第33話 猛毒の鈴蘭



「……ゴミ、すぎる……」

「……人ってこんなに愚かになれるんですか……?」


 呆然としたままショックを受けた二人の声に、絢子もフラフラする頭を片手で押さえて頷いた。


「あんなこと言われてついて行くなんて……」

「「…………」」


 肯定の沈黙を返してくるみのりと弥生。三人は示し合わせたように同時に深いため息をついた。吐ききった息を吸い込むと、少しだけ受けた衝撃が和らいだ気がした。


「……完全に女を馬鹿にしてたよね?」

「でもついて行くってことは、その言い分を受け入れたってことですよ? 私には理解できません。そんなにんですかね?」

「「弥生さん……」」

「え、でも気になりません? どうですか? 家は普通だと思うんですけど……」

「いや、ウチだって普通だと思うよ?」


 無邪気そのものの弥生の疑問に、あっさりみのりが答えてしまい、絢子も渋々答えざるを得なくなる。

 

「……家も普通だと思います……」

「なら、なんでなんでしょうね? 本当に理解できないんですけど……」

「知らない! 馬鹿女が何考えてるかなんて理解したくもないよ!」


 気まずい話題があっさり流れたことにホッとしつつ、絢子は以前小野田に聞いた話を口にした。

 

「……給与、ですかね?」

「「給与?」」

「はい……T商事ですからね。アルバイトや派遣さんは、結構婚活目的な人も多いんですよ。小野田ちゃんは人事の課長によく愚痴られてるみたいです」

「まぁ……確かに一般的に見ればスペックは高いのか」

「そうですね。T商事の社員だってことは、クズの自慢の一つでしたし」

「でもだからと言って……」

「ないよねー」


 二人の意見に完全同意の絢子も静かに頷いた。顔が良かろうが、給料が良かろうが、どう考えても不良物件だ。なんとしても避けるべき、見えてる地雷をわざわざ踏みに行く女性陣の思考は理解し難い。


「たとえ再婚できたとして、今度は自分が不倫されるとは思わないんですかね?」

「浮気って治らないって言いますもんね。自分だけは大丈夫だとでも思うんですかね?」

「それ以前の問題じゃない? 何、平等って。より旅行を楽しむためって、そんな頭悪い言い訳ある?」

「セックスなんてスポーツらしいですから」

「絢子さん、みのりさん、お願い、やめて……消えたくなるからやめて……」

「名言すぎるよね」


 それぞれが苦笑いの気配を伝え合い、弥生に慰めの言葉を投げかけた。なんとか弥生を立ち直らせて、みのりは思い出したように話し出した。


「ババアさ、あれって確実に絢子さんの旦那さんが、バカ女を拒否ると思って言い出したよね」

「そうですね。それなのに、あっさり受け入れられちゃって……旅行が終わったら別れるつもりでいるから、クズどもは強気なのに……」

「別れたくない側がいいように振り回されてる感じですね。それぞれの相手を大事にしないのは、単なる不倫ってアピールにもしてるのかもしれないです」

「これで開き直るかな?」

「どうでしょう? しばらくは様子見でしょうね」

「もうなんか恋愛っていうより、意地って感じですし」

「意地になるならかえっていいじゃん? 私の方がいいでしょ? って積極的に「残業」誘うだろうし。継続性だっけ? 旅行までにガンガンカウンター回して貰おうよ」

「そうですね」


 なんとなく全員が疲労感にため息をついた。

 

「……とりあえず全部の矢印も繋がりました。そろそろ本格的に突撃計画の詳細を詰めないといけませんね」

「確かに! 最高の舞台にするなら、念入りに計画しないと!」

「そろそろ新しいDVDも借りたいですし」

「絢子さん、回避のためじゃなく、普通にハマってるじゃん」

「不倫の映画は効果絶大だったので、不倫系でもう少し引き延ばせないかなって……」

「じゃあ、またおすすめ探しておきますね」

「お願いします」

「それじゃあ、今日はお疲れ様ー」


 通話を終えると絢子はノロノロと寝室へと向かった。今日は哲也は帰ってこないだろう。

 もどかしい日々を耐え抜いて、全ての矢印が繋がったのを確認できた。

 夫たちのあまりの言動に、正直女達への同情心もなくもない。でも人から奪ってまで自分の意思で不倫をしている。嫌なら別れればいい。そういった哲也のある意味正論を突っぱねたのは、他でもないそんな扱いを受けた本人達だ。

 チーム・サレ妻が切り捨てた夫達に、彼女達はまだなんらかの価値を見出しているらしい。


※※※※※


 全ての矢印が繋がってから一週間。


「残業、劇的に増えましたね……」


 いつものカフェで、みるみる溜まっていく証拠を前に、弥生が呆れたようにため息をついた。


「弥生さんの旦那さん、大活躍!」


 みのりがニヤリと口元を歪めた。

 あれほど緊迫していた関係と、夫達のクズ発言は決定的な分岐になると予想はしていた。実際決定的な分岐にはなったが、それはチーム・サレ妻にとっては都合のいい方に転がったようだ。


「家に弥生さんいないからかな? 毎日毎日猿みたいだよね。さすがセックスはスポーツの男……」

「みのりさん……」


 みのりの言葉に弥生が両手で顔を覆って項垂れた。


「でもこれで継続性は確保できますね……」


 別れるならそれでいい。哲也の発した強気なクズ発言に、他二人も賛同したことで、不倫女たちは別れの危機を植え付けられたらしい。


「惚れた側が不利ってことなのかなー……」


 みのりが証拠写真を並べながら、独り言のように呟いた。

 直樹が調子に乗って日替わり残業し始めたおかげで、余った女達が積極的に他の二人を誘う構図ができているようだ。他二人も旅行まではという免罪符と、大騒ぎする不倫女の実態に渋々残業を受け入れている。こちらとしては好都合だ。


