第35話 幕開け



 第二日目。

 健人の運転する車で二時間。断罪の舞台、軽井沢の保養所に着いたのは、早朝の六時だった。


「みのり!」

「芽衣! 愛美!」

 

 迎えに出てきていた親友二人に、みのりは嬉しそうに破顔して飛びついた。


「二人とも手伝わせてごめんね」

「いいって! それよりお腹ずいぶんおっきくなったね! いつ生まれるの?」

「予定日は二ヶ月先ー」

「もうすぐじゃん!」

 

 きゃっきゃっと騒ぎ始めた三人を促して、貸切保養所になっている別館ではなく、通常営業の本館へと足を踏み入れる。早朝の館内は静まり返っており、何事もなく部屋までたどり着くとほっと肩の力が抜けた。


「先輩! お待ちしてましたー!」


 小声で歓声をあげ駆け寄ってくる小野田に、絢子は思わず苦笑を浮かべる。小野田は保養所になっている別館に、大胆にも三人が泊まる部屋の、通路を挟んだ向かいの大部屋を確保していた。監視には便利だが別館にはまだ近づけない。なのでみのりの友人で構成された、待機組が確保した本館に集まった。


「下準備は完了しましたか?」

「もちろん」


 弥生とみのりと頷き合って、にっこりと笑みを向けた絢子に、小野田が嬉しそうに頷いた。部屋にいるのはチーム・サレ妻と小野田と健人。みのりの親友・芽衣と愛美の合計七名。健人の声掛けで、待機組として三人参戦してくれているらしい。本館のパーティールームの大部屋は、出入りの多さにか少し雑然としていた。


「現在の状況ですけど……上原さんと森永さんが上原さんの部屋。今井さんと伊藤さん、池澤さんと須藤さんが今井さんたちと同じ部屋で寝てます」

「同じ部屋?」


 メモ用紙とデジカメの映像を見せながら、当日乗り込み組の小野田とみのりの親友がこくりと頷いた。


「大地くん、おばさんは嫌だったみたい。それぞれの部屋に引き取る時に、バカ女たちのとこに必死に割り込んでた。バカ女が嫌がってたけど、おっさん酔っててご機嫌でさ。普通にオッケーしてた」


 すっかり仲良くなったらしい三人からの報告にみのりが吹き出した。


「なんかウチのゴミ、全然旅行楽しんでないじゃん」

「うん、ずっと嫌そうな顔してるー」

「ウケる」

「今井さんは誰よりもやる気満々で、着いて速攻始めようとしてました。さすがセックスはスポーツの男です!」

「小野田さん……やめて……」


 両手を覆って俯いた弥生を慰めながら、絢子はメモを覗き込んだ。昨日一日中張り付いて、それぞれの行動を細かくメモ書きしてくれている。


「最初は別の組み合わせだったんですね」

「あ、うん。着いてすぐは違う組み合わせで、ちゃんと別々の部屋で楽しんでたよ。おばさん、声デカい」


 付け足された余計な情報に、健人が顔を顰めた。

 

「おばさんはイケメン狙いだったんだけど、イケメンは着いてすぐも、夕食後も華麗にスルーしててさ。最終的にブスを引っ張り込んだ時は、バカ女とおばさんがすごい顔してたよー」

「みのりの旦那、下っ端なんだね。いつも先輩二人の余り物を担当してる」


 楽しそうに報告してくれるみのりの親友たちは、どうやらこの状況を大いに楽しんでいるようだ。

 

「ああ……あのクズのせいで、私が恥ずかしいの理不尽です……! それにしても初日から乱行とか。ずいぶん旅行を楽しんでますね。もういっそ全員で楽しめばいいのに……! そこに乗り込みたい!」


 小野田の精神攻撃から立ち直った弥生が、八つ当たり気味に言い出すと芽衣と愛美が笑い出した。


「いいねー、それ最高じゃん! これ以上ないタイミングだよね!」

「でもさー、この後に及んで流石に全員一緒はしないんだよね。猿のくせに。どうにかできないかなー、滞在ギリギリまで粘ってみる? 二組同室はあったし」

「あのイケメン、そこまではっちゃけるかなー?」

「……家のクズ、酔ってたって言ってましたよね?」

「あ、うん」


 芽衣と愛美が頷き弥生は、絢子が覗き込んでいたメモをじっくりと確かめ、ニヤリと笑った。


「弥生さん?」


 恐る恐る声をかけるみのりに、弥生はにっこりと微笑みを向け、小野田と芽衣と愛美に向き直った。


「お酒は夕食時に飲んでたんですね?」

「うん。私と芽衣で監視したの。ご飯、美味しかった。小野田さんは顔が割れてるからさ。私たち夜仕事だから、大地くんと直接会ったことないし」

「そっか。ゴミと知り合ったのって、二人がいない時だったわ。会わせてる気になってた」

「会ってないんだなー。みのり旦那に夢中で、会わせてくれるって言ってるうちに、妊娠しちゃってさ」

「子供産まれて落ち着いたら、結婚式する予定だったし、じゃあ、もうその時にしようって」

「……そっか、そうだったね」


 大事な親友達に紹介する間も惜しんで、大地といる時間に夢中だった過去の自分。静かに俯いたみのりに弥生が顔を覗き込み、励ますように優しく口を開いた。


「……みのりさん。元気出してください。もしかしたら全員同室があり得るかもしれませんから」


 なぜそれで励ませると思ったのか。弥生がにっこりと微笑んだ。

 

