第38話 日の出とともに
第三日目、最終日。時刻は朝の六時半。人気のない廊下は静まり返っている。
小野田の部屋の前で立ち止まる。扉を開けたらもう取り返しがつかない。そう思うと絢子はにわかに緊張してきた。思わずみのりと弥生を振り返ると、興奮と期待に顔を輝かせている。まるでドックランを目の前に、リードを外されるのを今か今かと待つ犬のよう。
十分すぎるほどやる気に満ちた二人の表情に、感じていた緊張が吹っ飛び思わず吹き出しそうになる。絢子は慌てて表情を改めると、扉に手をかけた。グッと身を乗り出した二人と頷き合い、深呼吸でタイミングを図ると一気に扉を開け放った。
「「おっはようございまーす!! 朝ですよーーー!!」」
扉が開くと同時に勢いよく部屋に踏み込んだ弥生とみのりが、高らかに朝の挨拶を叩きつけた。突然の襲撃に飛び起きたのは由衣と、理香子。何事かと何も着ていない身体に毛布を巻き付けながら、部屋の入り口に仁王立ちするチーム・サレ妻を凝視した。
「何っ!? 何!? なんなの!?」
チーム・サレ妻の後ろにドヤドヤと小野田、健人、芽衣、愛美も続き、物々しい雰囲気に怯えたように由衣が金切り声を上げた。
「……んだよ……うるせーなぁ……」
由衣の声に全員がモゾモゾと目を覚まし始め、
「……っ弥生っ!!!」
「み、みみみのり!?」
「…………っ!!」
状況に気がつくと真っ青になって絶句した。衝撃に固まった夫たちの様子に、不倫女たちは様子を伺い、小野田の姿に衝撃を受けたように目を見開いている。
真っ青になって絶句する夫たちを、チーム・サレ妻が見下ろした。
「おはようございます。いい天気ですね。目は覚めましたか?」
言い訳のしようもない現場の中央で、鈴蘭の美貌が嫋やかに微笑みながら地獄の開幕を宣言した。
※※※※※
「じゃあ、始めましょうか! まずは舞台の設えからですね!」
「「「はーい!」」」
元気よく健人と芽衣、愛美が返事を返す。まだ完全には状況を把握しきれていない面々を置き去りに、弥生の号令で一斉に散らかった部屋の布団やらを片付け始めた。小野田は真っ先に部屋の窓を開け放つ。こもっていた匂いに耐えられなかったらしい。
「ちょっと! やめてよ!! 引っ張らないで!!」
素っ裸の身体を隠す最後の砦の毛布を、芽衣に引っ張られ由衣が必死に抵抗する。チラリと芽衣が弥生を振り返り、弥生は芽衣に微笑みながら頷きを返した。どうだと言わんばかりに鼻を鳴らして、芽衣が再び毛布を引っ張り始める。
「弥生さん……浴衣は返しましょうよ……目のやり場に困るので……」
「ずっと丸出しのままは、ウチもちょっと……」
「そうですか……?」
ナチュラルに素っ裸で舞台に上げるつもりだったらしい弥生が、残念そうに眉尻を下げた。弥生の返答に健人が素早く反応して、脱ぎ散らかされていた浴衣をそれぞれに投げつける。慌てて浴衣を身に纏い始める間に、布団と荷物はあっと言うまに部屋の隅にまとめられた。
「みの、みのり……なんで、こんなところに……」
浴衣を身に纏った大地は、青くなって震えながら小さな声を絞り出す。
「なんでだと思う?」
「…………」
黙り込んだ大地の横に勢いよく駆け込むようにして、突然哲也が土下座を始めた。何度も額を畳に打ち付けるように、渾身の土下座をしながら哲也が吠えるように叫んだ。
「絢子、ごめん!! 俺が悪かった!!」
突然響き渡った謝罪に、室内は静まり返り視線が一斉に哲也に集中する。
「なんでもする!! 絶対に絢子と別れたくない!! 俺が愛してるのは絢子だけだから!! ……だから、絢子……」
血を吐くような叫びから一転、縋るように震える声を押し出して顔を上げた哲也。目が合った瞬間、絢子の心がスッと冷えた。ああ、こういう男なのだ、と。
