第16話 最高の舞台
夫たちだけではなく、その不倫相手たちまで揉めているらしい。
絢子には理解できない揉め事の推移を、もう賭けでもしながら見守るしかない。一旦そんな結論に落ち着いてから三日後、絢子のスマホに一通のメールが届いた。
「小野田ちゃん……?」
差出人の名前に保養所利用の取り下げでもあったのかと、急いでメッセージを確認した絢子は眉根を寄せた。
『お話ししたいことがあるんですけど、できれば他の奥様たちとも一緒にお茶でもしませんか?』
『メールだと難しい話?』
『いえ、できれば会って話したいなって。難しいですかね?』
『聞いてはみるけど……』
『お願いしまーす!』
ほとんどの事情を把握している、会社内部にいる心強い味方の小野田。これまでできる範囲で協力してくれていたが、会って話したいほどの内容に心当たりがない。少し不安になりながら、チーム・サレ妻へ連絡を入れる。
『会社の後輩が話したいことがあるということで、お二人に会いたがってるのですがどうですか?』
『本当? ウチ、お礼言いたい! 都合合わせるからぜひぜひ!!』
『私もお会いして、お礼をぜひ直接お伝えしたいです。急ですけど明日は買い物の日なので大丈夫かと。難しいなら金曜日なら出れます』
二人からの返答を小野田に連絡をする。
『良かったー! じゃあ、さっそく明日午後休取ります! 場所は先輩にお任せで!』
提示された日にちの最も早い日付を選んだ小野田からの返信を、弥生とみのりに伝えていつものカフェを指定する。問題なく了承が取れて明日の午後、カフェで落ち合うことがすんなりと決まった。
「そんなに急いで話したいことって何……?」
掃除機かけに戻りながら、絢子は蟠る不安を吐き出した。
突然届いた後輩からの連絡は、哲也の相談があってから特に残業も増えないもどかしい現状に、ちょっとした希望をもたらすことになった。
※※※※※
いつもカフェのいつもの席に集まったチーム・サレ妻に、小野田はニコニコと笑みを浮かべて丁寧に挨拶をした。
「初めまして。T商事・総務の小野田と言います」
「ウチ、池澤 みのり! 小野田さんが絢子さんに連絡してくれたんでしょ? おかげで騙されたままにならずに済んだー。マジでありがとー!!」
「今井 弥生です。クズの本性を知る機会を下さって、私も本当に感謝しています」
小野田がみのりの勢いと噂の美人妻の「毒」に、面食らったように絢子を振り向いた。
絢子は苦笑を浮かべて頷く。見た目も年齢もバラバラ。それなのに旧知の仲のように、気安いことに驚いたのかもしれない。それとも浮気されていることが発覚したばかりのサレ妻達が、妙に吹っ切れて明るいことが衝撃だったのかもしれない。
「小野田ちゃん、私たち本当に感謝してるのよ。今は相談しながら証拠を集めてるとこなの」
「あー……正直、私のせいでって言われても仕方ないって、ちょっと気まずくもあって……でもなんというか……」
「びっくりしましたか?」
くすくす笑った弥生に、小野田が苦笑しながら頷いた。弥生の隣のみのりが、ニッと笑みを浮かべる。
「ショックじゃなかったって言ったら、ウソにはなるけどさ。でもウチらは同じ境遇のチームメイトがいるし!」
「今は三人で励まし合いながら、最高の舞台が整うのを待ってるところで」
「最高の舞台……」
「そうそう! 最後は現場に絶対乗り込んで、叩きのめしてやる予定」
「だから気にしないでください。むしろ目が覚めるきっかけになってくださって、ありがとうございます」
小野田がみのりと弥生の言葉に、ホッとしたように表情を緩めた。発覚当時、小野田に恨みがましい気持ちを抱いていた絢子は、そんな小野田に心の中で謝罪した。人生を左右するような事実は、告げられる方ばかりでなく告げた方も思い悩む。