「……ほんと?」

「みのりさん、励まされないで……」


 でもどういうわけか、みのりも励まされてしまったらしい。みのりは嬉しそうに瞳を輝かせ、聞いていた芽衣と愛美、小野田まで興味津々で身を乗り出し始め絢子はため息をついた。六人の男女の乱交現場に踏み込む。普通は嬉々としてやることではない。

 

「家のクズ、酔うと気が大きくなるんです。空気もより一層読めなくなります」

「あ、酔って同室にしたって言ってた……じゃあ、酔わせたらワンチャン……?」

「確かに酒入ると大抵バカになるもんね」

「でも飲ませないようにするかもしれまん。すでに酔って乱行をやらかしてますし。伊藤さん、すごい顔してましたから」

「一人の暴走じゃ全員で乱行は難しいかぁー、そうなると結局運任せ?」

「いや! いけるっしょ!」


 額を突き合わせて全員が悩む中、芽衣が元気に声を上げた。


「どうやって?」


 眉根を寄せるみのりに、芽衣は作戦を話し出した。話を聞き終えたチーム・サレ妻は渋い顔をし、芽衣と愛美は瞳を輝かせている。健人に至っては「女ってこえー……」と小さく呟きをこぼすほど、ドン引きしている。


「でもお二人に何かあっては……」

「そうです。流石にそこまでは……」

「でも健人もいるし、外部待機組もいるんだよ?」

「そうそう、せっかくここまできたんだしさ、どうせやるならガッツリやろうよ!」

「ユウヤが念の為って準備した機材もあるからさ、出番がないと勿体無いじゃん?」


 心配顔のチーム・サレ妻とは裏腹に、芽衣と愛美はやる気満々だ。


「でも……」

「何かあったらすぐに撤退するから! ね? いいでしょ? やらせてよ!」


 難色を示すチーム・サレ妻に、小野田が取りなすように顔を向けた。


「……絢子さん、弥生さん、みのりさん。ちょっとだけ考慮してもらえませんか? 私たちがここに来た理由を」

「でも万が一何かあったら……」

「私たちだっていい加減、はらわたが煮えくりかえってるんですよ。仕事の楽しさを教えてくれた大恩人と、大切な親友とその友達。恩人と友達を散々馬鹿にされてきたんです。何かしたい。その一心でここにいるんです」

「小野田ちゃん……」

「そうだよ! 当事者とは比べものにならなくても、私たちだってマジでムカついてる! 叩きのめしたくてここに来てるの! だからさ、手伝わせてよ」


 絢子が弥生とみのりを振り返ると、うっすら涙を浮かべて静かに頷いた。絢子もじわりと滲んできた涙を堪えて頷いた。

 

「……ありがとうございます。でも本当に少しでも危険だと思ったら、すぐに撤退してください。撤退が難しそうなら、その時点で突入します」

「ふふっ。の腕前見せてやりますよ!」

「わかってくれて、ありがとう!」


 ありがとう。その言葉が胸に沁みた。そうだった、一人ではなかった。一人だったなら心折れて、きっと隆史のように静かに去っていた。でもずっとチームで戦ってきた。助けられ支えられて、まるで自分のことのように憤慨し、悲しんでくれた仲間がいた。惜しみない励ましと協力で、ここまで耐えてこれた。最後までチームで。目指すはチームでの勝利。


「……最高の舞台にしましょう」 


 顔を上げた絢子に、チームの面々が頷きを返す。最高の舞台が出来上がるのを待つのではなく、自分たちで作り上げる。計画の詳細を話し合い、外部待機組と連絡を取り合い準備に早速取り掛かる。

 昼近くになって呑気に起き出したというクズどもは、全てを知った時どんな顔をするだろうか。

 いくつか存在した分岐に、何も知らないと思っていた妻たちが関わっていたと知ったら。破滅への舞台を作り上げ、誘導していたのが他ならぬ妻だと分かったら、どんな断末魔を聴かせてくれるのだろうか。かつて愛した夫たちの、末期の言葉はどんなセリフなのだろうか。

 長い下準備を経て、チーム・サレ妻の用意した舞台の幕が開けた。


 

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