6:穴があったら入りたい

 恥ずかしい……。

 あんな公衆の面前で、大声出したの恥ずかしい……。


 気分最悪。人の胸倉を掴むなんて、人生で初体験だった。

 馬鹿野郎の息がタバコ臭かったのを思い出す。おげえ。吐きそう……。

 人に手を上げたことだってなかったのに、なんだって俺は、あの時……。


 イキリオタクめいたことを……!


「うおおお……黒歴史を現行で作ってしまうとは……!」


 自室のベッドで、布団の柔らかさに身を沈めながらもだえ苦しむ。

 夕暮れに、明かりもつけず、昼間の出来事を思い出し……苦悶する。

 なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった?


 巡るめく自問。答えは……わかっている。

 だけどその答えに辿り着いたところで、意味などないのだ。

 だってもう、イキり散らかした過去は変えられない。だからひたすらに後悔するしかなかった。


 なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった? なぜイキった?


「ああああああああああ! 消えたい! もうこの街にいられない! はやく東京に行ってしまおう! 四年間……いや、就職だってあっちでして、ここにはもう、戻らない方がいい……!」


 公衆の面前で。なにより、義妹の前で……。

 ……好きな人の前で。


 恫喝し、あまつさえ暴力に訴えようとした。

 引くわー……。

 

 たとえ相手が、人の義妹を散々コケにしようが、侮辱しようが、俺は怒りを原動力に行動するべきじゃなかった。

 もっと大人らしく! 大学生らしく!

 顔みりゃ、あの馬鹿野郎は死んでも大学なんて行けないだろうことはわかる。Fランだって無理だ。


 だから俺は、もっと知的に煽り返してやればよかったんだ。

 ふっ。IQが20違えば会話が成立しないというのは本当のようですね。(メガネクイっ)

 みたいな。いやこっちもダサいわ。


「どうすればよかったんだ……?」


 あんなの、大災に遭ったのと同じだ。無惨だ無惨。

 何を言い返してもやり返しても、相手よりもこっちのダメージの方がはるかにデカい。

 その上で、俺は、取り乱してしまったものだから、より深刻なダメージが残ってしまった。理不尽この上ない。

 ゲームする気にもなれない。


 —―コンコン。

 ふと、ドアのノックされる。

 返事をせずとも、ガチャとドアは開かれた。


「うわ、真っ暗じゃん。お兄ちゃん、もう寝たの?」


 ミキだ。今一番会いたくない人物。

 しかし当事者かつ同じ屋根の下に暮らしている以上、俺の意向は必ずしも反映されるものじゃない。

 こうして勝手に入ってこられれば、相対するするしかないのだ。むしろ被害者は彼女自身なのだから、無下にできるはずもない。

 俺は勝手にイキって恥をさらしただけ……ぐおお……!

 いや、今は黒歴史に悶える時間じゃない。ミキの相手をしてやらねば……。


「……寝てない。どうした?」


 布団にくるまったまま、ミキに目を向けもせず答える。


「あ、そ。……や、お出かけした時の話なんだけどさ。私のために、あいつに怒ってくれたよね。まだ、お礼言ってないなーって思って」


 あの後、普通にシラケて、あれ以上買い物する気分でもなくなって、さっさと家に帰ってしまった。そこからずっと俺はふて寝。

 うーん……今更ながら、事後のムーブもかなりダサい……。ツラい……。


「いやー、むしろ事態が悪化したんじゃないかって。申し訳ないよ……」


「べっつに! あれくらいやらないと、あーゆー奴ってずっと調子に乗ったままだし。……ありがとって感じ」


「……ども」


 感謝されちゃったよ。

 まあ、気を使ってるだけだよな。俺が落ち込んでるから。

 被害者にフォローさせるなんて、恥の上塗りもいいとこだ。


「……ぷっ。でもさぁ、全然キャラじゃないことしたよねー。あいつの言動に腹立つより、お兄ちゃんの行動がビックリすぎて、むしろ面白かったよね」


「くぅ! ああ、笑ってくれ……! 一思いに、バカにしてくれ!」


 これもミキなりの気の使い方なんだろう。ああ、こっちの方がむしろ楽だ。自責するよりも、人に責められる方がマシなこともある。

 だけど、ミキは別に、俺を責めるつもりで言ったわけじゃないようだった。


「何言ってんの? バカにするわけないじゃん。カッコよかったって話してるんだけど?」


「……そうなの?」


「そーだよ」


 そうだろうか? 面白かったって言ってたよ?


「……それにさ。あいつの言ってること、あながち、間違いでもないんじゃない?」


「は? 何が?」


 あろうことか、馬鹿を肯定するような発言をするミキにムっとする。

 あんなひどいことを言われて、慣れていようが受け流していようが、それはミキの裁量だ。だが、誤解を認めてしまうのは間違っている。

 自分で自分を貶めることをしてはならない。


「あいつの捨て台詞覚えてる?」


 忘れるものか。そのせいで俺は今、自己嫌悪に陥っているのだ。


 自分の兄貴ともヤってんのかよ。気色わりぃ。だと?


 そんな想像をするお前の方が気色わりぃわ!

 ああ! 今思いついた! 「ママのおっぱいでも飲んでろ!」って言えてればカウンターになってたじゃん! くっそー! あの場面で咄嗟に言えてたら今頃はまだマシな気分だったろうに!


「普通の兄妹ならさ。きっとあんなこと言われたら、そりゃ侮辱されたって感じるんだろうけどさ。でも私たちって、違うじゃん? 血の繋がりとかないじゃん。どっちも、親同士の連れ子だったわけでしょ」


 うん。


「別にヤってても、好き同士なら、普通じゃない?」


 ……うん?


「私たちもう、そういうことしてもいい年齢だよ?」


 暗い室内。いったいミキは、どんな顔で、そのようなことを言うのだろうか。

 くるまった布団を退けて、ミキのいる方を向いた。

 開けたままのドアから差し込む証明が逆光になって、ミキの表情は余計にわからない。




 だけどミキは思ったよりも俺の近くにいて。

 振り向いた俺の鼻先が、彼女の唇に、かすめるほどだった……。

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