原因だと気づかずに苦しんで、勉強どころじゃなくなっていたのに。迷惑なことをする奴がいたものです。

 他人のことなんだし、ほっとけばいいんです。きっと、よほどひまで、何も考えずに生きている完全なアホオにちがいない。どうせ顔も悪いに決まってる。たとえ超絶美形だとしても、きっと中身のないスカスカのマネキンのような、いないも同然の奴でしょうな」

 まずい、これはまずい。一樹は、もう限界だ。さっさとおいとましようと桃香が口をひらきかけたときだった。

「悲惨だ。実に悲惨なことだ……」


 後ろの声に見れば、教頭より小柄で歳の行ってそうな、太めでハゲ頭のおっさんが、目を閉じてつぶやいていた。ドヤドヤしい教頭とは対照的に、眉間に深刻そうなしわを刻んでいる。

「これは校長」

 教頭が頭を下げたので、二人も下げた。校長は目をひらいた。桃香はきれいな目だと思った。

「悲惨だよ、まったく」

「またそれを。悲惨しかおっしゃれないのですか」と教頭。「うちの成績は地域ではトップクラスだし、良いことづくめじゃないですか」

「この状態を、まったく悲惨に思わない君が悲惨だよ、教頭」

 哀れむような目で言う。

「よその町では、生徒をわざわざ脅さんでも、自分から登校して教室に集まり、自主的に勉学にはげんでくれるそうじゃないか。ところが、うちはどうだ。見たまえ、教室の光景を」と、窓の中を指す。「背広の国語の先生が、座る生徒にマグナム44を突きつけ、立たせて教科書を音読させている。ぱっと見、まるで強盗だ。しかも、今やってるのは漱石の『こころ』だよ。著名な芦沢先生が、この世界へ持ち込まれたものだ」

 どう見ても父親のことなので、一樹はまあまあ驚いた。こころなんか持ってきてたのか。しかも別の街で人気が出てるなんて、やるな。しかし、それ以上はとくに気にしなかった。校長が続ける。

「『こころ』を『読まんと殺す』と脅して無理やり読ませるなんて、心のカケラもありゃせんじゃないか」

「校長は、センチメンタルでいけません。……昔はうちも、ふつうに授業をやっていたんですよ」と二人に言う教頭。「ですが一時期、不良が増えて、たいそう荒れましてね。みんなほとほと手を焼いていたとき、一人のそう明な教師が、教室で暴れる生徒にコルトパイソンを向けたのです。……蛇じゃありません、銃の名前です。そのとたん、信じられない奇跡が起きました! あれほど言うことを聞かなかった生徒たちが、大人しく席に着いて、授業を受けだしたのです! それが、ここヤパン第一中学校、武装の始まりでした」

「そうだ。確かに生徒たちはおとなしくなった」と校長。「だが、奴は一番してはならないことをしたのだ。恐怖を使い、上っ面だけ従わせて、彼らの魂は完全に無視だ。これが教育といえるか?」

 一樹を見ると、熱が急速におさまっているようなので、桃香はとりあえずほっとした。

 ところが、すぐぎょっとすることになった。一樹が不意に口をひらいたのである。

「学校なんて、そんなもんじゃないんですか?」

「君は――?」

「あ、雑誌の記者さんたちです」

 教頭があわてて紹介したが、校長は耳に入っていないようだった。けげんきわまる顔で問う。

「そんなもん、とは、どういうことかね」

「僕はよそから来たのですが、うちでは大昔は学校というものはなく、各自の子供が自宅で勉強していたそうです。それがあるとき、いきなり学校という施設が作られ、全ての子供が収容されることになった」

「それは、ここも同じだ。大昔は学校はなく、したい子だけが教会などで学んでいたそうだ。私の生まれる、はるか前の話だが」

「そうです、昔は子供は自由だったし、大人もかなりそうだったはずです。でも人間に自由でいられたら国家にとってつごうが悪いので、教育のための施設を作り、そこへ子供を全員一緒くたにぶちこんで、自由を奪ったわけです。ということは、学校という場所それ自体が、子供を強制的に収監して監視し、集団行動を強いる暴力装置ですから、銃や大砲のような殺傷兵器で脅すくらいは、あたりまえだと思うのです」

「失礼な。監獄といっしょにされちゃ困る」と眉をひそめる教頭。「暴力だの、そういう下品なものとは真逆のことを教えるのが教育だ。親ごさんからおあずかりした大事なお子さんを、どこに出しても恥ずかしくない立派な社会人に育てあげる、という崇高な理念に基づき――」

「マグナムで脅してるわけですか」


 教頭がバツ悪くなって黙ると、いきなり上の階で銃声がした。階段をかけあがった三人が見たものは、腰をぬかし、教室の入り口から両手で後ろ向きに這い出てきた白衣の生物教師だった。その胸には、バラが咲いたような真っ赤な血が広がっていた。返り血だ。