どうやってもひっくり返せない盤面で、余計な言い訳はせずに全力の謝罪。大地のように意味のなさない言葉を発するより、ずっと許される可能性は高くなる。哲也のプライドの高さを知っていれば、この謝罪は相当衝撃を与えられるだろう。現に不倫女たちは呆然と哲也を見つめている。
(なるほどね……)
絢子はポツリとつぶやきを落とした。
耐え忍ぶ生活の中で気づいた哲也の一面である「決め台詞」。それは単にナルシストに性格を表す行動かと思っていた。でもそうではない。哲也は操っている。状況に合わせて最も効果的な言動を選び取って。相手が自分の望む返事を返すように、計算ずくでそうしている。
縋るように絢子を悲壮に見上げる哲也の瞳の奥に、期待が透けて見えるようで絢子は笑い出しそうになった。こんな絶対絶命の状態でも、盤面をひっくり返すことを諦めていない。裏切りに傷ついた絢子のためではなく、離婚を回避したい自分のためだけの謝罪。上原哲也とはそういう男。
「絢子さん……」
空気を一変させる哲也の全力の謝罪に、みのりと弥生が心配そうに絢子を呼ぶ。安っぽい謝罪に心が揺れているのではと心配する二人に、力づけるように笑みを返す。徹底的に叩きのめしてやる。口を開こうとした絢子を遮るように、甲高い声で理香子が叫んだ。
「上原くんを支え切れなかった奥さんに、謝る必要なんてない!! もう言い訳なんていいじゃない! ちょうどよかったのよ! 大丈夫、心配しないで。私から全部話してあげるから。上原くんには私がいるから!」
「はぁ? ババアが何言ってるの? 話すなら私が話すから!」
「黙れよ!! …………絢子、頼む二人で話そう? 俺、ちゃんと全部話すから……だから……」
理香子と由衣を一喝し、哲也が絢子の足元に手を伸ばす。隣の大地も瞳を潤ませてみのりに手を伸ばす。直樹はただ茫然と座り込んでいた。
「みのり……みのり……俺……」
絢子とみのりは伸ばされた手を同時に足で振り払った。
「汚い手で触るなよ」
にっこりと言い放ったみのりに続いて、絢子も真顔で哲也を見下ろした。
「話は聞くわ。でも貴方と二人ではない。そうですよね、弥生さん?」
哲也の全力謝罪を不安そうに見守っていた弥生は、振り返った絢子にほっとしたように笑みを浮かべた。頷きを返した弥生が、パンと大きく両手を打ち鳴らす。
「その通りです。個別の話し合いには応じません。全員みっともないものをちゃんと隠して、口を閉じて席についてくださいね!」
「や、弥生……? お前……」
気弱で従順だったはずの弥生に、直樹が引き攣った声をあげる。弥生は美しく微笑んで振り返った。
「口を閉じろと言ったでしょう?」
美麗に微笑む弥生を、無言で留美が睨みつけている。弥生はにっこりと笑顔のまま、醜態を晒す面々に視線を巡らせた。
「ルールは私たちが決めます。大丈夫ですよ。下半身が脳みそでも理解できるように、とても簡単なルールにしてあげます。私たちが黙れと言ったら黙る。座れと言ったら座る」
「……魔王モードだ」
生き生きと顔を輝かせる弥生に、みのりがポツンと呟き絢子も小さく頷いた。美貌は光り輝き、生き生きしすぎている。健人がキラキラとした瞳で、弥生をうっとりと見つめた。健人は本当にハートが強い。
「皆さんは私たちに聞かれたことに答えるだけです。うふっ、私たちも鬼ではないので、返答によっては情状酌量の余地を与える用意がありますよ」
思わずというように顔を上げた大地に、弥生がにっこりと笑みを向けた。
「ふふっ。助かりたいなら頑張ってくださいね。一番早く正確に答えた人にだけ、ご褒美がありますからね」
楽しそうな弥生に、大地は青ざめて俯いた。みのりがちょっとだけ同情したように、大地から目を逸らす。健人はまだキラキラしている。
「では、まずは……自己紹介でもしましょうね!」
弥生の鈴蘭のような微笑みと朗らかな声で、チーム・サレ妻が誘導して作り上げた最高の舞台の幕が開けた。
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