《遊んでる》と噂の義妹が「とりあえず私で童貞捨てとく?」なんて言うもんだから

八幡寺うまみち

1:それは死体蹴りの最中に…

 高3の冬。俺はリビングで格ゲーのオンライン対戦に勤しんでいた。義妹は俺の後ろで、ソファに寝そべりながらそれを眺めている。


 そんな俺の義妹は《遊んでいる》らしい……。


 ふと、そんな噂が立っていることを思い出した。俺は大学受験も無事に合格して、暇を持て余していたんだ。余計なことも考えつく。

 来年度から、俺は東京で独り暮らしが始まる。もともと血の繋がりもない義妹とは疎遠になるだろう。

 だからせめて、兄として最後に、ぴしゃりと苦言を呈してやろうと思ったんだ。


「なあ、ミキ。お前……その、はっきり言うぞ。もっと自分の体を大事にしろよ」


「いや脈絡なさすぎない? え、どゆこと?」


 なんだか気恥ずかしくて、ミキの顔を直視できないが、きっと目を丸くして唖然としていることだろう。

 だが言ってしまった手前、俺だって引き返せない。

 どうせもう年に一度会うかどうかの間になるだろうという、お気楽な打算もあるからの強気な発言だ。

 これを言うまでに緊張で何連続も敗北を喫しているというフラストレーションも相まって、今の俺はかなり強気なのだ。ちなみにこの発言の最中もパーフェクト負けしてしまっていた……。


「お前、いろんな男をとっかえひっかえに遊んでるって噂だぞ。あんまり、関心しないな」


「あー。……ソレね。お兄ちゃんには関係ないでしょ」


 おっしゃる通り。関係ない。

 これはただのおせっかいだ。それも俺の一方的な親切心のおしつけだ。不満に思うのは当たり前。顔は見れないが、きっとムスっとしている。はい、また負けた。


「別に彼氏を作るなって言うわけじゃない。貞操観念を持てと言っているんだぞ」


「へえ、お兄ちゃんみたいに? 難攻不落の貞操の持ち主だもんね、お兄ちゃんは」


「いっそきっぱり童貞って言えよ! 別に恥じてないから!」


「えー、恥ずかしくないの? 本当に? ……もしかして、これまで童貞だったのに、大学生になったらいきなりモテまくって、童貞なんてすぐに捨てられるとでも思ってるの?」


「……え、えっ?」


 言葉に詰まった。

 兄として、威厳を持って説教してやろうと思ってばかりいたものだから、言い返されるなんて考えてもみなかった。一転攻勢に出られてしまえば、いわばゴールにキーパーがいない状態に等しい俺の心境は、途端に崩壊した。もうコンテニューのボタンすら押せていない。


「そもそも今まで彼女なんて出来たことないのにさ。大学でどうやって作るつもりだったの? 友達すらできないでぼっちになる人だって、SNSとか見てると少なくないじゃん。お兄ちゃんって根暗だし、むしろぼっち候補なんじゃないの?」


「ひどすぎない?」


「お兄ちゃんにいきなり貞操観念で説教される身にもなってよね。先にひどいこと言ったのはどっちよって話」


「いや、まあ……うん。そうか、そうだな……すまん……」


 あっという間に論破された。兄の威厳……。

 いや、離れ離れになる前に、カッコつけようと下心を出したのが間違いだった。

 もはや何も言うまい。観念して、格ゲーのコンテニューを押す。


「心配してくれてるんだろうけどさあ。お兄ちゃんは童貞でしょ? なんていうか、ひがみ? にしか聞こえないんだよねえ」


 死体蹴りはやめてくれ。今まさに格ゲー内でもされまくってるんだ。リアルでもゲームでも、敗者はこうも惨めで悲しいものなんだな。

 いつもなら、格ゲーの対戦相手にこんなボコボコにされたものなら、悔しさに呻いて床ドンしているレベルなのだが、それを今やるのは、恥の上塗りというものだ。あと普通に気力なくなったし……そんな元気ない……。


「だいたい、いつも家でゲームばっかりで、今だって少ない友達とすら、ろくに遊びに出歩かないじゃん。ネットが友達って感じでしょ。それ、大学行って独り暮らししたら、余計に悪化しそうだよね」


「うぐ……!」


 それは、俺も頭の片隅に抱いていた懸念。だけど目を逸らし続けていたことだ。この問題提起はあまりにもデリケートな部分であるため、うかつに触らないでほしかったのに、ミキはそんなのお構いなしだ。もっと労わって……。


「自分に自信がないってことなんだよね。つまりはさ。だから心が内側内側に引きこもっちゃうんだよね。自信をつけるには、リアルの人間関係が良好であることが一番なのに、それができないから余計に引きこもる。悪循環」


 くそう、遊んでるくせに、まるで知ったような口ぶりだ。遊んでるくせに!

 いやだからこそ、人生経験が豊かなのか……? 自分の属性を理解しているからこそ、その正反対の属性も理解できる。そういう理論か?

 この十数年、俺を観察し続けてきた研究結果ともいえるかもしれない。


 まあどのみち、俺は、義妹にそのように思われていたということが明白になったのが、これまたショックを隠し切れずにいた。

 そうか。俺はミキから見れば、自分に自信がない根暗な奴に見えていたのか……。


 確かにそんな格下に見てる奴に説教まがいのことをされれば、死体蹴りの一回や二回もしたくなるわな……。


「自分に自信をつける一番の特効薬は、彼女を作ることなんだけど、それができてたら今まで童貞じゃないわけだし……」


 うーん。と考える義妹は、あっと声を出して、何かを閃いたようだった。

 もうコンテニューする気もないのに、ずっとテレビの画面を見続けている俺の背中に、こいつはさらっと言ってのけた。


「とりあえず私で童貞卒業しとく? そしたら自信に繋がるんじゃない?」


「はいいいい!?」


 突拍子もない言葉に、俺は勢いよく振り返った。

 金髪のショートカットが小顔にマッチした、ちょっと焼けたギャルが目に映る。顔のサイズに見合った小柄な制服姿は、スカートから伸びる足は細くて、されど体つきに見合わない胸についつい目が行ってしまう。


 胸を見て、そしてミキの小顔を見る。

 少しだけ、頬を赤く染めた彼女は、意地悪に目を細めた。


「お兄ちゃん、目つき、やらしーよ」


 ミキの言葉の真意がわからない。

 いや冗談に決まっている。決まっているのだが……。


 俺は、何を血迷ったのか――。




 —―土下座していた。


 しまった! 反射的に! つい!

 いやだって、この状況! 仕方ないだろ!


 今までずっと好きだった人からこんなこと言われたら!

 恥も外聞もかなぐり捨てるわ!


 俺の視界は一面のフローリングに覆われていて、義妹の表情も、しぐさも、何一つわからない。


「うわ、ヤバ……」


 ただこの発言がぽつりと頭上に降り注いだのを、ただただ受け止めた。

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