第37話 最後の宴
健人からの連絡に、その場の全員がPC前に集まった。しんと静まり返った画面は、しばらくするとドヤドヤと騒がしくなった。
「音声・映像、オールクリア!」
満足そうに小太りで緑髪のユウヤが笑みを浮かべ、画面を見つめるチーム・サレ妻のために席を譲った。
やがて上機嫌に芽衣と愛美に話しかける直樹と大地。会話の中に愛想よく混じる哲也。表情は笑顔でも目は笑っていない不倫女達が、小野田の部屋に入り込み次々と映像として映し出される。ユウヤが設置していたカメラは、確かに音声・映像共に問題ないようだ。
チーム・サレ妻がごくりと唾を飲み込んで、緊張の眼差しで画面を食い入るように覗き込む。
『え? ここ? 俺らの部屋の向かいなんだけど!』
『えー、そうだったんですか? 全然気がつかなかったです』
『なにこれ、運命!? びっくりなんだけど!』
『あはは、運命って……! でもすごい偶然ですよねー!』
『あ、どうぞどうぞ! 座ってください!』
酒が入ってテンションが上がっている直樹と大地を、芽衣と愛美がさらりとあしらっている。愛想良く相手しながら、テキパキと酒宴を整える手際の良さは流石だった。
機嫌の良さそうな夫達に比べ、不倫女達は静かに怒りを滲ませている。いつもはさりげなく牽制しあっているのに、突如縄張りに現れた共通の
一箇所に全員を集め、酒を入れることには成功した。でもこの状態からどう猿化させるのか。チーム・サレ妻の面々は、頼もしい笑みを見せて繰り出していった夜の蝶たちをハラハラと見守っていた。
乾杯をしてそれぞれがビールを煽り、ほっと一息ついたタイミングで芽衣と愛美が顔を見合わせソワソワとしだす。
『……あの、聞いてもいいですか?』
『なに? なんでも聞いていいよ』
直樹がキメ顔のつもりらしい笑みを浮かべ、弥生が画面に顔を小さく顰める。みのりが宥めるように弥生の肩を揺さぶった。
『それじゃあ……あの、もしかして、みなさんってお付き合いしてるんですか……?』
『ぶふっ!! ええっ!!』
もじもじしながら言い出した愛美に、大地が飲みかけのビールを吹き出した。不倫女たちは一瞬驚いた顔をして、すかさず満面の笑みを浮かべた。
『あ、やっぱりわかっちゃいます? 社内恋愛だから大ぴらにはしてないんですけどね……』
顔を引き攣らせている夫たちに、由衣は思わせぶりに目配せする。
『きゃー!! やっぱりー! じゃあ、彼氏さんたちに声かけて気分悪かったですよね。すいません。みなさん、素敵な人だから絶対彼女がいるとは思ってたんですけど、本社の人だって聞こえたら我慢できなくて!』
『でも納得だよね。みなさん、めっちゃオシャレで綺麗! いいなぁ、エリート同士の恋愛とかかっこいい!! すごいお似合いです!!』
『うふふ……そうですか?』
唖然とする夫たちに勝ち誇ったような笑みを見せ、由衣は満更でもなさそうに芽衣と愛美に顎を逸らした。
「……いや、エリートは訂正しないんだ。しれっと社員ぶってるけど、バイトと派遣じゃん……」
「社内恋愛だからじゃなくて、不倫だから大ぴらにできないだけですよね……?」
画面に向かってツッコミを入れるみのりと弥生に絢子も苦笑し、今度は理香子と留美をターゲットに褒め倒し始めた芽衣と愛美に視線を戻した。
「誉め殺し作戦ですか……さすがですね……」
対立して煽るのではなく、手を出す気はないと早々に意思表示をして、調子に乗せていく作戦らしい。簡単に釣れた夫たちより、警戒している不倫女たちを味方にするべく動くのは、確かにベストの選択だろう。
「私テレビで見ました。優しいとか仕事できるとか、肌が綺麗とか、明からさまに容姿を褒めないのが、一流の詐欺師の手口だそうです……」
「芽衣、愛美……プロだわ……」
自分に自信満々の由衣には、ストレートに容姿とセンス。どう見ても一番の年上の理香子は、大人の女性と若見えを。警戒心がまだ残っていそうな、容姿に劣等感を持つ留美にはオーラと佇まい、内面を。
瞬時にそれぞれの性格にあたりをつけた愛美と芽衣は、不倫女たちを調子に乗せてどんどん酒を飲ませていく。その手腕は時折、留美にすら笑みを浮かばせている。
