第4話




「へぇ……悪魔召喚の書か。なるほどね」


 床に落ちたままの本を見つめ、ジェイクはどこか無感動に呟く。

 てっきり興味津々で本を手に取るかと思った彼だが、何故かメルディに話しかけてくる。


「で、君はそのゲームとやらで僕に殺される運命なわけだ」

「はい」

「死にたくないので学園に侵入したらうっかり僕に出会った。せっかくだから全員を救うために僕と悪魔召喚の書との出会いを潰そうとした、ってことであってる?」

「あってます」

「面白いこと考えるね、君」

「うう」


 全てを明瞭に解説され、メルディは床に正座をしたままうなだれる。

 ジェイクは腕を組んで本棚にもたれながら、メルディと本の間で視線を行ったり来たりさせていた。

 その表情は何かを楽しんでいるようにうっすらと微笑んでいた。


(もうだめ。はい死んだ。お父様、お母様、ごめんなさい)


 ジェイクの意図はわからないが、ここまでさらけ出したのだ。きっと自分はただではすまないだろう。

 メルディは先立つ不孝をこの世界の両親に謝罪した。


「ほんと、面白い」

「え?」


 ふわり、柔らかいものがメルディの頬をかすめた。

 それがジェイクの髪だと気がついたときには、再び彼の唇によってメルディの唇はしっかりと塞がれていて。


「んんっ!?」


 さっきのキスとは違い、触れるだけの優しいキスだ。離れる瞬間、上唇を軽く食まれて吸われた以外は至って普通の。


「キスするときは目をつぶるのがマナーだと思うんだけど」

「へっ! いや、そんなの知りませんよ! したことないし……」

「ふうん? じゃあさっきのが初めてなんだ」


 嬉しそうに肩を揺らすジェイクを呆然と見上げ、メルディは自分に何が起きているのかを必死に考える。


(さっきのキスだって意味不明なのに、今のはなんなの!?)


 頭の中は怒濤の展開のせいで許容量を超えている。

 本を見つけてからまだ一時間も経っていないはずなのに、まる一日肉体労働をしたような疲労感だ。

 許されるならこのまま気を失ってしまいたい。


「すっごくいっぱいいっぱいです、って顔してるけどもう少し付き合ってね」

「!」


 心を読まれた! とメルディが青ざめれば、ジェイクはますます笑みを深くする。


「君の話が全部本当だと仮定して、この本で悪魔召喚ができるっていうのはとっても魅力的だよね。楽しそうだし、僕の欲求にぴったりのアイテムだ」


 懐から白いハンカチを取り出したジェイクは、床に落ちた黒い本を包み込むようにして抱え上げた。

 ひっ、とメルディは息を飲む。


「でも、君はこれを使って欲しくないんだよね」

「……はい」


 問いかけに、慎重に頷く。

 その本が使われれば、否応なしに「はとる。」スタートだ。

 全てを知ったメルディをジェイクがどうするかはわからないが、少なくとも凄惨な物語がはじまってしまう。アマリリスになりきってゲームをプレイするのとはわけが違うのだ。


「わ、私。自分も死にたくないけど、他に死ぬ人がいるのをわかってて知らないふりしたくないんです。それに、殿下だって無事じゃすみません。そんなの嫌です」


 震える声でなんとか想いを伝えようとするも、言葉が喉に張り付いてうまくでてこない。

 恐怖と緊張と少しの悲しみで、声が震えた。


「君は、僕が不幸になるのが嫌なの?」

「嫌ですよ。嫌に決まってるじゃないですか」

「出会ってまだ数日なのに? それに、君は僕に殺される運命なんだろう? 僕が憎くないのかい?」

「……時間なんて関係ないです。出会ってからの殿下は私に優しくしてくれました。まだ起きてないことで、憎むことなんてできません」

「本当に、君は変な子だね」


 ふっ、とジェイクが破顔した。

 その笑みはこれまで見たどんな笑みよりもあどけなく、緊迫した状況なのに心臓が変な音を立てる。


「ねえメルディ。僕と取り引きしない?」

「……取り引き、ですか」


 急になんだとメルディが軽く身体を引けば、同じ分だけジェイクが距離を詰めてくる。


「もし、君が僕の遊び相手になってくれるならあの本のことは諦めてあげる」

「………………はい?」

「君も知っての通り、僕は人生に失望していてね。何をやっても面白くないし、未来に希望なんて欠片ももってないんだ。君に出会う前の僕なら、きっとためらいなくあの本を手に取ったと思うよ」