小野田の気持ちに考えを巡らす余裕のなかった自分が、今となっては恥ずかしい。
「でも、今ちょっと停滞してるんですけどね」
「そうなんだよねー……」
顔を顰めながら顔を見合わせた弥生とみのりに、小野田は問うように絢子を振り返る。眉尻を下げた絢子は、
「実はね……」
小野田に現状を説明し始めた。証拠集めや弁護士への相談状況。そして三人が揉め始め、急に残業が減ったこと。その上馬鹿らしいことに、不倫相手達がマウント合戦をし始めたらしいことを話し終える。
「なるほど……それで賭け、なんですね」
「そうなの。行き詰まっちゃてて、賭けでもして見守るしかないなって。ちなみに小野田さんは誰がやらかすと思う?」
「みのりさん……」
身を乗り出したみのりに、絢子が呆れたように呟くと、小野田はニヤリと笑った。
「……じゃあ、私は今井さんと伊藤さんで」
「伊藤さん?」
「はい。池澤さんのお相手の、伊藤 由衣。営業二課のアルバイトです」
「……家のクズと伊藤って方だと思う理由はなんでしょう?」
訳知り顔をしてみせる小野田に、みのりと弥生が興奮気味に身を乗り出した。すっかり賭けに乗り気の二人に、絢子はやれやれとため息をついたが、小野田の賭けの根拠は興味が湧いた。
「何か知ってるの?」
「実は何かお力になれないかって、私も色々調べてみたんです」
小野田が得意げに胸を張ると、チーム・サレ妻の面子を見回した。
小野田は絢子に保養所の同意書の連絡をしてから、ある程度の事情を察しそれぞれの様子を注視していたという。それと同時に社内でそれとなく聞き込みをしてくれていたそうだ。
「不倫のきっかけは、半年前の歓迎会っぽいです」
新しく入ったアルバイトの歓迎会を、営業部の三課合同で開催した飲み会。その飲み会が浮気開始のきっかけになったようだ。元々同じ課で中の良かった夫達と、席の近くなった不倫相手達が盛り上がり、その日以降、不倫相手達はランチを共にするようになったそうだ。
「なんの共通点もない、あの三人の組み合わせなので、みんな首を捻ってて。それとその頃から須藤さんの服装とか化粧が、急に派手になったとか。若い人に感化されたんじゃって言われてました」
「あー、あの痛いミニスカートね」
「誰も指摘してあげてないのは、須藤って方が嫌われてるからですか? あれはひどいですよ?」
辛辣なみのりと弥生に、小野田が笑いを堪えた。
「本人は気に入ってるみたいなのに……須藤さん、派遣で長く勤務してるんですけど、ちょっとヒステリックで敬遠されてるんです。でも服装が変わってからは、変に機嫌がいいらしくて……」
「ババア、キモいね。わかりやすくてウケる」
「あの三人の取り合わせでのランチは、確かに目立ちそう……」
絢子の呟きに小野田が頷き、淡々と社内の詳細を語りだす。
大地の相手の伊藤は勤務態度が良くない上、異性と同性であからさまに態度を変えるという。男性には媚を売り、女性には自分の仕事を押し付けているので、当然の如く女性陣の評判は良くない。
哲也の相手の須藤は既婚者で四十代。派遣でそこそこの期間勤務しているが、だいぶ扱いにくいようだ。いつも不機嫌なのは、家庭がうまくいってないせいと噂があるらしい。それが急に服装が派手になり、妙に機嫌が良くなった。
直樹の相手の森永は、誰に対しても必要最低限の会話しかしない。性格は鬱屈していて攻撃的。たまに口を開くと高圧的な物言いをするようで、態度にも棘があり遠巻きにされているようだ。伊藤とは反対の意味で浮いている。
そんな年齢も性格も違いそうな三人が、なんのきっかけもなくランチをする仲になることは考えにくい。
