第7話


 保健室の中にはとても静かだ。


 寝てる人がいても大丈夫な様に多少の防音加工が程こかれている教室。しかも、今が授業中であることも相待って静かすぎるほどだ。

 その静かさがひなちゃんには気まずく感じているのか、先ほどから落ち着かない。


 二つあった丸椅子に対面する様に座り、ひなちゃん左手の親指に湿布を貼る。その上からテーピングを丁寧に施していく。


「大丈夫? 痛くない?」

「あ……は、はい……。すいません……。こんなことまでしてもらって……」

「ひなちゃんの手、すべすべで可愛いからむしろ役得?」

「そ、そう、ですか……」


 俺の様な角張った男の手とは違う、華奢で柔らかな女の子の手。


「それで? 右手の親指なんて突き指したの? ひなちゃんって左利きじゃないでしょ?」


今日は男女共にキャッチボール。普通にやっていれば右手じゃなくてキャッチする方の左手の方が突き指になる確率は高い。


「あ、え、えっと……ま、間違えて右手でボールを取ってしまって……! む、昔から運動は苦手なんです!」

「そうだったんだ。いくらソフトボールだからと言って危なくないわけじゃないから、気を付けてね」


 嘘だ。目が少し泳いでるし、瞬きの回数も増えた。少し声が上擦っているし、緊張や焦りの感情を隠し切れていない。

 嘘が下手だなと思う反面、それが意地らしくてとても可愛く思ってしまうのは惚れた弱みだろう。

 

「どう? キツかったりしない? 結構上手くできたと思うんだけど」

「大丈夫です。それよりも早く氷嚢、作りますね……」


 テーピングが終わる。掴んでいたひなちゃんの手は俺の手からするりと抜け出した。少し名残惜しいような……。いや、かなり。


「──ひなちゃんのせいじゃないよ」

「……」

「多分俺がどうこう言っても納得とか、ひなちゃんはできないでしょ? 俺は恨んでなんかいないし、嫌ってもいない。むしろ、これを気にしてひなちゃんに距離でも取られたらって、今めっちゃ焦ってるね」

「……」


 氷嚢を作っていたひなちゃんの手が止まる。俺は無言を貫く。ただ、ゆっくりとひなちゃんの言葉を待つ。


「私が……悪いですよ。目の前で拓巳くんが殴られるのを黙って見ていましたし」

「俺も煽ったからね」


 ムカついたし仕方ない。


「私が、間に入ってでも誤解を解くべきでした」

「それでひなちゃんが怪我とかするよりはずっと良いよ」


 そうなったら俺は死にたくなるね。


「元はと言えば、私が自分の意見も言えないのも悪くて……」

「うん。それに関してはそうだね」


 それはそうだ。ひなちゃんが自分の意見を言えていたらこんなことにはならなかっただろう。


「……」

「ん? もしかして、俺が全部慰めてくれるって思ってた?」


 ひなちゃんは少しびっくりした様に俺の顔を見る。照れるね。

 個人の見解だが、優しさと甘さは違う。彼女の悪い部分を俺が目隠しして見ない様にしてあげる。それは優しさではなく、甘さ。少なくとも俺はそんなことしたくない。それはひなちゃん自身への冒涜だと、そう思っているから。


