第53話 みのりの祝辞



 高砂の健人と弥生、客席の絢子とみのり。画面はご丁寧に二画面に分かれて、披露宴を中継してくる。


「……元気そうだ」


 笑ってる。ひばりもみのりも。楽しそうに。ポツンとこぼれた大地の泣きそうな呟きに、隔離部屋の温度はひんやりと下がった気がした。


(みのりも……知ってるんだよな?)


 ユウヤを始めとした尾行調査を大いに楽しんだ、チーム・サレ妻のサポートチームがこの映像を交代で流している。

 チーム・サレ妻としては、迷惑な客へのちょっとした嫌がらせのつもりだったが、未練たらたらな夫達には想定より打撃だったようだ。大地だけでなく直樹も哲也も、カトラリーを置いて歯を食いしばっている。

 自分がいなくても幸せそうで、且つここにいる者の扱いはこれでいい。そう示された招かれざる客達は、画面を凝視しすっかり黙り込んでいた。


「……っ!!」


 時々顔を見合わせ微笑み合う弥生と健人に、直樹が苛立つように奥歯を軋らせる。


「みのり……ひばり……」


 隣の絢子と交代でひばりの相手をしながら、料理に美味しいと笑みを浮かべ、絢子と会話をするみのりに大地は涙目になった。


「…………」


 ひばりとみのりと楽しそうに話す絢子を、凝視していた哲也がピクリとこめかみを震わせる。絢子を時折伺う、男の様子を注意深く睨みつけている。

 隔離部屋のそんな様子などお構いなしに、会場では新郎新婦の紹介と、お偉方の紹介と式は滞りなく進んでいく。


「続きまして、新郎新婦のご友人・みのり様より、お祝いの言葉をいただきます」


 表情を少し固くしたみのりが、ひばりを絢子に預けて立ち上がった。緊張していそうなみのりの足取りを、ひばりを抱く絢子が励ますように見守っている。マイクの前に立ち、カサカサと紙を広げるみのりに会場のざわめきが鎮まった。

 大地が思わず拳を握りながら励ますように見つめていると、みのりは小さく咳払いをして祝辞を読み上げ始めた。


「皆さん初めまして。新郎新婦の友達で、出会いのきっかけになったキューピットの比野原みのりです。新郎の健人とは私が東京に上京してから友達になりました。健人の第一印象は楽しい奴だけど、落ち着きのないチャラ男でした」


 サポートメンバーが笑いないがら同意する中、みのりらしい物言いにお偉方の一部が非難がましくざわめいた。何人かが新郎側の黒羽家親族席を振り返ったが、黒羽家の血縁者は怒るどころかうんうんと深く頷いている。壇上の健人本人も照れくさそうに笑みを見せたことで、お偉方は戸惑ったように口をつぐみ、みのりも気にしたそぶりも見せずに祝辞を続けていく。


「お気楽なフリーターだった健人が変わったのは、新婦の弥生さんに出会ってからでした。私と弥生さんは一番辛い時に出会った戦友です。ウチが人生で一番辛くて、悲しくて、惨めだった時に、支えくれて助けてくれました。正直、健人が弥生さんに一目惚れして付き纏い始めた時には、身の程知らずだなって思いました。誠実で優しくてかっこよくて綺麗な弥生さんに、どう見ても釣り合ってなかったんで」


 再びどよめいた会場内で、サポートチームの面々と黒羽家は頷いている。


「……社長は一人息子の健人君を、随分と甘やかしてたからな……」


 ひばりを預かりながら、ヒヤヒヤと見守っていた絢子はその呟きに、同じ席の向かいに座る上条を振り返った。目が合った上条が少し照れたように、言い訳のようにつぶやいた。


「フラフラしていた健人君をやる気にさせてくれた新婦に、社長を始め親族の方々は泣いて感謝しているので心配はいりません」

「……はい」


 上条に感謝の笑みを浮かべて、再び絢子はみのりの祝辞に耳を傾ける。みのりに意識を向けたときは、もう落ち着かない気分は消えていた。

 お偉方にどう聞こえたとしても、二人の出会いとなったみのりの言葉は真実だ。義理も絡んだ出席者などより、みのりは二人の門出を心から祝福している。


「案の定、健人は振られました。でも振られ続けても、弥生さんに釣り合うようにずっと努力してました。恋人になれてからも、怠けたりしなかった。だから今はウチも心から応援してる。安心してる。弥生さんは幸せになれるって。健人、これからも手を抜いたりしないで、弥生さんを絶対幸せにしてよね!」


