第39話 ルール


 テーブルを挟んでチーム・サレ妻陣営と、不倫旅行メンバーが向かい合う。


「録音するから」


 みのりがボイスレコーダーを手元で振って、テーブルの中央に置いた。


「……では、それぞれお名前をどうぞ」


 自己紹介も兼ねて、この話し合いのメンバーを音声で記録を開始する。

 短く名乗っていく態度は、あまり殊勝とは言えなかった。そんな中芽衣と愛美が元気に名乗りを上げると、不倫旅行組が衝撃に目を見開く。


白戸 芽衣しらと めい……田沼 愛美たぬま めぐみ……? って……え、昨日の……? なんで……?」

「あ、やっと気づいた? 反応薄いからちょっと寂しかったんだよね」


 すっぴんに普段着のカラフルなジャージの芽衣と愛美。明らかに昨日とは印象が違う二人。今はT商事の社員には見えない出立ちの二人が、ニヤリと笑みを浮かべると理香子が怒りの形相に顔を歪めた。


「な、んで……今はここは貸切のはずでしょ! なんで部外者がいるのよ!!」

「なんでって、私の友人だからですよー」


 のんびりと小野田が答えて、面々を見渡す。


「ここはリフレッシュ休暇を、思いっきり楽しむために私が予約した部屋ですよ? 使「友人との旅行」です。なんだか友人じゃない人が、勝手に思いっきり楽しんだみたいですけど」


 小野田の発言の意味を、哲也と大地は正確に理解したようだ。これ以上悪くなりようがないと思っていた顔色は、青を通り越して土気色に変わっていく。俯く二人の表情には、いつから、どこまで知られているのか。そんな焦りが滲み出ていた。

 だが、その二人以外はどうもまだ、現状が理解できていないようだった。

 芽衣と愛美の接触は偶然ではないのは明らか。それなのに直樹と由衣は、開き直っているかのような態度で、留美と理香子はなぜか挑戦的ですらある。

 知能が足りないのか、それともお花畑が満開なのか。そんな態度に呆れて、みのりと弥生と顔を見合わせる。


(まあ、どっちでもいい……)


 反省しようが開き直ろうが、望む未来に向けて舞台は進み続ける。肩をすくめた絢子に、哲也は縋るように顔を上げた。


「絢子、お願いだ……二人で話をしよう……!」

「みのり、俺……!」


 哲也に便乗して大地が口を開いた途端、バンッとみのりがテーブルを叩いた。


「勝手に喋んなって言ったよね? ルールを決めるのはウチら」

「みのりさんの言う通りです。こちらが提示するルールをちゃんと遵守してこそ、二人で話すとか言う図々しいお願いも、聞き届けられる可能性が出るんですよ? いい加減、ちゃんと理解しましょうね?」

「おいっ! 弥生! なんだよ、その言い草は! 黙って聞いてれば……!」

「……お前こそなんだよ! 弥生さんが勝手に口を開くなって仰っただろーが!」


 うっとりと弥生を見つめるのに忙しかった健人が、声を荒げた直樹に豹変した。直樹の浴衣の首元を掴んで凄む健人は、外敵を発見したドーベルマンのような形相でだいぶ忠犬だった。今にも食い殺さんばかりの健人の迫力に、直樹が怯えたように顔を歪めている。


「健人さんも黙っててくださいね」

「はいっ! すいません!」


 直樹の怒鳴り声にも動じずにっこりと弥生が微笑むと、健人はすぐさま直樹を掴んでいた手を離し秒速でお座りをした。躾はよく行き届いている。ドーベルマンに噛みつかれる危機を脱した直樹は、つかみかかってきた健人にではなく猛然と弥生に振り返る。


「……っ! おい、弥生! お前……!」

「黙れ、そう言いましたよね?」

「や、弥生……?」


 気遣わしげな健人の視線も、戸惑ったような直樹の表情も、弥生は綺麗にスルーした。

 

「貴方には耳も脳みそもないんですか……これが最後の警告です。勝手に口を開かず、黙ってろ。わかりましたか?」

「…………」


 笑みを浮かべ続ける弥生に、直樹が呆然と目を見開いている。


「……最っ低……」


 みのりの小さな呟きに、絢子も顔を顰める。

 短いこの一幕だけで直樹が、弥生に対して取り続けてきた態度がわかる。弥生を直樹がどういう位置付けをしていたのかわかる。呆然とする顔に殺意が湧いた。どれだけ弥生が泣いていたか。信じていたか。鈴蘭の弥生しか直樹。それは弥生が直樹をどれほど愛していたかの証明だ。でももう何もかもが手遅れになった。

 全員が口を閉じたことに、弥生は満足そうに頷く。多分、弥生の本性はこっち魔王で、今後はずっとこっち魔王だろうから。


「では、早速、誰と誰がどう言う関係なのか、右端から順番にどうぞ?」


 弥生の魔王っぷりはとどまるところを知らず、まさに魔王な質問を初っ端から笑顔でぶっ込んだ。


「絢子……頼むから……」


 絢子だけを見つめて懇願する哲也に、弥生とみのりが顔を見合わせる。二人だけで話すことに謎にこだわりを見せる哲也に、絢子も密かにため息を吐き出した。二人でなら丸めこめる自信があるのだろうか。


「……何度も言ってるけど」


 うんざりしながら口を開いた絢子を遮り、理香子が絢子を睨みつけながら金切り声を上げた。

 