「──……いえ、もしかしたら、それを望んでいたのかもしれません……」


 ひなちゃんは自己嫌悪に苛まれたのか顔を俯かせる。


「拓巳くんは優しいから、心のどこかで慰めてくれると……そう、思っていたのかもしれません……」

「ん、そっか」

「はい」

「……」

「……」


 少し、俺も驚いた。彼女は今、自身の嫌な部分に向き合っているだろう。

 相手の性格を利用して赦しを請おうとした。言葉を悪くすれば、彼女が行おうとしたことはこれだ。

 しかし、それも人である限り切っても切れないものだ。誰だって優しい親には頼み事をするし、相談などは優しい人や口の固そうな人の方がいいだろう。

 そんな当たり前のことを彼女は反省し、自身の嫌な部分として咀嚼している。ああ、何というか……もう、ホント……、


「不器用というか、真面目過ぎるというか……」

「え……?」


 もう好きだわ。惚れ直した。もう、知っていくごとに惚れるとか反則過ぎだろ……。


「何でもない。惚れ直しただけ」

「だけっ……!?」


 ひなちゃんは顔を赤くした。もう可愛い。


「確かに、ひなちゃんが自分の意見を言えなかったせいでもあるだろうね」

「……!」


 俺がそういうと、ひなちゃんの瞳がじんわり潤う。


「彼氏くんにお願いをするのは難しい?」

「いいえ……」

「じゃあ、怖い?」

「……はい」

「どうして?」


 そう聞くとひなちゃんは少し考える素振りをして、おずおずとした様子で答えた。


「わ、私は最初……勇気くんと付き合った時から、自分の意見を言えなくて……もし、私の言ったことで勇気くんが傷ついたり、嫌がったりしたと考えたら……怖くて……」

「……うん」

「そんな人じゃないのはわかってるんです……勇気くんは優しくて紳士的で……そんなことで嫌がったりはしないと……頭でわかっていました……」


 ひなちゃんは今まで我慢していたものをポロポロとこぼしていく。


「でも、時間が経つごとに、その気持ちは大きくなって……いつの間にか、勇気くんの前では自分の意見を言えなくなってしまって……」


 女の子は好きな異性には、自分の良いところを見てほしいと思うらしい。ひなちゃんにとって、男性を立てる女性というのは、一つの女性の理想像だったのだろう。


「私っ……どうしたら良いのか……わから、なくて……っ」


 ひなちゃんの頬を伝って流れる涙。彼女も色々溜め込んでいたのだろう、いけないと分かっていてもどうしようもない事だったのだ。


「ひなちゃん……その彼氏くんは、そんなに心が狭い人かな?」

「……違います」

「だよね。でもさ、ひなちゃん。男ってのは好きな女の子の全部を受け止めたいって思ってしまう生き物なんだよ」

「……はい」

「男の俺が太鼓判を押すよ。ひなちゃんの言葉を彼氏くんが嫌がる事は絶対にない」

「…………はい」


 ひなちゃんは大きく頷いた。けれど涙はまだ流れ続けている。

 俺はポケットからハンカチを取り出してひなちゃんに渡す。


「はい」

「え、あ……す、すいません。じ、自分のが……あ……」


 今のひなちゃんは体操着。制服から体操着にハンカチを入れ替える子もそうそう居ない。


「知らないの? 男のハンカチは女の子の涙を拭いてあげるためにあるんだよ?」

「あはは……それ、嘘ですよね?」

「ありゃ? バレちゃった」


 ハハハと保健室に笑い声が響く。そして、ひなちゃんは俺の手からハンカチを受け取った。


「洗って、返しますね?」

「うん。あ、ちょっと待っててね」


 俺は保健室を抜け出してあるものを取りに更衣室まで行く。俺はソレを更衣室から持ち出して、保健室へと戻った。


「ひなちゃん。はい、コレ」

「コレは……『太陽は西にしずむ』?」

「うん。コレ、文芸部の先輩に返しといてよ。俺、今日用事があってさ、これで彼氏くんが俺を殴ったこととか全部チャラで良いからさ」

「あ……」


 ひなちゃんは俺から受け取った本を胸元で抱きしめる。


「拓巳くんは……本当に優しいですね……」

「……俺が優しいのは、ひなちゃんだけだよ」


──中庭。


 俺は中庭のベンチに寝そべって目を閉じる。


 思考に浸る。

 そして「馬鹿だなあ」と自嘲気味に笑った。


 (こんなの、敵に塩を送ってるようなものじゃん……。ほんと馬鹿。マジで……」


 つい現実でもそんな言葉が漏れた。例えるなら、初見プレイのRPGゲームの難易度を一段階上げただけ……。後先見ない考えなしの行動。俺が嫌っている行動のオンパレード。


(──まあ、でも……)


 前の自分より、何倍も今の方が良いと思ってしまうのは、ひとえに彼女のおかげなのだろう……。

 俺はその思考を最後に、心地よい暗闇にその身を預けた。








 


 


 

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