5:馬鹿の相手

 俺の義妹は≪遊んでる≫らしい。

 ただ、この前、ミキ本人から聞いたのだが、どうもその噂は嘘らしい。


 ただ、義兄であり陰キャな俺の耳にまで届くような噂だ。

 悲しいかな、ちまたでは有名な話で、挙げ句に尾ひれも背びれもついたよ如何わしい話まで出回る始末。

 そんな噂を鵜呑みにした、馬鹿な男どもに言い寄られることも一度や二度ではないとのことだった。


「お兄ちゃん、買い物付き合ってよ」


「あー。……いいぞ。でもちょっと待って! 今ゲリラクエストで報酬ウマウマタイムにつき爆速周回してるとこだから!」


「ふーん。……大学に行っても、そうやって女の子の誘いを蹴るんだ?」


「……え? い、いや、蹴ったわけじゃ……これ終わったら行くから……」


「わかんないの? お兄ちゃんは今、私とのデートよりもゲームを優先したの。ゲーム以下の女って言われたわけ、私は。……そんな男、最早こっちから願い下げよ」


 ツンと突っぱねるミキの態度に、ゾっと背筋が凍る思いだった。

 だって、あまりにも正論すぎるんだから……!


「え? ……え? いや、ちがっ……!」


 言葉が詰まる。

 そんな俺を意に介さず、ミキは次の言葉を紡いだ。


「はい。じゃあ時間、巻き戻すね。キュルキュルキュルル〜! ほらお兄ちゃん、またさっきと同じ格好して! ソファに寝そべって!」


「へ?」


「早く!」


「あっはい」


 突然、ミキは時間を戻し始めた。


「私またあっちからやってくるから。いい? はいじゃあ、二周目いくよ? スタート! ほらいつもみたいにスマホゲームする!」


「えぇ……」


 突然の設定に困惑するも、今は義妹の指示に従った方が賢明だろう。

 俺もさっきまでと同じポーズをとり、だが、もはやソシャゲの周回なんてしてる気分でもないので、画面だけ明るくした。

 どたどたと律義に廊下に消えていくミキは、またすぐにどたどたと近づいてきて、リビングのドアを開いて、言うのだ。

 先ほどと同じ言葉を。


「お兄ちゃん、買い物付き合ってよ」


 もちろん、俺の答えは、こうなる。同じ過ちは繰り返さない。


「……はい! 喜んで!」




 —―そんなやりとりの後、街へと繰り出した俺たちは、そこで出会ったのだ。

 ミキの噂を鵜呑みにした、馬鹿な男と――。


「ミキちゃあん。今日こそ俺と遊んでよぉ。なんでそんなオタク臭いやつと一緒にいんのさ?」


 街を歩いていふと、馬鹿そうな男がミキに言い寄ってきたのだった。マジでいるんだなこんなやつ……。


「すげぇな……」


 思わず感想が口をつく。馬鹿そうな男は一度俺を睨みつけ、しばらくメンチを切ってきたが、再びミキに視線を戻して言葉を続けた。


「ミキちゃあん。こいつ、用事あるんだってよ。だから今から俺と遊ぼうよ? なあ?」


 いきなり俺に用事があるとのたまう馬鹿。

 ミキもそりゃ、こう答える。


「はあ? 何いってんの」


「えー? 用事あるって今言ったじゃーん? なあ? おい?」


 馬鹿は俺に向かって睨みをきかせるが、そんな脅しに屈するわけないだろ。

 俺はお兄ちゃんだぞ。


「言ってないよ?」


「言うわけ無いでしょ。この人、私のお兄ちゃんなんですけど」


 ミキもむすっと反論。

 すると馬鹿は、むしろ好都合と言わんばかりにテンションを上げてきた。


「じゃあ尚更友達にさあ! ミキちゃん譲るもんでしょ! お兄さん、いいよね? ねえ?」


 いやいや、逆だ馬鹿。お兄ちゃんとして尚更、友達だったとしても、こんな下心丸出しクソ野郎に譲れるかよ。

 てか目の前で親族脅すやつ、仮にミキが≪遊んでる≫としてもドン引きだろ……。


 しかしらちが明かないな。こちとら、一発殴られるつもりでさらに強気で突っぱねてやろうとも思ったが、俺の義妹は聡い。

 言葉巧みに、馬鹿を翻弄してみせた。


「あんまり、私のお兄ちゃん舐めてると、大変なことになるよ?」


「あ?」


「こんな見た目だけど、格闘技で全国大会出てるから。せいぜい気をつけてねー」


 え? という顔で俺を見る馬鹿。

 だが俺もこの馬鹿と同じ顔をしていたことだろう。

 しばらく馬鹿面同士で見つめ合って……。


「……ちっ」


 折れたのは、馬鹿だった。

 馬鹿は舌打ちの後に背を向けて去っていく。

 そんな彼に聞こえないように、俺は義妹に耳打ちした。


「俺、格闘技やったことすらないけど?」


「いつも戦うゲームしてるじゃん。あれ全国の人と大会してるんでしょ? 同じコト同じコト」


「はー。まあ、そうか? いや違うな……だけど、グッジョブ」


「いひひ。いえーい」


 なんとか馬鹿を返り討ちにできた喜びを分かち合う最中。

 聞こえてしまった。




「自分の兄貴ともヤってんのかよ。気色わりぃ」


 馬鹿の声だった。俺たちに聞こえるように、わざと……。

 途端に、俺の中で、何かがプツンと音を立てた。


「—―ああ!?」


 喉が痛い。今の声は、俺か? 俺の怒声か?

 声だけじゃない。俺は風を切って馬鹿の背に歩み寄っていた。

 振り返る馬鹿が俺の顔を見た途端、ぎょっとした。


「ひっ!?」


 たじろぐ馬鹿の胸倉を掴む。振りかぶる拳を、止める術なんて俺にはなかった。


「お兄ちゃんやめて! あんなダサいヤツ、相手にしなくていいよ!」


 ……だが、ミキの言葉が、俺の蛮行を制した。

 拳は振り上げたまま、馬鹿に到達することなく、だらんと地面へと降ろされた。


「……もう行け。馬鹿野郎が」


 掴んだ胸倉を開放して、そう言ってやると、馬鹿は走って去っていった。

 むなしさだけが残った。

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