第12話 弥生の覚醒
「私ができること、してみました」
いつものカフェで鈴蘭のような、嫋やかな弥生の微笑に絢子とみのりは顔を見合わせた。
「暗証番号を知らされている場合、確か大丈夫だったはずでしたので……」
「……これ」
弥生が差し出した紙束をみのりと覗き込んで、絢子は呆然と顔を上げた。
「結婚した時にロックの番号をお互いの誕生日にしたんです。試しにやってみたら解除できたんです。変更してないってことは、つまりは知らされているのと同義かなって」
にっこりと笑みを浮かべた弥生に、絢子は唾を飲み込んだ。紙束を持つ手が震える。
「微塵も思ってないみたいなんですよね。私が疑うとか、携帯を覗くとかは。流石に通知音は切る知恵はあるみたいですけど、普通浮気してると家でも携帯を手放さないらしいのに、コソコソする気さえないのは呆れます」
「弥生さん……覚醒しちゃった……」
小さく呟いたみのりの言葉に、絢子もうっかり頷く。清洌な鈴蘭はとても控えめで綺麗だけど、そういえば毒があるのだ。美しくても葉にも花にも。静かにゆっくりと効く毒が。
「それにしても……普通こんなやりとりしてるスマホ、その辺に放置する?」
「本当に、私もそう思います。だいぶバカにされてるみたいです」
みのりが呆れたように紙束をめくり、弥生もニコニコと頷いた。弥生が持ってきたのはチーム・サレ妻ならぬ、チーム・シタ夫たちのやりとり。口裏合わせの内容や、不倫旅行についての内容が筒抜けだった。
「さすがに定期的に削除はしてるかー……でもさ、不倫旅行の計画分かるのは超助かるー!」
みのりの言うように、確認できるのは最近の分だけ。それでも口裏合わせの内容や不倫旅行の相談の詳細が、こうして確認できるのはこちらの有利になるはずだ。
「定期的に証拠として確保してお渡ししますね。ずっとお二人に頼り切りだったので。これで準備万端、不倫旅行の現場を押さえられますね!」
「え……乗り込むの……?」
「乗り込みますよ? 絢子さんが言い出したんじゃないですか」
「そうだけど……」
浮気がわかった時は乗り込む気満々で、二人に協力を要請しようと行動した。今もできればそうしたいと思ってはいるが、一番離婚に消極的だった弥生が乗り気なのに、絢子は驚いて目を見開いた。
「そうだよね! 乗り込むよね! さすが弥生さん! 分かってる!」
「最高の舞台を向こうがのこのこ用意してるんです。それは乗り込まないと」
「そうそう! こんなにバカにされてんだもん! こっちだってきっちりやり返さないと気が済まない!」
みのりがバンっとテーブルに封筒を、叩きつけるように出す。浮気の追加の証拠写真らしい中身に、絢子はため息をついた。
「ちゃんと説明したよ! その上で手伝ってくれるって!」
言い訳するように言い募るみのりに、絢子は叩きつけられた写真に手を伸ばす。
「……ちゃんと説明したのはわかります。日時に場所まで……」
写真には走り書きのメモも一緒に写り込んでいる。写真も横顔や後ろ姿ではなく、ちゃんと個人の特定ができる。その上、ホテルへ入るところ、出るところなど決定的な場面ばかりだ。なんというか、浮気現場撮影の腕を上げてしまっている。
「みのりさん。証拠能力のある写真の説明だけじゃなくて、盗撮として指摘される可能性についてをちゃんと……」
「……ホテル入り口で写真を撮ったら、たまたま写り込んだ……」
ボソッと呟いた弥生を、みのりが振り返り満面の笑みで頷いた。
「…………っ!! そう、たまたま! たまたまなの! 撮ろうと思って撮ったわけじゃないから!」
「日時と場所を書いたメモ書きまで一緒に写してですか?」
「……うん!」
絢子を伺いながらも、キッパリと頷いたみのりに絢子は押し黙る。
大いに助かっているのは事実だった。義憤に駆られながらも探偵ごっこを大いに楽しんでいるらしい彼らは、本当に残業で空振りだったとしても、退社時刻を正確に知らせてくれている。探偵に依頼するより、よりこまめに柔軟に対応してくれているのは本当に助かってはいる。
「絢子さん……ウチも何かしたいの……」
