第51話 魔王様、再臨
「信じらんない……」
いつものカフェのいつもの席で、みのりが盛大に顔をしかめた。
「結婚式に突撃? 花嫁拉致? 頭わいてるんじゃないの?」
怒りを吐き出したみのりに、絢子も苦い顔で頷いた。
「……何よりもそそのかしてるのが、離婚原因の不倫相手達ってい言うのが信じられません」
「ほんそれ! どの面下げて復縁やら、突撃とか言ってんの? いっそそいつらとくっつけよ!」
「暇を持て余すと、人間、ろくなことを考えないものですね……」
チーム・サレ妻は三者三様にため息を吐き出した。
あの旅行から三年。絢子は健人の勧誘を受け入れ、健人父の会社C社で魔王を目指している。みのりは無事元気な男の子「ひばり」君を出産し、パートで働きながら育児に奔走していた。そして弥生はアパレルメーカーのバイトから正社員になり、健人の猛アプローチを受け入れ再婚を目前に控えている。
三年の月日を前向きに歩いてきたサレ妻達と違って、シタ夫達は窓際に飛ばされて暇を持て余しているらしい。
「弥生さんの気持ちとか完全無視じゃん! 攫いにきたら喜んでついてくるとか思えてるのがすごい!」
心底呆れているみのりに、絢子はこめかみを押さえ、弥生はうんざりしたようにまつ毛を伏せた。
直樹が不穏と、大地からみのりに告げ口があり、絢子も哲也へ連絡をとってみた。すると直樹をそそのかしているのは、由衣と留美だと判明。この二人も暇らしい。
結衣と留美は弥生が若いハイスペックイケメンと再婚することが、相当お気に召さなかったらしい。未だに客として二人と繋がっていた直樹が愚痴ったことで、二人が悪意満々で直樹を煽りまくった。その結果、結婚式に突撃させて弥生を攫うという頭の悪い結論に至ったようだ。煽るだけで火の粉は慎重に避けている二人に、直樹は全く気づいてもいない。成長がないどころか、三年前よりもバカになっている。
「男って一度自分を好きになった女は、ずっと自分を好きなままだと思うらしいって聞いてさ、ねーよって思ってたけどあったね」
「……お客になってるんですよね? タダだったのに……今はもうお金を払わないといけない、カモにされてるのも気づいてないですもんね。相当アレですよね……」
イライラとアイスコーヒーで喉を潤したみのりが、息を吐いて気持ちを切り替え顔を上げた。
「……で? どうする? 放置はしないでしょ?」
「何かしらの対策はするべきですね……」
「ブスとバカ女もなんとかしないと! あいつら、ウチらの悪評も流してるじゃん!」
絢子が苦い顔でこくりと頷いた。
留美と由衣は過去の己の所業を都合よく改変して、客に語っているらしい。今のところ特に実害があるわけではないが、知ったからには放置はできない。何よりあの二人は、理香子と違って全く反省していないのが腹立たしい。
「……まとめて片付けましょう。そうですね、いっそ結婚式に招待するのはどうですか?」
にっこりと微笑んだ弥生に、絢子とみのりが絶句する。
「……え?」
「……は?」
「まとめて片付けて、新しい門出を清々しく出発しようかなって」
絶句している絢子とみのりに、
「……なっ! ちょっと待って、弥生さん! 聞き間違えだよね? 招待って……離婚した元旦那と離婚原因になった不倫相手だよ? そんなのを招待する結婚式なんて聞いたことないし!?」
「そ、そ、そうですよ! 円満離婚した元旦那でも微妙なのに、結婚式に突撃して花嫁攫おうとか言ってる危険人物ですよ? 何をしでかすか……!!」
「普通しませんよね? でもだからこそ意表をついて、あえて呼ぼうかなって」
「いやいやいやいや! 意表つきすぎじゃ無い!? 健人が大騒ぎするよ!? あいつ、弥生さんがベタ惚れだったの知ってるから、定期的に面倒くさくなってるんだよ!?」
思わず立ち上がって身を乗り出したみのりに、絢子も全力での同意で援護する。
弥生の犬の健人は、弥生の前では絶対口にしないが、直樹がらみの何かが起きるとだいぶ面倒くさくなる。「今は俺のほうが好きになってくれてるはず……」とか「なんで俺は先に弥生さんに出会えなかったんだ……」などメソメソするのだ。
大好きな弥生との結婚を、あれだけ浮かれて楽しみにしている健人が、直樹を招待すると言われたらどうなるか。いくら犬でも素直に受け入れられないはずだ。
「定期的にご迷惑を……? 気づかずにいてすいません」