「上原くんと私は真剣に交際をしているの! 私に何度も縋りたくなるくらい、彼は追い詰められていたのよ! 貴女はそんな彼の支えになってあげなかった!」

「……弥生さんが右端からって言ったのに……」


 みのりの呟きも聞こえないのか、興奮したように理香子が話し続ける。


「私はそんな彼のそばにいた。貴方じゃなくて私がそばにいたの! 私だけを頼れたの! 彼を支えず癒すこともしないから、上原くんは私を選んだ! だから……!」

「最初はみのりさんの旦那さんですね。どうぞ?」


 悲劇のヒロインのように叫ぶ理香子を、冷ややかに無視して言い放った弥生。みのりは「だから言ったじゃん」とでも言いたげに肩を縮めた。興奮して身を乗り出したままの理香子が、噛み付くように弥生を振り返る。


「私と上原くんの関係が知りたいんでしょ? だから教えてやってるのよ! 私は……」

「……耳まで遠いのは、お年だからですかね? 私たちがルール。ボケてないというなら覚えてください。右端から。こんな簡単なルールも守れないほど老化が進んでいるのに、若造りだけはがんばってたんですね」

「…………なっ!!」


 虚をつかれたように絶句した理香子が、弥生の言葉に瞬時に顔を真っ赤にした。血走った目で睨みつけてくる理香子に、弥生はぐうの音も出ないほど美しく微笑んだ。


「知ってます? 貴女ミニスカート姿は、見ている方が恥ずかしくて辛いんです。みっともないって気づいて、早めにやめた方がいいですよ?」

「……ぷっ」


 小さく吹き出す声に振り返ると、小野田と芽衣が口を両手で必死に抑えている。


「……弥生さん、本当のことをはっきり言い過ぎ……」

「貴女……!!」


 声を絞り出した愛美に理香子が、威嚇するように振り返る。バカにするように肩をすくめてみせた愛美に、なおも噛みつこうとした理香子に、みのりがもう一度机を叩いた。その音にびくりと何人かが肩を揺らす。


「ババア、いい加減マジで黙れ。弥生さんが右端から順番って決めたの。弥生さんがルール。従えよ」


 鋭く睨みつけたみのりに、理香子はギリギリと奥歯を鳴らしながら腰を下ろした。なんかもう「私たちがルール」から「弥生さんがルール」になった。でも今、確かに弥生魔王がルールだ。

 

「貴女のお花畑な妄想も、ちゃんと順番が来た時に聞いてあげますから。それまで口を閉じていてくださいね。じゃあ、はい。一番右端の人、張り切ってどうぞ!」


 指差しされた大地がびくりと肩を揺らした。真っ青になって妙に汗をかいている大地は、キョロキョロと視線を彷徨わせた。何度も唾を飲み込み、やがて意を決したようにみのりに視線を縋らせた。


「……い、一回! 一回だけなんだ! みのりが妊娠中だから……負担かけたくなくて……でも、遊びで! 本当に単なる性欲処理だった! 無料風俗みたいな……酒の勢いと旅行の雰囲気に当てられただけで……本気じゃない!!」


 大地の解答にチーム・サレ妻は無言を返した。最低すぎる供述と、その中身。思わず顔を見合わせて、各々より一層口元を引き締めた。みのりは拳を握って耐え、弥生はちょっと遠くを見つめ、絢子は顔面の筋肉を総動員して無表情を維持する。


『うふっ。しらばっくれたり、嘘をついたり、口裏を合わせたり。きっと大騒ぎですよね!』 


 蘇った弥生の言葉に、絢子は真剣そのものの大地からさりげなく視線を外した。みのりは無表情で大地に頷いた。


「……相手は?」


 大地はチラチラと不倫旅行メンバーを見ながら、喉を上下させてゆっくりと答えた。

 

「……い、伊藤由衣、さん……です……」


 どうやら大地は一番の古株を指名することにしたらしい。当の由衣がピクリと眉を揺らして、物言いたげに口元をワナワナと震わせた。当然だろう。妊娠中の妻の代わりのおもちゃで、無料風俗として名指しされたのだから。

 

「そう……」


 考え込む振りで顎に手を当て笑いを噛み殺したみのりを、大地が固唾を飲んで見守っている。大地だけではなく、その場の全員の視線がみのりに集中していた。奇妙に張り詰めた沈黙の中、みのりはゆっくりと顔を上げた。


「……じゃあ、次は絢子さんの旦那さんね」


 さらっと大地の解答を流してみせたみのり。張り詰めていた空気がわずかに緩み、哲也が引き締めていた口元を少し緩めたのを絢子は見逃さなかった。

 哲也がゆっくりと顔を上げて、子犬のように潤ませた瞳で絢子を見つめる。絢子は少しだけ唇を噛み、心の準備を整えた。口裏を合わせようと必死にアイコンタクトを送りながら、助かるためにどこまでどんな嘘をつくつもりなのか。

 大地の発言に怒りの形相で俯いている由衣と、弥生に嘲笑されて憤怒に震える理香子。今哲也が必死に絞り出そうとしている嘘は、いつどこで誰がどう破綻させるのか。

 

『阿鼻叫喚できっと楽しいですよ?』


 絢子は必死に口元を引き締めながら内心で笑みを浮かべた。なるほど、確かにこれは楽しいかもしれない。


 

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