縋るように絢子に瞳を縋らせるみのりに、絢子はため息をついた。その気持ちは痛いほどわかる。
「……正直、とても助かっています」
パッと嬉しそうに顔を綻ばせるみのりに、絢子はしっかりと言い聞かせた。
「でも無理はしないこと! 優先順位を間違えないこと! それだけは守ってください。手伝ってくれる方の生活が最優先です。支障をきたすようなら、すぐにやめてもらってくださいね」
「うん! 約束する!」
顔を輝かせるみのりに絢子は苦笑を浮かべた。何かをしてる方が気が紛れる。前に進めているように思えるから。でも何かしたくてもみのりは妊婦。無理に止めて自分で何かしようと無理をさせるくらいなら、みのりとみのりの友人たちを信じる方がいい。
「私も実は弁護士に相談に行ってきたんです。今までの写真も見てもらいましたが、特に何も言われなかったんですよね……」
「まあ、普通は探偵とかだって思いますもんね」
苦笑した弥生に絢子も苦笑を返す。普通はローテーションまで組んで、嬉々として浮気調査を第三者がしたりはしない。
「それで慰謝料の相場や、提示できる条件なんかを聞いてきたんですけど……弁護士に関しては、それぞれが依頼する必要がありそうですね」
「絢子さんが頼む人に、一緒にお願いできないの?」
「受けてくれるかは弁護士さん次第でしょうけど、多分難しいと思います。望む条件や相手の言い分も同じではないでしょうし、何より揉めた場合、離婚調停になったりしたら単純に一人の弁護士さんでは対応しきれないと思います」
「まあ、そっか……」
「正直、弥生さんもみのりさんも揉めると思うんですよね。なのでそれぞれ相談できる弁護士さんは、見つけておいた方がいいと思います」
「父の知り合いに弁護士がいるので、聞いてみます。みのりさんが頼めそうな人も、一緒に聞いてみますか?」
「弥生さん、本当? そうしてくれると助かるー!」
揉めるようなら弁護士を入れる。で三人は頷き合った。絢子はそこで息を吸い込み、二人に改めて向き合う。
「……不倫旅行に乗り込む。お二人はそれで構いませんか?」
「もちろん行くし!」
「やるなら徹底的にやりたいですね」
やる気満々のみのりと、すっかり覚醒したらしい弥生。二人を見つめ、絢子も重々しく頷いた。
「私もやるなら再構築なんて口にできないくらい、徹底的にやりたいと思っています。ただ、一つ気になることがありまして……」
「……何?」
「実は私が相談してきたのは、離婚に強い弁護士さんで……その時に確認されたんです……」
言いにくさに口ごもる絢子に、みのりと弥生が首を傾げる。絢子はテーブルに散らばる写真に手を伸ばし、哲也が女と歩く写真を見つめた。
「……状況を説明したところ、相手が一人なのかと確認されました」
「……? 一人?」
「浮気のパートナーを変えて、楽しんでいる可能性を指摘されたんです……」
「「…………っ!!」」
みのりと弥生が衝撃受けたように押し黙る。絢子は引き寄せた三人の夫たちの浮気写真に視線を落とした。
「すでに不倫という倫理感を破った状態で、その行動を口裏を合わせるような黙認する仲間がいる。そういう連帯感からエスカレートしていく場合があるらしいです」
「……それって浮気どころか、相手をお互いに変えたりしてないかってこと?」
「あー、下手したら乱交とかもあり得るかもしれませんね?」
いつもの如くズバッと切り込んできたみのり。そこに弥生がとんでも発言を被せてきた。覚醒した弥生が強い。絢子も苦い顔で頷いた。
「正直確認されて、確かにあり得ない話じゃないなって思いました……居酒屋に集合してた時、妙に仲がいいのが気になったくらいですし……」
チラリと弥生を見た絢子に、弥生は頷いた。
「確かにあり得ない話じゃないと思います。でも……」
弥生はみのりが持ち込んだ写真を何枚か引き寄せた。三人の夫をそれぞれ並べると、絢子とみのりに顔をあげる。
「……どう、思います?」
それは薄々三人とも思っていたことだった。咄嗟に言葉が出て来ずに、三人は難しい顔をして顔を見合わせた。
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