第36話 地獄への案内人
会社貸切の保養所。当然ながら保養所になっている別館は、利用期間の宿泊客はT商事の社員だけだ。
「……ちゃんと学習はしてるんだねー」
「かろうじて脳みそも残ってるんですね」
一応考慮はしているのか、六人は男女別々に宿を出て観光に出た先で合流したようだ。外部待機組の尾行班からの報告に対する、弥生とみのり感想に、絢子と小野田は苦笑した。
「とはいえ、楽しいのかというと謎……」
不倫女と直樹だけがはしゃいで、元気のない大地と不機嫌そうな哲也。二人の機嫌をとりつつの観光は、ちょっとギスギスしているらしい。
「計画当初は楽しくなる予定だったはずなのにねー」
「妻を置き去りにして、自分たちとの旅行。妻より優先された! これはもう勝ち確! とか勘違いして、油断して被ってた猫を早々に脱がれちゃったんでしょうね。猫を投げ捨てるの早すぎです」
小野田の分析にみのりが関心したように頷いた。
「そっか、旅行計画がきっかけだったかもなんだ。そんで脱いだらすごかったんだ。色んな意味で。本性がうんこだったら、そりゃ早々に冷めるよね。ウケる」
小野田と一緒に笑うみのりの横で、弥生がちょっと不満そうに唇を尖らせた。
「でも今日は一日中盛らないんですね。まぁ、スポーツでも体力の限界はきますもんね……」
もう弥生は
「無駄に一日中頑張られるより、計画のためにも夜まで自粛してもらってた方がいいですよ」
「それはそうですね」
弥生が絢子の言葉に不満顔から笑顔になったタイミングで、健人が髪を拭きながら風呂から上がってきた。その髪色はド金髪から黒に様変わりしている。
「あはは、全然違うじゃん!」
「五年ぶりなんだけど……どうですか? 弥生さん! 俺、似合ってますか!?」
みのりが笑い出し健人はキラキラと弥生を振り向いた。照れながら弥生の返事を待つ健人に、呆然としながら絢子は声を上げた。
「……別人、かと思いました。すごい似合ってますよ! ね、弥生さん?」
「そうですね、意外なほど好青年に見えます」
思った以上の健人のイケメンぶりに、呆然としている絢子とは対照的に少し驚いただけで、弥生は淡々と頷いただけだった。でも健人にはそれで十分だったらしい。パッと頬を高揚させると、ガッツポーズで天井を降り仰いで叫んだ。
「好青年!!」
「健人、うっさい!」
同じく黒髪になった愛美が健人を睨む。
「それより小野田さん、細くない? これちょっとお腹周りキツいかも……」
「あ、私、ゴムウエストのスカートありますよ」
弥生が立ち上がってキャリーケースをゴソゴソ漁り出した。計画はすこぶる賑やかに、順調に着々と進んでいた。
※※※※※
男女別れての夕食時。空きがいくつか目立つ食堂で、男女別れて夕食を摂っていた由衣は顔をあげて表情を険しくした。
二人の若い女がおずおずと男性陣の席に近づくと、恥ずかしそうに
「……あの、突然すいません。ちょっとお話が聞こえて。三人とももしかして本社の方なんですか?」
「もしご迷惑でなければ本社の雰囲気とか、ちょっとだけでも聞かせてもらえませんか?」
驚いて顔を上げた直樹が、二人の顔を見てすかさず笑みを浮かべた。
「……ああ、別にいいですよ? なぁ?」
同意を求められた大地も、ぶんぶんと頷く。
「あ、そこどうぞ! あ、椅子一個足りないっすね。哲也さん、ちょっとだけ詰めてもらっていいっすか? 俺、とってくるんで」
直樹に同調した大地に、哲也は小さくため息をつき無言で席を詰めた。
「いいんですか? ありがとうございます! やった! 本社の人やさしー!」
「何、本社勤務って怖いとか言われてるの?」
「や、本社勤務の人ってエリートばっかりだから、厳しい人ばっかりなのかなって」
興味がなさそうに食事を続けていた哲也が、さりげない持ち上げにピクリと箸を止めて顔を上げた。
「エリートか……じゃあ、営業二課とか言ったら、ますます怖がられるのかな?」
