第6話

──次の日。


「おはよー。ひなちゃん」

「おはようございます。拓巳くん」


 微笑んで挨拶を返してくれるひなちゃん。


「昨日の本、実は面白くて全部読んじゃったんだよね」

「そうなんですか? かなり難しい内容だったと思うんですけど……」

「そう? まあ、わからないところは何回か読み直したから」


 前の経験がある俺の理解力は高校生の比ではない。大人になると誰も何も教えてくれないのだ。後、嘘をつくのが上手くなる。大人って辛い。


「そうなんですね。で、でも普段本を読まないのに読み切ったのはすごいです!」


 あ、すごい。褒められるのやばい。バブりそう。


「……もっと、褒めて欲しい」

「え、え? はい……凄いですね?」

「最高か」


 何なら頭も撫でて欲しい。その豊かな乳房に顔を埋めて深呼吸しながら全身の力を抜いて自分の全部を曝け出してそれでなお優しく受け止めてくれるひなちゃんになでなでされながら自身の欲求を満たした──。


「──やばい飲み込まれるところだった」


 これは沼だ。踏み込んだら沈む。さっきは片足どころの話じゃなくて身体の半分を持っていかれた気分だ。

 当の本人は不思議そうに小首を傾げている。可愛いね。


「そう言えば、ひなちゃんは今日文芸部に行くの?」

「あ……じ、実は今日も勇気くんと……」

「ふーん。そうなんだ」


 今日こそは文芸部に行くと思ってたんだけど。

 それに何だか少し疲れたような表情。いくら好きな彼氏と一緒とは言え、興味のないところはしんどいのかな? それともまた別の理由か、


「ねえひなちゃん。その彼氏くんにさ、自分の行きたいところとか言った?」

「い、言ってないけど……。あ、で、でも勇気くんに無理に連れまわされてるわけじゃなくて」

「じゃあ、どうして?」


 つい、語気が強くなってしまう。別に責めるつもりはなかった。ただ、ひなちゃんが我慢せざるおえなくなっていることに対するほんの少しの苛立ちと、“彼氏くん”に対するほんの少しの増悪がそうさせた。


「え、えっと……わ、私が自分の意見を言えなくて……勇気くんは悪くなくて、ぜ、全部私の、せ、せいだから……」

「ん? いや、ひなちゃんのせいではないでしょ」

「お、おい。何してるんだ……?」

「ん?」


 声が聞こえた方へ顔を向ける。そこには俺のことを睨みつける彼氏くんの姿。


「あー、一応言っとくけど、これは──」

「もしかして、いじめていたのか!?」


 違え、お前のせいだよと大声で言いたい。まあ、ひなちゃんが嫌がるだろうからしないけど。


「ち、違っ! 勇気くん! これは全部私のせいで……!」


 ちょ……w。それで『はいそうですか』ってって言う彼氏いないでしょw。


「ひな。安心してくれ、絶対守るから」

「だ、だから違……!」

「はは。おもしろ」

「っ! 何笑ってるんだ!」


 見事なすれ違いに思わず笑う俺。それをみて怒る彼氏くん。

 ヘラヘラしてる俺を見てさらに肩を震わせた。


「はは。殴ってみるか?」

「このっ……!」


──ドゴッ!

──バン、バリッ!


「グッ」


 右の頬を思いっきり殴られた俺。思わずよろけて自身の後ろにあったゴミ箱に突っ込み、破壊する。


──ざわ……。


 教室が喧騒に包まれる。いきなり人が殴られたのだ。普通、そんな反応をする。


「ゆ、勇気くんっ!!」


 俺を殴った彼氏くんを責めるような声で叫ぶひなちゃん。彼女は彼氏くんの背中を押して教室を出て行こうとする。

 ひなちゃんはチラリと俺の安否を確認するように視線を向けてくる。俺は手をひらひらと振って彼女の背中を見送る。一瞬、罪悪感に染まった表情をしていた気がするので少し心配だ。