『遠慮しないで彼氏さんの隣に座ってくださいよ。エリートでかっこいい彼氏とか、すっごい羨ましい!!」
裏切り者たちの距離を上手いこと詰めさせながら、関係をバラされ引き攣り笑いする夫たちへのおだても忘れない。テンションを下げていた夫たちも、徐々に酒とおだてに調子を上げてきた。
『あ、お酒なくなりそう! 私、買ってきますね!』
酔いに任せて新規の獲物へと向いている食指を、愛美と芽衣はさりげなくするりと交わす。売店に買いに行くふりで、待機組がコンビニまで駆けつけ用意していた大量の酒を、部屋から出てきた二人に渡す。
途切れずに与えられるアルコールと、落とせそうで落とせない新しい獲物への欲望。二人が席を外す時間が増えるほどに、室内の空気からは秩序と倫理観が薄れていくのが見えるようだった。
『撤収しまーす!』
見事な手腕を見せた二人からの連絡が届く頃には、すでに画面内で直樹と理香子が
「……なんていうか」
「言葉が出ないわ……」
絢子の続く言葉の後を引き取ったみのりに、こくりと頷きを返す。今までの証拠写真はホテルの出入りだった。その先を察するにあまりある証拠でも、こうして目の前の現実として繰り広げられる光景に複雑な感情が湧き上がった。
「須藤さん、本当にうるさいですね……」
弥生の冷ややかな声に、ユウヤが慌てて駆け寄ってノートPCを閉じた。
「録画してるから後でチェックすればいいし……あの、こんな男ばっかじゃないんで……」
怒りでもなく諦めでもなく悲しみでもない。そんな奇妙な空気の中で、ユウヤが気まずそうにこぼして俯いた。弥生が深くため息をつき、気持ちを切り替えたようにスッと顔を上げる。
「……最後の宴はこのまま盛り上がりそうでしたし、もう放っておきましょう」
「そうですね……」
由衣と貪るようにキスを交わす哲也の姿を思い浮かべながら、絢子がポツンの返事を返す。残業ばかりで体調を心配していた頃も、浮気を知って裏切りに絶望していた時も、こうして哲也は絢子を裏切っていた。何度も何度も。相手すら変えて。
今は怒りも悲しみも湧いてこない。ただ静まり返った心の中で、繰り返し繰り返し絢子を裏切る哲也の姿が再生されている。不思議なほど凪な感情を表現するのに一番近いのは、諦観に似た虚無感だろう。目に映る景色の明度が落ちた気がした。
激しく揺さぶるような思いは湧いてこない代わりに、ただただ静かな心の奥に小さく燻る感情が確かにある。頼りなくチラチラと揺れる蝋燭の火のような、その感情を直視しようとするとツンと鼻の奥が痛み目の縁が熱を帯びる。ここまできてもまだ悲しく思う気持ちを、わずかにでも残していた自分に絢子は自嘲した。
それは絢子だけでなく、みのりや弥生も同じなのかもしれない。言葉なく俯くチーム・サレ妻が落とした沈黙に、ユウヤが困ったように身の置き所を探している。
「「ただいまーーー!!」」
元気に帰還した芽衣と愛美に、小野田がパッと嬉しそうに顔を上げた。
「お帰りなさい! お二人ともお見事でした!!」
「でしょー? バッチリやり遂げちゃってたでしょー!」
「これで下準備は完璧だよね! あとは仕上げ! 思う存分やっちゃって!!」
芽衣と愛美の賑やかな凱旋に、顔を上げると二人は自慢げに顎を逸らして胸を張って見せた。そんな二人に酷く凪いでいた心が小さく揺れて、自然に笑みが浮かんだ。笑みが浮かんできたことが嬉しいと思えた。
視線を向けたみのりも弥生も、少しだけ顔色を明るくしている。一人じゃない。賑やかな空気に励まされるように心が軽くなり、景色が明度を取り戻したような気がした。
「もちろんです! 最高の舞台をお見せしますよ!」
勝利者もなく、正解もない。言葉にすれば裏切られた惨めな敗者が、一矢報いたいだけの醜い争いなのだろう。でもそれがなんだというのか。傷ついた。辛かった。悔しかった。悲しかった。こうまですることを押さえきれないほどに、愛していた。
明日、それを叩きつける。愛し、尽くし、大切にしていた。それを裏切られた。反転した愛の大きさを、信頼を裏切った代償の大きさを、目の前に叩きつけてやる時は目前だ。
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