第8話

 私は佐々木さんの腕の中で、幸せを感じていた。


 佐々木さんは、スリムな身体に見えるけれども、そうではない。

 触れられて初めて分かる筋肉質な腕。

 力強くて、優しい両手で包んでくれる。


 ……これは、事故だから。

 ちょっと疲れがたまっていただけ。


 佐々木さんに抱かれながら、再度言い訳を探す。



 けどさ、悠真だって、少し負い目があると思うんだよ。

 私をエスコートするべきところなのに、約束をすっぽかして仕事に行っちゃったわけだし……。


 だから、これはしょうがないこと。



 半分くらいを悠真のせいにしたことで、私の罪悪感は消えつつあった。


 この状況に、少しくらい幸せを感じてもいいと思うんだ。

 別に恋してるとかじゃないし、『浮気』なんて言葉も当てはまらないからね。



「あの、どうしたんですか? 揺れか激しいですか? 先程から、口の方が半開きみたいですが……」

「……あ、あ、えっと、大丈夫です。今は呼吸を整えようとしていただけです。体調整えるために、深呼吸です」


 私は、口から出任せを言う。

 多分、今の私の目はあちらこちらに泳いでいるだろう。


 佐々木さんは、そこには触れないでくれた。



「そうですか。すいません。僕がもう少しきちんと抱けていれば……」


 こんなに荷物を持っているから、大変だと思う。

 私のキャリーバッグは、かなりパンパンに詰めてある状態だし。


「そうだ! ‌もう少し強く、僕に絡みついて貰っていいですか?」

「……え?……えっと、どういうことですか?」


「その方が、安定するんです。身体をしっかり密着させた方が、揺れは少なくなるはずです」


 優しい笑顔だが、少し息が荒くなっている佐々木さん。

 私が求められているのかと、勘違いしてしまいそうなほどに。


 私は、ゴクリと、生唾を飲み込む。


 これは、私のために言ってくれてることだもんね。

 私は言われるまま、佐々木さんに身体をピタリとくっ付ける。


 服も着てるし、ちゃんと下着も付けているとはいえ、男の人に自分の胸を押し当てるというのは恥ずかしい。


 私は、佐々木さんのすぐ横まで、顔を近づける。

 私の吐息と、佐々木さんの吐息が、交わされるくらいの距離。


 佐々木さんが私の方を向いたら、間違ってキスでもしてしまいそう……。



「……大丈夫ですか」

「……あの、こっち、向いてこないで……ください……」


 本当に唇が触れ合ってしまいそう。


 私も息が荒くなっているけれども、佐々木さんもそうだった。

 こんなことしたのは、悠真だけだったのに……。


 私の顔は、真っ赤になっていることだろう……。


 二人で合わせた身体は、互いの鼓動まで相手と交換しているようだった。

 佐々木さんの鼓動を感じる。

 大きくて、力強くて。


 ドキドキし過ぎて、本当に体調が悪くなってきたみたいに感じる。

 少し目眩がするかも……。


「何をされても、僕は構いませんよ。それでは、行きましょうか?」


 なんだか、意味深なことを言われた気がするけれども。

 私は、半分気を失いかけながら、住宅へと向かった。


 私の頭の中は、佐々木さんで満たされていた。



 ◇



 気が付くと、佐々木さんが言っていた住宅へと着いていた。


 新築では無いだろうが、それと同等に綺麗だった。

 佐々木さんは、器用にスリッパ等を準備すると、それを履いて寝室へと向かった。


 備え付けの家具があると言っていた通り、入居前の新居のような内装。

 どれも、新品同様に綺麗に見える。



 佐々木さんは、私を寝室まで連れて来てくれて、ゆっくりベッドの前まで歩みを進める。


「それでは、すいません。少し、失礼しますね……」


 佐々木さんは、そう言って、私の上に乗るような姿勢になった。

 優しくベッドに降ろしてくれるためだろうけども……。


 本当に唇が触れ合ってしまうかもしれない……。


 誤って唇が触れ合ってしまうことを期待していたが、触れはしなかった。

 ずっと、お預けをされてじらされている気分。


 遠距離恋愛で、ずっとお預けされていたみたいに……。


 私は、自分の中に黒い感情が湧き上がるのを感じていた。


 ……誰がいけないかって言ったら、半分は悠真だし。

 ……半分は、佐々木さんだよ。



 佐々木さんは私を降ろすと、私の顔の近くで微笑んで、すぐには立ち上がろうとはしなかった。

 私の顔の横に手をついて、見つめ合う。


 姿勢だけ見ると、なんだか押し倒されているような形。


「大丈夫ですから。ここには、誰も来ませんし、誰も見ていません。だから、少しここで休んでくださいね……」



 ……体調が悪いせいなのか、ドキドキしすぎたせいなのか。

 私の頭の中は、してはいけない考えで満たされてしまってる。



 ……佐々木さんは、絶対に私を求めているんだよね。

 ……こんな顔を近づけて、私を誘惑するようなことを言って。




 ……誰にも知られなければ、何も無かったことと一緒。


 ……私はただ、住宅の内見をしていただけだよ。


 ……悠真がいないのが悪いんだよ? 私をほったらかして。




 自分でも意識していないけれど。

 気付いたら、私は微笑んでいた。


「安心してください。僕も誰にも言わないですし。どちらにしても、住宅の内見をした後はハウスクリーニングをするのが決まりなので……」


 その言葉を聞いた私は、佐々木さんから離した手を、再度佐々木さんの首の後ろへと回した。



 ……いけないことをする時って、なんで笑顔になっちゃうんだろうな。


 ……ふふ。

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