第9話 6月17日

どうしてこんなことになったんだろうか。

無言の両親に連れられ、昨日私は寮に帰って来た。

真っ赤に染まった布団の海で私は昨日の事を思い出していた。


彼よりひと足先に目覚めた私は、朝ごはんを作ることにした。パンとサラダ、ベーコンエッグの簡単なものでいいだろうか。朝は確かブラックコーヒーだったはず。


昨晩は楽しかったなぁ。この1年と少しに起こったお互いの大きくも小さな事件を話したり、銭湯に行ったり、たまたまやってた映画を見てたらいい雰囲気になって。。。

昨日の事を反芻していると彼が起きて来た。


朝食を食べながら、彼の方の見る。

時折胸元を押さえているが、大丈夫だろうか。

心なしか顔色も悪い。

大丈夫?と問いかけるも「仕事の心配事が多くて」と返される。

心配は消えないが、そろそろ出発する準備をしなければならない。


用意したいた旅行鞄を手に取り、2人で家を出る。

昼前には地元の大きな駅に着くだろう。この街より気温は低いと思うが、昨今の夏は異常だ。

手汗が気になるのか彼は手を繋いでくれない。口を尖らせつつ、日傘を差す。冷たい珈琲が欲しい。

土産物屋で簡単なお菓子と冷たい珈琲を買い、特急ホームへ向かう。

お昼は何を食べようか、ゴリラのカレーはどうかな。なんて話をしながら列車を待つ。


列車に乗り込み指定席に座る。車内は観光客ですが満員になった。

列車が動き出すと彼はすぐにトイレへ向かった。

1人になるとやはり家の事を考えてしまう。

就職してから家とは一切連絡を取っていない。今回の件も、日付を決めた段階で彼から連絡を取っていた。親の反応も知らないまま、どんな顔して会えばいいのか。わからない。だがどうでもいい。

そう考えたところで彼が帰って来た。

駅に着くまで、私は彼の肩で眠ることにした。


県庁所在地と同じ名前の駅から5つ超えた所に私の実家がある。駅から5分しか歩かなくてもいいのは楽でいい。

家まで辿り着き、インターホンを鳴らす。

笑顔の母が迎えてくれた。それと同時に父が玄関まで歩いて来た。

「遠い所からよくきたね。どうぞ、上がって。」

そう言う父に彼は返した。

「いえ、こちらで結構です。」

私達は不思議なものを見るような目で彼を見た。彼は這いつくばり、地面まで頭を下げてこう言った。

「すみません。私は彩花さんとは結婚できません。」

そう言って、彼はもう一度頭を下げた。


暫くの間静寂が続いた。

1番最初に口を開いたのは父だったと思う。

「わかりました。もういいんだよ。これまでありがとう。」

それを聞き、彼は、達也は震えながら立ち上がり。踵を返していった。


母が泣きながら私に抱きついてくる。

父も何かを語りかけて来ていた。

しかし、私の頭には入らない。彼が頭を下げ、話をした時から全ての思考は止まっている。

ただ、達也がこの場で私との結婚の約束を破棄したことだけはわかった。

母は自分のことのように泣いている。

父は見たこともないくらい心配そうな顔で何か声をかけて来ている。

一人になりたい。ただ、それだけを思った。

「家に帰る。」

そう、一言答えた私を見て、両親は色々言っていた。しかし、それ以外の反応を私が示さなかったので、従うことにしたようだ。

父は私を後部座席にのせ、母は助手席に座った。家まで送ってくれると言っていた。

そして、気がついたら私は1人、寮の布団にいた。


何時間経ったのかわからない。

彼が頭を下げてからは、漫画のコマ割りのように情景だけが変わっていく。

私は捨てられた。そう思い、全身に実感が走った後、私は剃刀で左手首を切った。





そうだ。私は捨てられたんだ。

言葉としては分かるが未だに理解できない。

鋭い痛みがあり左手首を見る。シーツに張り付いた腕には血の塊がついていた。

それを見た途端、お腹が鳴った。

痛みと空腹。それだけが私の確かな感覚で、生きたいと言っているようだった。


貧血でふらふらするが、空腹に従ってキッチンに向かう。

冷蔵庫の中には簡単に食べられるものや、お弁当、母の作り置きのおかず等、大量の食材と飲み物が入っていた。

私は父、母が帰る時にお礼を言っただろうか。それすら記憶にはない。

離れて暮らした事で、少しだけ親からの愛を感じた。


作り置きを食べながら考える。

明日は有給の申請をしていない。

メンタルは恐らく人生で1番不調だが、行かなければなるまい。


そうしなければ。本当に全て無くしてしまう。

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