「今は仲がいいって思われてるみたいですけど……」
「実際はマウントし合ってんだよね。ストレスやばそー」
「浮気仲間として最初は連帯感があったんでしょうね。それにしても……三人とも社内で浮いてる人なのは……」
顔を顰めた弥生に、みのりは首を横に振った。
「普通の人って人のモノには手を出さないじゃん? つまり手を出すってのは、普通じゃないってことだし」
「それは、まあ、そうですね」
相変わらず辛辣な二人に、絢子と小野田は苦笑して顔を見合わせた。
「で、小野田さんは、なんで最初は弥生さんの旦那と、ウチのゴミの浮気相手だと思うの?」
「ゴミ……まあ、浮気する男はゴミではありますね。理由は単純に、わかりやすくターゲットが変更されてるからですね」
「ターゲット?」
「伊藤さんって、どの男にも全方向で媚を売ってるんですけど、狙いをつけた人には特にあからさまなんです」
「あー、あー。いるいる、そういう女」
「ちょっと前まで今は池澤さんなのねって、わかりやすかったんですけど、それが今井さんに変わったんです」
「趣味、悪いですね」
弥生が真顔バッサリと切り捨て、小野田は気まずそうに笑みを浮かべた。
「今井さんも今まで営業資料を森永さんに頼んでたのに、今は伊藤さんに真っ先に声をかけるらしいです。でも伊藤さんは引き受けた資料作り、森永さんに押し付けてるみたいですけど……」
「うわー……」
みのりが顔を顰めながらも、ニヤニヤした。マウント合戦は社内だろうが、水面下で繰り広げられてるようだ。
「すごい煽り性能が高い人なんですね」
「息をするように煽る」
「森永さん、すごい目で睨んでるみたいですよ」
いっそ感心し出した二人に小野田も苦笑で頷いたが、顔を顰めて絢子を振り返った。
「……でも、伊藤さんの本命って、上原さんらしくて……」
「え、哲也が本命?」
目を見張った絢子に、小野田が気まずそうに頷いた。
「……伊藤さん、入社当時から上原さんのことを素敵だって言い回ってて、男性社員と話し込んだ後は必ず上原さんの反応を確認するとか……」
「そう……」
「絢子さんの旦那さん、爽やかで見た目は一番イケてるもんね」
頬杖をついて頷いたみのりに、絢子は曖昧に笑うしかなかった。顔はそこそこだろうが、浮気発覚からすっかり宇宙人になってしまっている。多少の顔の良さでは賄いきれない。
「あ! でも上原さん、伊藤さんに全然興味ないんです! 営業部署内で唯一、伊藤さんに塩対応で……」
絢子と哲也の経緯を知っている小野田の、フォローするように取りなしに絢子は苦笑を浮かべた。
「いや、でも浮気してて、相手だって須藤さんなのよ?」
なんの慰めにもならない。小野田が落ち込んだように肩を落とし、落ち着かない様子で絢子を気にしている。絢子は励ますように笑みを向けた。
「……小野田ちゃん、そんな気を使わないでいいから。もうどうあっても取り返しはつかないし、もう離婚って決めてるの」
「はい……」
「今はもう理由がわかればいいかなって。ほら、伊藤さんだけじゃなく元々人気はあって、いろんな人からアプローチされてたじゃない?」
「……去年結婚した三山さんも、でしたよね」
美人で仕事にも真面目だった、三山の名前に絢子も頷いた。
「それなのに選んだのは私で、浮気相手は須藤さん……」
考え込む絢子にみのりと弥生も苦い顔になる。
「絢子さんの旦那さん、宇宙人ですもんね……」
「うん……マジで訳わかんない……」
「でも年上好き、なのは確実かと。それもあって若い伊藤って人には、塩対応なんですよ、きっと」
「年上ってか、熟女じゃん。須藤って女、四十超えてるよね?」
金髪の髪を指に巻き付け、おでこにシワを寄せたみのりに、
「確か四十二歳だったかと……」