「えっ! 本社の営業二課の方なんですか! めぐ、どうしよう! 花形部署の人に声かけちゃったよ!」
「本当にびっくり! 本社の営業部の人でも、普通に保養所に来たりするんだ!」
「あはは! なんすかそれ! 本社の営業ってツチノコとかそういう扱いなんすか?」
「だって、ねぇ?」
「本社の営業部で、気さくで優しいイケメン……ちょっと出来すぎだよね……」
「いやいやいや、本社とか支社とか関係ないから。同じ人間だって。怖くない証拠に、なんか奢るよ。はい、メニュー表。好きなの頼んで」
「あ、いいんですか? 優しすぎるよぁ! ありがとうございます!」
「え、皆さんも一緒に飲んでくれますよね? 私たちだけとか、申し訳なさすぎるので」
「そう? じゃあ……」
盛り上がり始めた席に由衣が奥歯を軋らせ、留美と理香子は壮絶な無表情で瞳を釣り上げた。その様子を隅の席で盗み見ながら、
※※※※※
ピロンとなった通知に、全員で弥生のスマホを覗き込みながら顔を見合わせる。
「すごいですね……こんなに簡単に釣れるなんて……」
「不倫相手引き連れて、お忍び不倫旅行中ですよね? しかも近くに不倫相手いるのに……」
「マジで脳みそ、どうなってんの?」
健人からの報告に、チーム・サレ妻と小野田は顔を見合わせた。
クズたちがクズすぎるのか。それともT商事の社員かのように擬態した、現職は「夜の蝶」たちの腕前が見事すぎるのか。ともあれ
「流石にすぐに動き出しましたね」
「大丈夫かな……?」
「確実に粗探ししてきますよね……見張りは健人さんだけですか?」
「芽衣たちなら絶対大丈夫……!」
鼻の下を伸ばしたバカどもから、愛想よく迎え入れられた芽衣と愛美に対して、粗略に扱われている不倫女たちがどう出るかだ。
※※※※※
「私たちも一緒にいいですかぁ?」
笑みを浮かべていても目は笑っていない由衣を先頭に、ねっとりとした猫撫で声にその場が静まり返る。芽衣と愛美が戸惑った顔を見合わせる。
「あの……?」
「私たちも本社の営業二課なの。ねえ、上原くん?」
「……そうですね」
笑みを返した哲也と理香子の視線が絡む。大地が生唾を飲むような、ピリッとした緊張感を振り払うように、芽衣が嬉しそうに声を上げた。
「そうなんですか!? すごい! 本社勤務の方、結構きてるんですね! あ、良かったらご一緒にどうですか?」
ニコニコと歓迎ムードの芽衣に、面食らったように女性陣が目を見開く。その隙に直樹がとりなすように芽衣に笑みを向けた。
「あ、いや、でも席はいっぱいだし、大人数で騒ぐのは他の人にも迷惑が……」
「あ、そうですよね……気遣いすごい……さすがです。あ、なら、私たちの部屋に行きません? ファミリー向けの大部屋なので広いんですよ! いいよね? めぐ!」
「もちろん! ふふっ。二人だと広すぎて落ち着かなかったけど、こんな出会いがあるならかえって良かったね。みんなで一緒に飲みましょうよ! 本社勤務に憧れてるんです。皆さんのお話とか、もっと聞きせてください!」
「いや、でも……」
「じゃあ、そうしようかな……いいよね、もちろん」
由衣の笑顔の圧に大地は押し黙った。ニコニコと嬉しそうな芽衣と愛美に、若干顔が赤くなっている直樹はパンと手を打って立ち上がった。
「じゃあ、そうしよう! もう
ニヤリと口元を緩めた直樹を留美が鋭く睨みつけたが、芽衣がすかさず立ち上がり直樹に同調する。
「いいですね! 途中で売店に寄って、お酒を買っていきましょ!」
流石の本職の流れるような誘導に、その場の空気は決した。完全に主導権を握った芽衣と愛美の先導に、表情だけは全員笑顔の集団は、その腹の中に渦巻く感情を抱えながらも歩き出した。
時刻は二十時過ぎ。時間に追われた第一日目と違って、第二日目はすこぶる順調な経過を辿っていた。
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