2:ペーパードライバーと駐車場

 一瞬、辺りは静まり返り、俺の心中が極寒の最中へと誘われた。

 なんとも情けない土下座からの起死回生を願った、とっさに出た一言がこれだ。


「な……なーんちゃって!」


 ドッキリ大成功! みたいな感じでおちゃらけた。

 まるでアホのように。努めてバカみたいに。小学生のガキがやるようなテンションで言ってやった。


「ほーら僕は今こんなにふざけてますよー! だからそれ以前のやり取りも、もちろんおふざけの範疇でしたよー!」と言わんばかりの変顔もしてみせて、さあどうだ。恐る恐る、ちらっとミキの顔を見る。


 一瞬、意地悪な笑みを携えているのが見えた気がした。

 だけどその表情はすぐに俺を蔑むものに変わり、深いため息をついたのだった。


「……はあ。お兄ちゃんの変顔って、死ぬほど面白くないよね。あー冷めたっ。ゲームもうしないなら、次、私の番ね」


 ミキは俺からコントローラーを奪い取ると、サブスクでやってる映画を見始めた。

 童貞のまま30歳を迎えた男が魔法使いになって世界を救うコメディだった。




 翌朝。

 俺の一日は早い。

 三つ掛け持ちしているソシャゲのデイリーミッションを効率的に達成していかなければならないからだ。

 リビングでソファに寝ころびながら、テレビのニュースを聞きかじりながら黙々と作業に没頭する。


「お兄ちゃん、ちょっと今日暇? 駅前まで乗せてってほしいんだけどー」


 義妹に世にかけられて顔を上げる。化粧もばっちりキメて、ニットのセーターを基調に洒落たかわいらしい服装で仕上げている。


「なんだ朝っぱらから。まだどこも店開いてないだろ」


「今何時だと思ってんの。今から行けばちょうどいいくらいでしょ」


 なぬ? と時計を振り返れば、デジタルな表記で9:40を示していた。確かに朝のニュースも、主婦層向けのバラエティ気味な番組に変わっている。

 俺としたことが、デイリーの消化にこんなにも時間がかかってしまうとは。だが、ミキの声掛けは非常にナイスなタイミングだった。ちょうど今しがた、最後のミッションを終えたところだ。


 ぐっと伸びをして、少し考える。まあ断る理由もない。暇だし。

 いいぞ。と返事をして、さっそくに、車を入手するべく立ち上がる。


「母さん、車貸してー」


「いいわよ。でも、ぶつけないでね?」


「極力ね」


 そんなことを言われるのは、心外でもなく、むしろ当然だと思っている。

 なぜなら俺は! ペーパードライバー!

 秋に免許を取ったはいいものの、まだまだ実践経験が乏しい。


「あ、そうだわ。お母さんも買い物あるから、連れて行きなさいな」


「ああ、いいけど――」


「ダメ! お兄ちゃんは今日は私につきあってもらうの!」


 母さんとの何気ない会話の途中で、義妹からグイっと腕を引き寄せられた。

 コラ、母さんをないがしろにするな。

 と思いつつ、義妹にここまで必要とされたことなんてこれまでの人生でなかったために、ついつい下心が俺の口をつぐませた。

 それに乗じてミキは交渉。


「お買い物なら私らでしてくるから、後でメッセ送ってね。じゃーね! いこ、お兄ちゃん!」


「あらあら。いってらっしゃい。気を付けてね」


「はーい」


 母さんもすぐに身を引き、結局、二人で出かけることになったのだった。

 ミキは、今日は俺に付き合ってもらうとか言ってたけど、駅前で友達と待ち合わせとかしてたんじゃないのか?

 買い物も俺たちで済ませるなんて言ってたし、今日はもしかして、ずっと二人で出歩くことになる……?


 なんか、デートみたいだな。

 そんな考えを口に出すことだけは、何が何でも我慢した。




「大丈夫? 線からはみ出てない? 後ろ下がりすぎてない?」


「ん-、大丈夫っぽい! オッケー! 上手じょーず! はいストーップ!」


 さて。駅の駐車場に車を止めて、デパートに駆り出す。

 そしてようやく、気づかされる。

 ミキの魂胆に――!


「お兄ちゃん、これ買ってよー」


「かわいー! これ欲しいなー!」


 おねだり攻撃。なんてこった。そりゃそうだ!

 小物に化粧品、昼飯は焼肉なんて奢らされた。自腹で焼肉食うなんて初めての経験だった……。


「デザートも食べたいなー。おいしいクレープ屋さんあるんだけど、そこにしよーよ!」


「はいはい。仰せのままに……」


 そして、ミキの今回のお出かけプランは街中をめぐるもので、確かにこれじゃあ車が必要で、母さんを連れまわすのも気が引ける。

 くそう。俺が東京に行っちまう前に、贅沢三昧させるつもりだな。

 俺には昨日の負い目もある……。まんまと、してやられたってわけだ。


 まあ、俺も、すっかり満喫したわけだけど。

 義理とはいえ、妹相手の叶わぬ恋路だった。それが今、俺は好きな人とデートできてしまっている。満足感はひとしおだ。

 そんな楽しい時間は、あっという間に過ぎた。


「—―そろそろ、母さんに頼まれた買い物して、帰んなきゃな」


「えーっ」


 不満の声をあげるミキだが、こればかりはわがままを聞いてやれん。

 帰宅を延ばすとその分、夕食にありつける時間も延びるからだ。


「あ、じゃあさ。最後に一か所だけ寄ってほしいんだけど。そこの角曲がってー」


「ええ? しょうがないな……」


 急に言われたものだから、反射的に曲がってしまった。まあ、あと一ヶ所だけならいいかと、言う通りにした。

 しかし、義妹が案内する道は、俺も地元だから知っている。

 こんなところに店はない。閑静な住宅街だ。

 穴場的な雑貨屋とかでもあるのか?


「あ、あったあった。ほら、あそこに入ろうよ」


「は? いやお前ここ……」


 少しして、ミキは目的地を発見して、そこを指さした。

 ……うん。


 いやラブホやんけ……。


 ドクンと心臓が弾ける。

 何言ってんだこいつ。昨日の続きか? また俺を馬鹿にしようってんのか?

 だけど、こんな下ネタな話、これまで俺たちは、してこなかった。それを二日連続で、しかもミキの方から振ってくるなんて、どうしたってんだ。




 その真意を探るべく、俺は――。

 —―とりあえず、ラブホの駐車場に潜入するのだった。


「うわ、本当に来ちゃった。ヤバ……」


 ミキはちょっと声が上ずってた。

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