 ごくり、とメルディはつばを飲み込む。

 この先の返答次第で、あらゆる運命が変わる。そんな予感に脈拍がぐんとあがった。


「でも、君みたいな面白い子が傍にいてくれるなら人生もそんなに悪くないと思うんだよね。君はとっても刺激的だし、見てると楽しい」


 なんだかとても失礼なことを言われている気がすると思わず半目になったメルディだったが、熱に浮かされたように語るジェイクの表情がなんだかかわいくおもえて言葉を遮る気にならない。

 人生に嫌気がさして悪魔を呼ぼうとしていたジェイクが、自分を面白がることで慰められるなら、寄り添ってあげたい。そんな同情めいた気持ちが沸き起こってくる。


(ペット……みたいに思われてるのかしら)


 不意にメルディは前世で一緒に暮らしていた猫のことを思い出した。

 あまり懐いてはくれなかったが、その姿を見ているだけでとても楽しかったし癒やされたものだ。

 きっとジェイクもそれと同じような気持ちを自分に抱いているのだろう。


(私みたいなタイプがきっと珍しいのよね)


「どうだい?」

「……わかりました。いいですよ」

「本当かい!」


 ぱあっと音がしそうなほどに満面の笑顔を浮かべたジェイクが両手で包むように手を掴んできた。

 新しい玩具を手に入れて喜ぶ子どもそっくりなその姿に、メルディは苦笑いを浮かべる。


「ええ。私でよろしければ。そのかわり、絶対あの本を使わないでくださいね!」

「もちろんだよ。 他に要求はない? 今なら対応の相談にのってあげられるけど」


 まるで仕事の面接のようなやりとりに、メルディはうーんと考え込む。

 ふと、先ほどジェイクにキスされた事実を思い出す。指先でなぞった唇はすでに乾いていたが、あの感触は鮮烈だ。


「あの、さっきの……き、キスみたいなのはもうしないでください」

「なんで?」

「なんでって……だいたい、なんであんなことしたんですか!」

「うーん、したかったから? 逆になんで駄目なの? キスなんて挨拶じゃない」


 いけしゃあしゃあと本当に何でもないことのように言うジェイクに、メルディは反論の言葉を見つけられず、ぽかんと口を開けて固まってしまう。

 そうしていれば、再びジェイクが顔を寄せてちゅっと音を立ててキスをしていった。

 耳から首までが一気に熱を持ち、恥ずかしさで頭が真っ白になる。


「他は?」


 無邪気なジェイクにメルディは深いため息を吐き出した。

 これはもう断れないと察し、白旗を揚げた気分でキスについて抵抗するのを諦める。

 ジェイクにとっては飼い猫にキスをするようなものなのだろう、きっと。


「せめて……人前ではやめてください」

「えー」

「だって、もし誰かに見られたら問題ですよ! 私、きっと身の程知らずって排除されます!」

「ああ。それは困るね。わかった、人前ではしない。二人きりの時だけね」

「……はぁ」


 なんだかとんでもないことになった、と思いながら肩を落とす。


「それと……私も一応貴族令嬢なのでずっと遊び相手ってわけにはいかないと思うんですよね。殿下も、いずれ結婚もされるでしょうし」

「ああ、その点は心配しないで。そのときは遊び相手からはちゃんと解放してあげるから」


 よかった、とメルディはジェイクの言葉に身体の力を抜いた。

 ジェイクはともかく、王子の遊び相手になった自分にまともな縁談が来るかについては考えたくないが、とりあえず約束の期日も作ってもらえた。

 不安は大きいが、死ぬこと以外はかすり傷だ。きっとなんとかなる。


「たくさん遊ぼうね、メルディ」


 無垢な笑みを浮かべるジェイクに毒気を抜かれながら、メルディも笑顔を返す。

 とりあえずは死体令嬢になるフラグは回避できたようだし、きっとこれで全部うまく行く。

 そう、思っていたはずなのに。




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