第2話


 広く長い廊下をジェイクと並んで歩きながら、メルディは死にそうだった。

 死にたくなくて学園に来たはずなのに、未来で自分を殺す男と歩いている。

 コメディにしても笑えない。シュールすぎる。


(さすが人気キャラなだけあってかっこいいけど……本性を知っているだけにこわい)


 ちらちらと横目でジェイクの顔をついつい何度も盗み見てしまう。

 彼は突然図書室に現れたメルディに何の追求もしてこなかった。本気で迷っているだけと信じているとは思わないからこそ、怖くてたまらない。


(ううっ……でもなんで、ジェイク様が図書室にいるのよぉ)


 ジェイクは王子だ。春休みともなれば王宮に帰り、王族としての執務を果たしているのが普通ではないのだろうか。どうしてわざわざ学園の図書室にいたのか。


(春休み……図書室……はっ!)


 雷に打たれたような衝撃にメルディは足を止めた。

 それに気がついたジェイクも足を止め、少し怪訝そうに振り返ってきたが、メルディは脳裏によみがえった記憶のあまりの重大さに自分を取り繕えないでいた。


(そう。そうよ、これってファンディスクにあったゲームの前日譚だわ)


「はとる。」は大人気ゲームだったこともあり、当然のようにファンディスクが発売された。それには、本編では人気キャラだったジェイクが如何にして黒幕になったかというショートストーリーも収められていた。


(ジェイクは新学期がはじまる直前の春休み、学校の図書室で悪魔召喚にまつわる本を見つけてしまうのよ)


 優秀なジェイクはそれをあっという間に読み解き、乙女を生贄にすれば召喚が成功することを知る。

 その生贄に選ばれた乙女こそがアマリリスだったのだ。


(ジェイクはもう本を見つけたの? それともまだ?)


 思わずジェイクを観察してみるが、本らしきものは手に持っていない。

 もしかしたらあのときは図書室に来たばかりだったのかも知れない。そうだとしたら。


(未来は変えられるかも知れない!)


 さっきまでは自分の死さえ回避できればいいとも考えていたメルディだったが、よく考えればあのゲームでは容易に人が死ぬ。

 アマリリスが上手に動いてトゥルーエンドを迎えてくれれば、攻略キャラクターたちは死なないが、その場合、黒幕であるジェイクが悪魔の召喚に失敗し死んでしまうのだ。


(やっぱり誰かが死ぬのをわかってて、自分だけ助かるなんて駄目よね。どうせなら、みんなで幸せになるほうがいいに決まってる)


「どうしたんだい、変な顔して」


 色々と決意を新たにしているメルディにジェイクがさすがに怪訝そうな顔をしていた。

 ジェイクを助けるという選択はゲーム中での彼の蛮行を知っているメルディには苦渋の決断だったが、背に腹は代えられない。肉を切らせて骨を断つじゃないけれど、ここはジェイクに悪魔召喚を断念して頂くしかない。


「ところで殿下! 先ほど、図書室でなにをされていましたの!」


 我ながら唐突すぎる発言だと思いながらもメルディは声を張り上げた。

 さすがのジェイクもその豹変に驚いたのか、一瞬目を丸くする。しかしさすがというべき反射速度で笑顔を作ると「うーん」とわざとらしく悩んでみせる。


「本当は秘密なんだけどね」


 まるで内緒話をするように声を潜め、ジェイクは恐ろしいほど綺麗な顔で微笑んだ。


「実は、あの図書室にとっても貴重な本が隠されてるって噂を聞いてね。この休暇を利用してちょっと調べてみようかっておもったんだ」


 一瞬、そのあまりの綺麗な笑みに見とれたものの、聞かされた内容にさぁっと血の気が引いていく。


(や、やっぱりぃぃ~~!!)


「へ、へぇ~~ で、その本は見つかったんですか?」

「いいや。ちょうど図書室に着いたところで君が出てきたからね」

「そ、それは申し訳ありませんでした」

「まあ残念だったけど、他の面白いものもみつけられたからいいかなって」

「えっと、それは……?」

「ふふ。ヒミツだよ」


 本性を知らなければうっかり惚れてしまいそうな笑みを浮かべるジェイクに、私の心臓は凍りつきそうになる。


(もう見つけてるの? それとも見つけてないの? どっちなんだろう……)


 ジェイクの言葉を信じるならおそらくはまだ召喚の書は発見前だ。

 どうすればいいのかとメルディは必死に頭を回転させる。


(もしまだなら、私が先に本を見つけて処分してしまえばいいのでは?)