──ポンポン。


「宮内! ドンマイ!!!」


 誰だコイツ。いきなり肩を叩いてそんなことを笑顔で言ってのけた。


「誰だ? お前」

「えっ!? 俺、お前に何回か話しかけたことあるよね!?」

「あー、ごめん。ひなちゃん以外に興味なかったから」

「うえ!? そうでも普通オブラートとかに包むもんじゃねえか!?」


 何だこいつおもろいな。


「俺は山内晃樹! 晃樹って呼んでくれて良いぜ」

「わかった山内。これからよろしくな」

「全然分かってねえ! ま、まあ良いか……」


 俺は「よっ」っと、言いながらその場で立ち上がる。

 山内は俺の顔をニヤニヤしながら見つめている。


「何ニヤニヤ笑ってんの? 俺、そっちの気は無いんだけど」

「俺のねえよ! ただそのイケメンズラが歪んだのを嬉しがってんだよ!」

「はは、キモッ」

「辛辣ぅ!?」

「それに、拳の速度に合わせて首を動かしたからそんなに腫れないと思うぞ」


 実際、あの拳を避けるのは簡単にできた。あの場を納めるのは殴られた方が早かったってだけだ。俺の好感度を下げずに彼氏くんの好感度を下げる。簡単最高。


「え、そんなこと出来んの!?」

「たまたまだよ」

「ちっ! パンパンに腫れてアン◯ンマンみたいになればよかったのに!!」

「そんな事言ってるうちはお前モテねーよ」

「んがっ! お、俺が気にしてることぉ……!」


 そんな事を話していると、集まっていた視線も俺が平気そうな状態を見てからか、いつの間にか無くなっている。


 それにしても、あんなショボい煽りでぶん殴られるとは……。煽り耐性なさすぎだろ。

 ここから前のようなドブとゴミカスを黒くなるまで煮詰めたような性格になるのか。


「一限目体育だっけ? 宮内ー、一緒に行こうぜ?」

「何それ誘ってんの?」

「ハッ!? そんなわけねえだろ!?」

「ダウト。何を想像してるのかは知らねえけど、俺は更衣室に誘ってんのかって聞いただけだぞ」

「……う、うがああああ!!!」

「非モテ思考w」

「グガガ……オレ、コイツ、コロス」


 まあ、新しいおもちゃを得たとでも考えれば、なかなか……悪くない。


──運動場。


 俺と山内はソフトボールの球を投げ合う。一年生の体育なんてキャッチボールのような簡単な事ばかり。


「ちょ! お前の球めっちゃ痛えんだけど!?」

「ちゃんと正面から取れよー」

「分かってるよ! てか中学からの野球部員志望だよ!!!」


 経験者だったのか。ハゲてないから分からなかった。


「ハゲてないのにか?」

「ハゲじゃねえ、坊主だ!」

「えー、どっちでも良くねー?」

「良くねー!!」


 野球部にしか分からない心情を聞かされている俺は少しあきあきしつつ、女子生徒たちが纏まっている方へ視線を向ける。


「あ、ひなちゃんだ。やっほー」

「占めた! 必殺! 殺人デッドボール!!」


──パシ。ブオン!


「ぎゃああああああ!?!?!?!」

「邪魔」


 俺は来たボールを山内に思いっきり投げ返す。なんか顔面にぶつかって悶えてる。


 俺はひなちゃんに手を振る。あ、目が合った。そら……された……。鬱だ。死のう……。


「クソォ……俺は諦めないぞ……! 必殺! 邪竜黒炎ウルティメットバーサークスラッシュボール!!!」


──パシ。ブオン!!


「ぐはっ!………………」


 沈黙。完全に息を止めることに成功した。


 あー、もうやる気なくなったわ……。保健室に行って寝よ。


──保健室。


「失礼しまーす。寝にきましたー」

「た、拓巳くん……?」

「あれ? ひなちゃん。どうしたのー? 怪我? サボり?」


 親指を庇うような仕草……突き指かな?


「保険のセンセーは? 外出?」

「さ、さあ……私がきた時には誰もいなかったから……」


 さっきからひなちゃんが目を合わせてくれない。死にたくなる。

 やはり、彼氏くんの暴力を気にしているのだろうか? 別にひなちゃんにせいじゃないから気にしなくても良いのだが?


「んー。やっぱ気にしてる?」

「っ! な、な、何が、ですか……!?」

「そんなわかりやすいことある? 別に気にしなくても良いよ。それにホラ、全然腫れてないでしょ?」


 俺は彼氏くんに殴られた右頬を見せながらそう言った。


「……少し、腫れてます」

「あれ? さっきまでは腫れてなかったんだけどなー」


 逆効果だったかもしれない。ひなちゃんからさらに思い詰めたような暗い雰囲気を感じた。


「ちょっと待っててください。氷嚢を作るので」

「……」


 無理したような笑みに俺は何も言えない。

 そうじゃないんだよ。そんな顔して欲しいんじゃないんだよ。


「っ! いたぁ……」


 怪我したところが痛んだのかひなちゃんの動きが止まる。

 俺はひなちゃんの後ろから怪我したであろう方の手を掴んだ。自然と、体が密着する。


「え、えっと……拓巳、くん……?」

「ひなちゃんってずるいよね」

「え、え?」

「指、痛いでしょ? 先にそっちの手当てしようか」


 俺はさ、君に幸せそうに生きて欲しいんだよ。もう、二度と曇った顔なんて、見たくない。


 

 









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