 すっかりよそ行きの言葉が剥がれて、友人としての言葉で締め括ったみのりに、健人が立ち上がって大きく頷いた。


「ありがとう、みのり! 弥生さんと出会わせてくれたことを、絶対後悔させないように俺頑張るから!」


 涙声で破顔した健人に、みのりが笑顔を返す。サポートメンバーも笑顔で拍手を送った。眉を顰めていたお偉方も、パラパラと拍手を送った。黒羽社長が「健人よかったな……! 素敵なお嫁さんに出会って更生できて! おめでとう! おめでとう!」と泣き出したから。

 祝辞を無事に終えたみのりに、ホッと胸を撫で下ろした大地は振り返って内心ため息をついた。直樹が壮絶な怒りの形相で画面を睨んでいる。みのりの祝辞は響かなかったようだ。


(元々釣り合ってすらいなかった上に、努力もしなかったくせに……)


 弥生の隣にいるためにと努力を続ける御曹司と、奇跡にあぐらをかいた挙句に図に乗ったクズ。勝敗は目に見えている。呆れた大地の内心を代弁するように、哲也が肩をすくめた。


「……まあ、当然の結果ですよね」


 ギョッとした大地が哲也を振り返ると、妙にイラついている哲也が直樹をバカしたように、せせら笑いに顔を歪めていた。


「……哲也、お前……今、なんて言った……?」


 見開いていた瞳をゆっくりと眇めて、直樹がゆらりと立ち上がった。


「当然の結果だって言ったんですよ。クズと御曹司なら誰だって御曹司を選びます」

「ちょ……! 哲也さん!? らしくないっすよ! 急に何を……!」


 いつもなら面倒にならないよう、余計な口出しをしないはずの哲也の挑発に、掴み掛かっていきそうな直樹。大地は二人の間に慌てて身を滑らせた。

 

「あんたらがバカ女達に鼻を伸ばしたりしなければ、こんなことにはならなかったんだよ! 不倫旅行とか言い出すから、ババアがその気になって……バカどもが調子に乗って……!!」


 盛大に人のせいにし始めた哲也に、大地が信じられないと目を見張った。

 

「ふざけんな! 人のせいにするなよ! お前だって自分の意思で遊んでたんだろうが!!」

「俺は二人がバカな真似をしなければ、絢子を裏切るようなことはしないで済んだ!」


 掴みかからんばかりに怒鳴り合い始めた二人に、大地はうっかり本音が口をついて出る。


「……いや、今ここで何言ったって、離婚されてこの部屋にいる現実は変わんないっすよね……?」


 大地の漏らした本音に直樹と哲也が口を引き、結び鋭く大地を睨みつけながら引き剥がそうとする腕を振り払った。互いに顔を逸らしながら黙り込んだ二人に、大地は疲労が滲むため息を吐き出した。

 誰がきっかけだとか、理由がどうだとか。そういうことではない。起きた事実があって、その結果が今だ。妻達には蛇蝎の如く軽蔑されて、多額の慰謝料を分取られた上に捨てられた。今更何を言ってもその事実は変わらない。

 

(努力、か……)


 大地は静まり返った部屋に息をついて、画面を振り返った。緊張から解放されて、席に戻って絢子と笑顔を交わすみのりに、胸が切なく震える。

 

(みのり……俺、もう二度と怠けたり、勘違いしたりしないから……)

 

 手抜きをしてしまったから失った妻と子供。

 出会って、恋をして、好きになってもらえた。その全部が本当は奇跡の連続だったと気づいたのは、手遅れになってからだった。結婚して、同じ時間を生き、子供まで授かれた。当たり前と思い込んでいたことが、こんなにも遠くなってしまってからだった。

 みのりの祝辞は祝福したいと思った愛への賛辞。健人の愛への努力を評価していた。大地の目尻が熱くなる。好きに手抜きをしなかったみのりは、怠けた大地を今も許してくれていない。

 

(俺も頑張るから……また家族に戻れるように努力するから……)


 奇跡が起きて家族に戻れたなら、その後も。努力はそんなに難しいことではない。努力できるのは喜びですらあるのだと、もう分かったから。失う絶望を知る前に、気がつけていたならと後悔ばかりしている。今まだ繋がれているのは奇跡でしかない。息子がかろうじて繋げてくれている細い糸。せめてそれだけは切れてしまわないように。


(……直樹さんと哲也さんとは対極でいればいいんだ)


 結婚式に突撃やら、全部人のせいやら。真っ当に反省しているなら出てこない言い分を、平気で口にするこいつらとは一緒にされたくない。せめてこうはなるまいと大地は決意を固めた。


「では次にC社黒羽社長の信頼も篤く、新郎・健人君が兄とも慕う、人事部課長の上条大吾様よりお祝いの言葉をいただきます」


 殺伐とした隔離部屋とは正反対に、和やかな祝福ムードに満ちた会場からアナウンスが流れる。その瞬間、黙り込んでいた哲也が勢いよく画面を振り返り、立ち上がった上条を鋭く睨みつけた。



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