 閃いた答えは最適解に思えた。ジェイクは悪魔召喚に手を染めないし、アマリリスを狙うことはない。つまりはメルディも死ななくて済む。


「あのっ……!」

「うん?」

「もしよろしければ、その本を探すのを私にもお手伝いさせてくださいませんか?」


 メルディの言葉にジェイクが再び目を丸くする。


「君が? 僕を手伝うの?」

「殿下のお邪魔をしてしまったようですし、私でお役に立つのならって」

「でも君はまだ入学前なんだよね? 生徒じゃないのに図書室に立ち入らせるのはちょっとなぁ」

「うっ」


 やはり無理があったかもしれない。正論を向けられ、メルディはしょぼんと肩を落とす。


(こうなったら夜中に侵入して探すとか? でもどうやってここまで来ればいいんだろう)


「……だめですか?」


 泣きそうだったが、食い下がってみる。

 ここで諦めたら完全に試合終了である。逆にジェイクに自分という存在を印象づけたことで状況は悪化したとしか思えない。


「うーん」


 思わせぶりな返答をしながらメルディを見下ろしてくるジェイクの表情は、何故かどこか楽しそうに見えた。


「いいよ」

「!」

「なんかおもしろそうだし。今日、出会ったのも何かの縁だ」


 まさか本当に許可がもらえるとは思っていなかった。

 自分で言い出したことなのに驚きが勝ってメルディはしばし呆然としてしまう。

 だがすぐにはっとして姿勢を伸ばした。このチャンスを逃したら死ぬだけだ。


「よっ、よろしくおねがいします!」


 死体令嬢フラグをなんとしても回避してみせると、メルディは大きな声で返事をした。




 翌日からメルディはジェイクの手伝いとして学園に足を踏みいれることが許された。

 どんな手を使ったのか学園は快く許可を出してくれたし、家族もジェイク王子の覚えめでたいのはいいことだと手放しで喜んでくれている。


(まさか死にたくないから手伝ってるなんて言えないもんね)


 少々苦いものを感じながらもメルディはせっせとジェイクの手伝い、もとい、邪魔をしている。


 毎朝、学園の正門でジェイクと待ち合わせてすぐ図書室に行こうとするジェイクを、まずは色々な理由を作って引き留めていた。

 出会った日に落とし物をしたと嘘をついて探し物に付き合わせたし、校庭の池に片足を突っ込んで泥まみれになる失態を演じて見せた。

 今日は事前に迷い犬を学園内に送り込んでおいたので、その犬に追いかけられたり捕まえたりをしているうちに結構な時間を消費できたのだった。


「君といると、色んなことが起きるなぁ」


 いつジェイクが理不尽なことでキレるのではないかと不安でたまらなかったメルディだったが、不思議なことに彼はむやみと機嫌を悪くすることはなかった。

 むしろ、いつもどこか楽しそうにメルディに付き合ってくれている。

 ちょっとした質問や雑談にも軽快に答えてくれるし、メルディが計算ではないドジをやらかしても優しくサポートしてくれて、とても紳士だ。


「申し訳ありません殿下」

「ううん。いいんだよ。どうせ暇だったしね」


 ふふ、と小さく笑うジェイクの笑顔にメルディは思わず見惚れてしまう。

 まるで普通の青年のようなその一瞬の表情は本当に綺麗だ。


 ゲーム中では感情の読めない笑みを浮かべているか、狂気の笑みを浮かべているかの二択で、怖いという記憶しか無いのに。

 本当にこの人はあのゲームで黒幕だった王子なのだろうかとさえ思えてくる。


(怖いけど、今はまだ普通の人なんだよね)


 なんでもできすぎるがあまり、絶望した王子様。

 正直、メルディの前世にはヤンデレ萌属性は無かったためゲームプレイ中にジェイクにときめくことは無かった。

 だが、この世界に転生し貴族令嬢としての人生を味わったメルディにはジェイクの絶望が少しだけわかるような気がしたのだ。


(貴族の生き方って息苦しいもんね)


 トゥルーエンドでジェイクは「人生に何の期待もない」と呟いて、自らを悪魔に捧げてこの世から消えてしまう。

 こんなに素敵な人なのに、どうしてそこまで堕ちてしまったのか。

 王子として生きる彼は、きっとメルディが想像もできないほどの苦しみを背負っているのかもしれない。

 ゲーム中では何度もジェイクに殺された設定のメルディだったが、ほんの少しだけ彼に同情めいた気持ちが生まれてしまったのは否めない。

 彼が何か人生の生きがいを見つければ、きっといい王様になると思うのだ。


(ここでジェイクが悪の道に堕ちるのを防げたら、みんなハッピーエンドだもんね)


 アマリリスたちゲームキャラも不幸にならない。

 なにより、当初の目的であるメルディの死亡フラグも回避できる。


 このまま無事に春休みが終われば。

 入学式を迎えたあと、忙しくなったジェイクの目を盗んで本を見つけ出して処分してしまえれば。

 そんな淡い期待がメルディの胸いっぱいに広がっていた。


 だが、現実はどこまでも過酷であることをメルディはうっかり忘れていたのだ。


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