弥生の声にみのりが憮然と、頬を膨らませた。
「弥生さん、ニヤけてる。悪いなんて思ってないでしょ? 立派な苦情なんだけど?」
「ふふっ……ごめんなさい。でもそんなに好きでいてくれるんだなって、可愛くて……」
「かわいいって……愛が重すぎてうざじゃん……再婚、後悔しない? 健人だよ?」
「後悔なんて……愛される側はとても楽です。もう一度を怖がるのも馬鹿らしく思うくらいの愛じゃなかったら、私は結婚はしなかったでしょうね」
ニコッと笑みを浮かべた弥生に、絢子とみのりは顔を見合わせた。与えるばかりで返してもらえずにいた弥生。健人の底抜けに明るく、割と重めの愛だから信頼することができたのかもしれない。
「……まあ、弥生さんがいいならいいけどさ。健人も弥生さんが言うなら受け入れるだろうけど、でも招待は……」
「そうですよ。それくらい健人さんは、弥生さんが好きなんです。結婚式に招待なんかしたら、お二人が変に拗れるかもしれないですよ?」
控えめに止めだてする絢子に、弥生は優しく笑みを浮かべた。
「いえ、実はもう相談して、健人さんにも了承してもらってます。もう目前で時間もないので……」
「はぁ? マジで? 了承したの? え……健人、犬すぎない?」
「弥生さん、まさか脅したわけじゃ……」
「そんなことしてません! 招待と言ってもリスク管理をしようって単純な計画なんです」
ニヤリと笑った弥生が、招待の全容を説明し出した。聴き終えた絢子とみのりは、見れば見るほど美しい弥生の美貌に口を閉じた。三年後に降臨しようが、魔王様は魔王様だった。
「魔王様、再臨……」
「…………」
呆然と呟いたみのりに、絢子も無言で俯いた。確かに弥生の言う「招待」なら、健人も喜んで同意しそうだった。招待される側はだいぶ不幸になれる。
「……健人、ちゃんと愛されてるんだなぁ」
疲れたようにつぶやいたみのりに、弥生はにっこりと笑みを浮かべた。
「再婚を決意するくらいには愛してますよ。愛される側はとても楽ですけど、胡座をかいていれば無限のような愛だって、いつかは尽きると誰よりも私は知ってますから」
「弥生さん……」
「いつも大好きでいてくれる健人さんが、もう余計な心配をしなくていいようにしてあげたくて。子育てで忙しいみのりさんに、定期的に迷惑をかけるのも申し訳ないので……」
「それは助かる」
真顔で頷いたみのりに、弥生はくすくすと笑ってカップを手に取った。
「……結婚式はそれでいいとして、お二人はどうなんです? 再婚は考えてないんですか?」
弥生の質問に絢子とみのりは驚いたように目を丸める。
「え、再婚? うーん、絢子さんは? まさか宇宙人と復縁はないよね?」
「復縁は考えてないです。でも再婚を考えてないわけではないですね」
「……考えてるんですか?」
きらりと瞳を光らせた弥生には気づかず、絢子は少し照れて頷いた。
「ひばり君が可愛くて……子供が欲しいなと……」
でもあれだけのことがあった哲也は考えていない。かといって相手がいるわけでもない。
「子供欲しいにしてもさ、別に急ぐことではなくない?」
怪訝そうに首を傾げたみのりに、絢子は苦笑を浮かべた。
「……子供だけが理由じゃないですよ。みのりさんはないかもですね。ひばり君がいるから……」
「ないって、何が?」
「なんていうか「後遺症」があるんですよね。フラッシュバックっていうんですかね。例えば好きだった音楽や、一緒に見た映画。好物とか嫌いな食べ物。そういうことをふとした拍子で、思い出すのが嫌で……一度はすごく深く関わっていたので……」
「あ、それ、私もすごくわかります。キッパリ離婚ってなっても、どうしても後遺症は出てきちゃいます」
「弥生さんも? あれか。ウチはひばりの世話で思い出す暇もないのか。あ、でもひばりが大地と同じの好きだったりすると、あ……って思ったりはする。そんな感じってこと?」
しみじみ頷いた弥生とみのりに、絢子は肩を竦めた。
「そんな感じです。今思えば悔いが残らないように、木っ端微塵にして良かったなって。うっかり思い出しても、ちょっと虚しくなる程度で済んでるので。これ、未練とかあるままだったら、思い出すたび相当キツかったと思います」
「そうかも。思いっきりやってなかったら、今ももっと引きずってたかもなー」