「これ、もはや恋愛って言えます?」

「まあね。でもさ、もうやっちゃってるから身体使うしかないんじゃん? それでしか気を引けないって、はっきり態度でも言葉でも言われてるし」

「クズ達には都合のいい構図ですよね」

「旅行終わったら浮気やめるとか思ってるっぽいけど、これ明らか無理だよねー」

「あれだけのことを言われても別れず、むしろ積極的に身体で繋ぎ止めようとしてますからね。これだけ執着されてて、綺麗に別れられるとは思えません」


 絢子とみのりがうんうんと頷き合っていると、弥生が嬉しそうに笑みを浮かべた。


「なので、突撃して現場を押さえたら、全員を集めて尋問しません? 全員が聞いている前で、本音を吐かせるんです。条件もつけましょう。一番正確に早く真実を話した人に、制裁に対して考慮するって」

「「…………え?」」

 

 とんでもないことを言い出した弥生に、絢子とみのりは衝撃に目を見開いた。呆然として固まった二人に、弥生は上手く伝わらなかったのかともう一度丁寧に言い直した。


「突撃して現場を押さえて、全員を集めて尋問しましょう? 話したくなるように、一番正確に真実を話した人に制裁に対して考慮する条件をつけて。阿鼻叫喚できっと楽しいですよ?」


 鈴蘭のような嫋やかな美貌が、にっこりと清冽な微笑を浮かべた。あまりにも美しい微笑みに、今日も健人も震え上がった。


「えっ……弥生さん、全員の前でって……」

「一番早く事実を話した奴に制裁考慮するって……」

「うふっ。しらばっくれたり、嘘をついたり、口裏を合わせたり。きっと大騒ぎですよね! でも「制裁を」って条件をつけたら、くだらない茶番も短縮できて本音も聞けますよね?」

「そりゃ……そう、かもだけど……」


 現実に気づいた者から「制裁の考慮」に飛びつくだろう。繋がった矢印分発生する責任の重さは普通の不倫の比ではない。

 慰謝料は基本的にこちらの言い値だ。条件が飲めないなら、生涯消えない公文書として残す覚悟で裁判するしか道はない。

 

「弥生さん、それ……完全に「蠱毒」ですよね……?」


 弥生のおすすめで鑑賞したとあるサスペンスホラーを思い出す。大量の毒虫を一つのツボに集めて、最後の一匹になるまで争わせ作る最強の毒が「蠱毒」。

 弥生はクズどもを一箇所に集めて、少しでも助かるために争うのを楽しみながら、最強のクズでも決めるつもりなのだろうか。

 

「あ、似てますね。でも私は我先に助かろうと、庇いあってたのに貶め始めたりするだろうから、蜘蛛の糸かなって思ってました!」


 微笑む弥生が美して、絢子は言葉を失った。じわじわ効くのが鈴蘭の毒。でも本当は即死級の猛毒だったらしい。


「魔王すぎる……」


 みのりも真っ青になって震えている。


「俺、一生涯、浮気はしないと今改めて誓いました!」


 力強く弥生に誓ってみせた健人を、弥生は微笑みながらスルーした。健人はハートがだいぶ強い。


「……「理由」を知りたいかなって……そして知るなら本人達の口から。そう思ったんです」

「あ……」


 優しく微笑みかけてくる弥生に、絢子はゆっくりと目を見開いた。「理由」を知りたい。慰謝料よりも何よりも、どうしてなのかを知りたい。弥生は最初の絢子の気持ちを覚えていてくれたのだと気がついた。


「きっと絢子さんの推測はほとんど正解だと思うんです。だってだからこそ全部の矢印まで繋がったので。でも本人から聞きたいじゃないですか。まだわからないことも含めて、ちゃんと知りたいじゃないですか」

「弥生さん……」


 自分たちが信じていたもの。それは信じて愛するだけの価値があるものだったのか。それを知りたい。幻想を打ち砕かれたなら、きっと未練なく未来に向かって進んでいける。教訓として。

 

「須藤さんの旦那さんへの条件、私たちのためでもあるんですよね? 絢子さんの気持ち、すごく嬉しかったです。だから私にもできることはないかって……私も魔王になれないか、色々考えてみたんです」

「でも……弥生さん……条件の効果が真逆になってるよ……?」


 全く同じ条件なのに、一方は救済措置。もう一方は地獄への片道切符。みのりの小声のツッコミに、弥生がにっこりと笑みを向けた。


「問題あります?」

「……ないです」

「自分たちの口から真実を話させるために、より話しやすい条件をつける。それだけですよ」

「うん……小野田さんも真っ青だね……最前列を後悔するかもね……」

「あ、俺たちから何人か手伝いに行こうと思うんですけど。人数が人数なので、見張りとか必要ですよね?」

「それは助かるかも! それじゃあ、まずは……」


 チーム・サレ妻は一ヶ月を切ったXデーに向け、額を突き合わせて入念に話合いを始めた。最高の舞台への条件は整った。残り少ない期日で目一杯、チームサレ妻はフィナーレを飾るための準備に奔走した。


※※※※※


 いつも応援ありがとうございます。

 ストック完全放出して、なんとか全部の矢印をつなげたところまで辿り着きました。この後、申し訳ないのですが少し書き溜めの時間をいただこうと思います。

 次回からはいよいよ最終章。それぞれの結末を見届けてくれたら嬉しいです。


 書けたところから順次がいいのか、もう完結まで一気にがいいのか……と迷いつつ、できる限りの早めに再開をお約束として、少しの間お待ちいただけたらと思ってます。 宵の月

  




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