「う、撃つつもりはなかった! 暴発です!」

 彼は四人を見るやあたふたと言い、理科室内は大騒ぎになっていた。教頭が現状を確認すべく駆けこんだ。がく然とする校長とともに廊下にたたずむ一樹は、げんなりした顔で足元を見て、つぶやいた。

「こんなことなら、いっそ学校なんか、ないほうがいいんだ。なにもいいことなんてない」

「か、一樹はいじめとか、学校に嫌な思い出しかないから、そう思うんだよ」

 桃香がいちおう祖国の教育機関にフォローを入れると、一樹は皮肉な笑みを返した。太陽が不意に隠れた街のような、冷たいかげりでいっぱいだった。

「この世に学校ってもんが出来てから、一度だって何の問題もなかったことはない。昔は校内暴力で、それを力で抑えこむと、今度はいじめと自殺だ。子供の教育という正しいことをしているはずなのに、どういうわけか必ず深刻な膿みが出る。まるで暴動を鎮圧されて、今度は地下に潜ってゲリラ活動するみたいに、学校の弾圧と、問題のイタチごっこがえんえん続くだけだ。

 なぜか分かるか? そもそも、学校という組織自体に問題があるからだ。学校というものの存在そのものが間違ってるんだ。元は自由にさせていた子供を、なぜ囚人にして統制するようになったのか。子供を将来、会社や組織に大人しく従う社会人という名の奴隷にするべく、育てあげるためだ。個人を集団の言いなりにし、政府が統治しやすくするための片棒をかついでるのが教育機関さ。ただのおかみの太鼓もちだ。

 子供の人生よりも政府の意向を優先させれば、それなりの結果になるのは当然だ。この銃の暴発だってそうだ。凶器をふり回してりゃ、いつかは死人が出る。

 こんなのが崇高な理念とやらで行った教育の結果だぜ。バカらしいにもほどがある。だから、いっそ学校なんかなくせば、問題は解決するんじゃねえの、って言っただけだ」

「なるほど、確かにそうだ!」


 いきなり校長が叫んだので驚いて見ると、彼は両のこぶしを握りしめ、目を一段ときらきら輝かせていた。

「学校さえなければ、こんな銃で脅したり、暴力を使って授業をする必要もなくなる。簡単なことではないか! 気がつかなかった!」

 そして一樹の肩をつかみ、感涙しながら言った。

「素晴らしいアイディアをいただき、心から感謝する! ただちに学校を廃止しよう! ここだけではない、島のすべての学年の学校という学校を根こそぎ廃校にするのだ! 私は教育委員会の理事長でもあるから、そのくらいは簡単にできる! いや、本当にありがとう!」

「は、はあ……」

 一樹が目を白黒させてそう言うと、廊下に出てきていた教頭が顔を真っ赤にして怒鳴ってきた。

「なにをおっしゃるんですか校長! 気は確かですか?! 私たちは失業じゃないですか!」

「君らの仕事はなんとかするから、安心したまえ」と、冷たい目で言う校長。

「い、いえ、私たちのことばかりではない。ヤパンから学校がなくなったら、ザパンのような三流の町に負けてしまいますぞ! せっかく北区随一の学力といわれた我が町の地位はどうなるのですか!」

「そんなもん、くれてやりなさい。いくら学力で一位になっても、人の言いなりになるだけのアホしかいないほうが、よっぽど町の恥だよ」

 そして姿勢をただし、毅然とした顔できっぱりと言う。さっきまでの、うつむいた暗い落ち込みようが嘘のようだ。

「私は一人ひとりの人間に自分で判断し、自分の人生を自由に生きて欲しいのだ。この中学は取り壊す! もう決定だ!」 

「こ、これは次の委員会で問題にさせていただきます!」

 そう言い捨てて背を向け、廊下をさっそうと歩きだした教頭の頭を弾丸がかすめ、「ひええーっ!」としゃがんで頭を抱え、そのまま這うように逃げていった。そのこっけいな姿に、三人は笑った。


 数ヵ月後、ヤパンから全ての学校が消えた。しかし子供たちは自分から塾に通ったりして勉強したため、学力が落ちることはなかった。それどころか、銃で脅されていたころにくらべ、のびのびと明るくなり、何十年も死んだようだった町に活気が戻った。

 自由を手にした子供たちは、この幸福が、ある雑誌社の記者の提案によるものだと知り、そこへ押しかけたが、そのような記者はいない、とのことだった。

「きっと神だったにちがいない。この町の惨状を見かねて、救いにきてくれたのだ」「いや、宇宙人だろう。正義のために宇宙を旅するヒーローなのだ」などと、いろいろな憶測が飛び交ったが、真実はついにつかめなかった。

 しかし彼の顔を知っている元校長は、彼を必ず探し出す、と子供たちに約束した。だが、隣のザパンでも同じことが行われていたことを、彼らは知るよしもなかった。

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