「不倫は「心の殺人」って本当ですね。離婚しても後遺症があるくらいですし。私は健人さんのおかげで上書き出来ましたけど。だから「失恋の痛手には新しい恋」も真理なんだなって。思い出の最終更新者を変えるのは効果的です」
「絢子さんが結婚してもいいって思えるなら、ガンガンいくのもいいかもね! 大丈夫、宇宙人ってそうそういないって! ここ、地球だし!」
「ふふ……確かにもう宇宙人は懲り懲りです。焦ってるわけではないので、男を見る目を養いながら考えてみます」
うんうん頷くみのりに、弥生がカップを取り上げた。
「みのりさんはどうなんです? 復縁は考えてないんですか?」
「あ、弥生さんも思ってました? 私も復縁あるのかなって思ってました。かなりまともに反省してるみたいだなって思ってて……」
絢子と弥生に注目され、みのりは引き結んだ唇をへの字に曲げた。
「二人まで……みんなで復縁勧めてくるのなんなの? でもウチ、今は考えてないっていうか、ぶっちゃけどっちでもいいっていうか……」
「どっちでもいい、ですか……?」
顔を見合わせた絢子と弥生に、みのりはアイスコーヒーの氷をカラカラとかきませながら頷いた。
「確かに大地はちゃんと反省っぽいとは思うよ? でもさ、だからって何? でもあるじゃん? そもそも反省するのは当然なんだし?」
「まあ、それはそうですね。反省もしないなら、面会だってさせたくないですよね。教育によくありません」
「そうそう、結婚式突撃するような子になったら困るし! そこまでバカなら絶対面会させない!」
「現状は面会継続を許せるくらいには反省してくれてよかったです。やっぱりひばり君の実父ですし。ひばり君も懐いてるんですよね?」
「まあね。ひばり、よく大地の話するし。でもさ、あんなことした奴とさ、特別な理由もないのに無理に一緒に暮らす必要なくない?」
「……それは、そうですね」
頷いた絢子にみのりもそうだろうと胸を張った。
「やらかしを考えれば、面会もかなりの譲歩ですよね……復縁したいのも向こうですし」
「じゃあ、今はみのりさんの気持ち的には、「嫌い」ではなくなったくらいって感じみたいですね。好きでも嫌いでもないフラットというか」
「あー、そうかも。嫌いではなくなってるかな。ふふ……ウチが一番騒いでたのにね。離婚って区切りをつけたのがよかったのかも。ひばりが産まれて毎日忙しくて、終わったことにこだわってる場合じゃなかったし」
「ひばり君、やんちゃですからね。そこが可愛いですけど」
「うん! 弥生さんの言うように、今は復縁がないほど嫌いではないけど、したいと思うほど好きでもないんだと思う」
「じゃあ、復縁したいならさらに頑張れってことですね」
「今は現状維持でいいよ。いつかはひばりのためにも、ちゃんと考えなきゃいけなくなるし。ひばりのパパなのは事実だから、再婚も縁切りも完全に切り離して考えられないし。でもまだ「いつか」にしておきたいなって……」
「……それでいいと思います。まだ三年ですから。何もかも水に流せるほどの時間ではありません」
「だよね」
ポツンと落ちた沈黙に、弥生がそっと瞼を伏せた。
「……三年、経ったんですね」
「うん。ウチにとってはあっという間だったけど、でも結構いろんなことが変わったよね」
「結構劇的に変わりましたよ? 弥生さんは再婚、みのりさんはママですよ? たかが三年、されど三年、です。何も変わっていないようで、いろんなことが変わってます」
心情も状況も環境も。ゆっくりと変わっていって、振り返るとたくさんの変化がある。もうそれだけの時間が流れたのだ。
「ふふ……でも変わってないものもありますよね。私たちは今も変わらずこのカフェでお茶してますし」
「話題はだいぶ変わったけどね! まあ、この先もこの店に集まって、三人でお茶するのは変わらなそう」
「きっと五年後も十年後もここでお茶してますよ」
三人で顔を見合わせて笑い出す。もうここで話す話題に、夫の話は出てこない。
あれから三年。変わったものもあれば、変わらないものもある。何を変えて何を変えずにいるのか。それは自分で選べるのかもしれない。今も三人はここでお茶をしている。変わったものは変えたかったもので、変えたくなかったものは今も変わっていない。
耐え難いと思っていた時間も、乗り越えた今ではもう、振り返って思い返す「過去」となったのだ。
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