と小野田が答え、絢子は眉根を寄せた。
「十五歳差、ね……」
「ひと回り以上、上。それで張り切って若作りしちゃってるんですね……」
「うげぇ、きもっ! 実年齢より老けて見えるよね? その点伊藤って女はわかりやすいわ。絢子さんの旦那さんが本命だけど、塩対応で余計燃えてるってことでしょ?」
「あー、チヤホヤされてないと気が済まないタイプですもんね」
「それなのに弥生さんの旦那さんを誘惑するんですか?」
首を傾げた絢子に、みのりが鼻の頭に皺を寄せながら頷いた。
「そういう女、いるよ。男と絡んで私こんなにモテるのよとか、取られちゃうけどいいのってチラチラってアピールするうざい女」
「ふふっ。家のクズは絶対引っかかると思うので。いい面の皮ですよね」
「ウチのゴミは、浮気相手に浮気されるのか。惨めー」
忍び笑う二人に、絢子は呆れて首を振った。
「二人とも楽しみすぎですよ。ほら、小野田ちゃんが引いてます」
「あ、すいません。慰謝料のおかわりできそうだなって、つい浮かれてしまって」
嗜められた二人が首を竦めた。絢子はため息をつくと、改めて三人に向き直る。
「とりあえず、一つは矢印が成立はしそうだとわかりました。でも他はどうでしょう。家のは多数決の多数側にいたい人だから、矢印が増えたら参加しそうですけど……」
「森永さん、無口ですけど沸点がすごく低い人なので、何かしら行動するすると思いますよ?」
「ウチのゴミに来ないかな? ウチもおかわり欲しい!」
「きっとチャンスはありますよ。どこまで愚行を重ねるか、楽しみですね」
にっこり笑った弥生に、小野田は愛想笑いを浮かべた。清楚な美貌の弥生の毒に、まだ慣れないようだ。
「……あ、そうだ。これお渡ししておこうと思って」
小野田はカバンを引き寄せて、封筒を三人に差し出した。中身を確認すると、保養所の家族同意書のコピーが入っている。
「家族同意書の控えです。必要ですよね?」
ニヤリと口角を上げた小野田に、三人はパッと顔を輝かせる。利用目的の欄には家族旅行と書かれた、本人が書いた覚えのない同意書。
「小野田ちゃん……ありがとう」
「
絢子は小野田に感謝の微笑みを向けた。どうやら
「これも立派な証拠になるよね!? ほんと助かる! ありがとう、小野田さん!」
キラキラと瞳を輝かせて歓声を上げたみのりに、小野田はにっこりと笑みを浮かべた。
「良かったです。その代わりお礼と言ってはなんですけど、私のお願いを聞いてもらっていいですか?」
みのりと弥生と顔を見合わせ、絢子も小野田に首を傾げた。
「お願い?」
「はい。実はリフレッシュ休暇なんですけど、私も
「小野田ちゃん……?」
「それで軽井沢の保養所の申請したんですけど、一緒に来てくれる友達が見つからなくて。でも一人で行っても楽しくないじゃないですか。なので同意書再発行のお礼ってことで、私の軽井沢行きに付き合ってくれませんか?」
思わぬ小野田からの申し出に、チーム・サレ妻の面々が目を見開く。
「最高の舞台、でしたよね? 私が舞台への招待状を用意します。きっかけになった責任もあるので、最高の舞台を最前列で見届けさせてください」
ニヤリと笑う小野田をチーム・サレ妻に、心強い仲間として新たに迎え入れることになった。
会社貸切になって、一般客としては潜り込めない旅館への突入態勢は、小野田の加入によって万全となった。あとは三人と不倫相手が、不倫旅行を決行するかによって迎えるエンディングは変わることになる。
チーム・サレ妻メンバーは、こうして着々と証拠を集めながら、裏切り者達の動向を見守ることになった。
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