第9話 正しい浮気調査講座
すでに定位置となりつつ席に集まった弥生とみのりに、絢子はスッとファイルを差し出した。
「みのりさんから受け取った写真を、日時と場所、わかる範囲で整理してみました」
「うわ、これすごい! めっちゃわかりやすいじゃん!」
みのりに確認してもらった、場所と日時と状況を時系列順に記載した資料。その時系列が該当の写真を見開きで確認できるようにした、ファイルにみのりが歓声をあげる。
「こういう仕事は得意なんです」
「みのりさん、絢子さんって、すごいキャリアウーマンだったんですよ」
自慢げに言った弥生に、みのりが頷きを返す。
「これ見ただけでめっちゃ分かる!」
浮気状況がよくわかる資料を褒められる状況に、絢子は苦笑を浮かべながら二人に顔を上げた。
「すいません。お二人ともファイルの一番最後を見てもらっていいですか? 中身を確認する前に確認してほしいことがあるんです」
「これは……」
「弁護士とかにはまだ相談できてなくて。ネットでわかった範囲のものになりますが、証拠集めの関する注意点になります」
1・スマホのロック解除で中身の確認や、SDカードからの中身の抜き取り。
2・GPS設置や、アプリのインストール。
3・盗聴器の設置。
「これらはいずれもプライバシーの侵害とみなされるみたいなんです」
「えー! スマホなんて誰でも見るじゃん!」
みのりが頬を膨らませる様子に、絢子は宥めるように眉尻を下げた。
「弁護士に相談したわけではないので、あくまでネットでの情報です。正直プライバシーの侵害だって相手が騒いだとして、配偶者の立場でこの方法で不貞の特定のためだけにした場合、不貞行為って明確な違法行為とどこまで争えるのかって気はしてます」
「えっと……一般的には慰謝料として十万から五十万くらいになるみたいですね。ばら撒くとか悪質だと百万超えるみたいですけど……」
スマホを覗き込みながら弥生が頷く。
「スマホはロックされてないとか、暗証番号を教えられてたりすると大丈夫みたいですけど。でも確信までは持てないです」
「そうなんだー」
「それと写真と録音なんですが……第三者の撮影と録音は違法行為となる可能性があって……」
「ええー! 探偵だってやってるじゃん!」
「探偵って探偵業法って法律に基づいて、調査が認められてるみたいなんですよね……」
「でもさー」
「写真については基本的に、不法侵入とか無茶をしなければ大丈夫そうです。写真撮影以外で証拠を押さえる方法がない場合は、認められることがほとんどみたいです。反社会的に入手したり、ばら撒いたりは当然ダメですけど」
「第三者の撮影もですか?」
「そこはちょっと微妙なんです……」
俯いて考え込み始めた弥生に、みのりが仏頂面を絢子に向けた。
「……じゃあ、録音は?」
「……私たちが録音したものは認められるみたいなんですど、第三者が録音したものは盗聴として扱われることもあるみたいなんです」
「でもさー!」
納得がいかない様子のみのりに、絢子はキッパリと言い渡した。
「みのりさんの大切な友達です。善意で協力してくれたのに、そのせいで不利益を被ることがあって欲しくないです」
「それは私もです。残業って言われた日に調査を続ければいいので、その日だけ探偵を依頼するとか方法はあると思います。それに今までの分でも、十分継続的だって証明できると思いますし」
「写真はよくない? 出所を気にする余裕なくない? 普通探偵だろうって思うだろうし」
確かに浮気の証拠として写真を提示されて、どう入手したかの証拠を揃えてというのは現実的ではない。
「でももし……」
「絢子さんと弥生さんはさー、写真は誰が撮ったのかって言う?」
「言うわけないです!」
「絶対言いません!」
「なら、ちゃんとこれを説明してならいいでしょ? ウチだって無理やり手伝ってもらおうなんて思ってないし」
譲らないみのりに絢子は弥生と顔を見合わせた。
「本当にちゃんと説明してくださいね……」
「わかってるって!」
渋々そう口を開いた絢子に、みのりは片目をつぶってみせる。絢子はますます不安になり、ため息を吐き出す。
「でもさー、これ本当、すごいよくできてるよね。すごいわかりやすい」
「本当ですよね。さすが絢子さんです!」
ファイルをペラペラめくる二人が、徐々に苦い顔になる。わかりやすくしようとした資料は、目論見通りわかりやすくなっているようだ。一目で裏切りの詳細が分かる内容なだけに、写真整理の整理の段階で散々見ていた絢子は苦笑するしかなかった。
週を追うごとに残業は増え、写真の枚数も増えていく。
「本当さー、毎回毎回ホテル行くとか猿かよ……!」
イライラしたようにみのりはファイルをバシッと閉じた。
「絢子さん最高にわかりやすくて、めっちゃムカついた! ありがと!」
「……大変でしたよね。ありがとうございます」
「浮気の資料づくりでお礼言われるの、なんか変な感じだわ……」
「確かに」
笑ったみのりに釣られてつい三人で笑い出してしまう。浮気をされているのに、こんなふうに笑える瞬間があるのは、弥生とみのりがいるおかげだ。二人を見つめていた絢子に、弥生がそっと向き直る。
「お仕事続けようとは思わなかったんですか?」
「あ……」
笑えていた気持ちが急速に落ち込み、絢子は唇を引き結んだ。
「あー……確かに。もったいないよね」
「私はいてもいなくても同じでしたけど、絢子さんくらい仕事ができるなら引き留められたんじゃないですか?」
二人からの問うような視線を避けるように、絢子は小さく俯いた。
「……私も本当は続けたかったんです」
言葉にすると心臓が握り締められるように苦しくなった。でも溜め込んで押し殺していた気持ちは、溢れるように出てきて止まらなくなる。
誰よりも認めて欲しかった人に、否定されて踏みつけられた気持ち。だからこそ誰かに聞いて欲しくなったのかもしれない。認めて欲しくなったのかもしれない。絢子にとって大切だったものは、ちゃんと価値があるものだったと言って欲しかったのかもしれない。
「私、プロポーズを二回、先延ばしにしたんです。どうしても仕事を続けてたくて……」
話し出すと鼻の奥がツンとした。じわりと目頭が熱くなって、無理やり笑みを作ると顔を上げる。
「でも三回目の時に、子供のことを持ち出されたんです……その時は二十七で、私も子供は欲しかったから……それで悩みに悩んで結婚を選んだんです」
「絢子さん……」
「仕事はまた始められるかもしれない。でも子供を産むことができる期間は、どうしても決まってしまっているから……」
弥生が悲しそうに俯いた。絢子より少しだけ年上の弥生。もしかしたら弥生も、そういう思いを抱いているかもしれない。自分から誘ってまで、直樹と夜を共にしていたのだから。愛する人との子供が欲しい。そう思うのはごく自然な感情だ。
でも絢子にとって、浮気がいつ始まったかはともかく、今はもうその気持ちを利用されたとしか思えなかった。
「その資料を作ってる時、実は楽しかったんです。無心になれて正直、写真の内容とかあんまり気にしてなかったかもしれません。これが二人の助けになるかもしれないって思ったら燃えちゃって……」
絢子は滲んできた目元を拭いて、二人に顔をあげた。
「最初から仕事が好きだったわけじゃないんですよ。好きになったきっかけは、入社した時の教育係になってくれた方のおかげなんです」
絢子は大切にしまってきた、思い出の箱の蓋を開けていく。
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