第3話

 花音から誠司さんと結婚すると伝えられたのは、それから1年後のことだった。いつものように待ち合わせをした彼女がなんだか会ったときからそわそわしていて、昼食をとるために入ったレストランでそのことを告げられた。


 おめでとう、と言った私は、笑えていただろうか。


 入籍は来月、結婚式は半年後の6月。ジューンブライドを選んだのは花音と誠司さんのどちらだろう。結婚に憧れのある花音だろうか。


 スピーチ考えておいてね、と念を押すように言う彼女にもちろんと返す。私に断られる心配でもしていたのか、花音は安心したように笑った。


 結婚式の招待状がきたのは3月だ。可愛らしい花のデザインがされた裏側に、ネットで調べた通り出席の旨を書き加える。これで合っているだろうかと何度も確認をしてからポストに投函した。ストンとはがきが落ちる音がして、本当にその日が近づいているのだなと寂しさが広がる。


 式までの3カ月の間にドレスとバッグと靴を新調した。友人の結婚式で着て行ったドレスがあったけれど、それを花音の結婚式にも着ていくわけにはいかない。


 3日前にネイルサロンに行って、当日は朝から美容院でヘアメイクをしてもらう。式場に着いたときにはようやく準備の日々が終わった、なんて花嫁でもないのに大層なことを思った。



「麻里? 麻里だよね?」



 受付の列に並ぼうとしたとき、後ろからそう声をかけられた。振り向くと、高校生のとき同じグループだった絵梨香と紗世がいた。2人に会うのは紗世に子供が生まれたとき以来だから、2年ぶりだ。



「絵梨香、紗世! 久しぶり」



 手を振って、お互いの元に駆け寄った。取り巻く環境も住む場所も変わったけれど、この2人に会うと変わらず安心する。



「紗世、今日娘ちゃんは?」



「旦那が家にいるから大丈夫」



 お母さんになった紗世は、高校のときよりしっかりしたような気がする。絵梨香はそれとは反対にバリバリに仕事をこなしていて、家庭を持つことも仕事に打ち込むこともできていない私は、なんだか少し情けない気持ちになった。


 改めて受付を済ませ、式場に入る。厳かな雰囲気の中に足を踏み入れて、おしゃべりしていた声を潜めた。


 真ん中に敷かれた赤いバージンロード。ここを、ウェディングドレスを着た花音が歩く。想像しただけで涙腺が緩みそうで、気を逸らすように絵梨香と紗世との話に集中した。



「あんた花音のこと大好きだったじゃん、泣いちゃうんじゃない?」



 そんな私に気付いたのか、絵梨香がそう言って私の肩を軽く小突く。



「たしかに、花音も麻里にずっとくっついてたしねえ」



 絵梨香の言葉を受けて、紗世がそんな風に笑った。確かに花音は、この3人の中でも特別私にべったりだった。2人がさっぱりした性格なのもあるかもしれないが、それでも私に懐いていたのはなぜなのだろう。



「そんなこと言って、なんだかんだ2人とも泣くでしょ」



 そうかも、と2人が笑う。しばらくして開式の宣言がされ、私はそわつきながら花嫁の入場を待った。


 先に入場してきた誠司さんは、白いタキシードがあんまり似合っていなくて、でも幸せそうに笑っている。続いて新婦入場の合図があり、私は心臓がどくどくと鳴るのを感じながら扉の方を振り向いた。


 お父さんの腕に手を添えて入場してきた彼女は、この日世界の誰よりも綺麗だった。真っ白いウェディングドレスはプリンセスのように裾が広がって、彼女はいつものようにしゃんと背筋を伸ばしながら歩いている。


 花音は、私の隣を通り過ぎるとき、一瞬こちらを向いて微笑んだ。隣からハンカチが差し出されて、自分が泣いていることに気が付く。


 誠司さんの隣に立った花音は、本当に幸せそうだった。見つめ合って笑っている2人の邪魔をしたくないのに、涙が止まってくれない。鼻を啜る音を出さないようにするのに必死だった。


 花音が結婚するのが寂しくて泣いているのか、彼女の花嫁姿を見て感動しているのかわからない。けれど1番に思うのは、花音が幸せそうなことが、私にとっての幸せだということ。



「麻里、すごい泣いてたね」



 披露宴の会場に移動しながら、そう絵梨香が笑う。化粧室でメイクは直したけれど、目の周りは明らかに泣いたとわかるくらい赤かった。



「このあとスピーチあるんでしょ? 大丈夫?」



 紗世の言葉に多分、と返事をして、かれこれ1か月考えていたスピーチのカンペを取り出す。頭に叩き込んできたけれど、いざみんなの前に立ったらすべて忘れるかもしれない。何度も読み直したせいで紙の端がくたくたになっている。


 披露宴の間は、スピーチのことやら作法のことを気にして出された食事の味がほとんどわからなかった。絵梨香と紗世がおいしいねと言いながらワインを飲んでいるのを聞きながら曖昧に頷く。アルコールすらこの緊張を収めてはくれない。



「それでは、新婦友人の藤崎麻里さまにスピーチをお願いいたします」



 司会の人にそう紹介されて、ぎくしゃくと立ち上がる。壇上にあがると、小さな段差なのに視線が自分に集まっていることがわかって余計に緊張した。何より、花音の視線がじっと私に向いていることが。


 落ち着いて、呼吸を整え、深く息を吸う。



「ただいまご紹介にあずかりました、藤崎麻里です」



 声が少し震えたけれど、なんとかスピーチを始めることができた。考えてきた文章も頭の中に浮かんでいるし、カンペがなくても大丈夫。話し出すと、スラスラと言葉が出てきた。


 2人の出会いのこと、高校時代の思い出、長くならないように、でも花音の素敵なところが伝わるよう丁寧に話す。5分程度のスピーチが永遠に感じられて、締めの部分に入るとほっとした。



「花音はこれからも、私の大事な親友です。どうか幸せになってください。誠司さん、麻里のことをよろしくお願いします」



 そこでようやく、花音の顔を見た。綺麗な彼女の瞳から、涙がこぼれている。泣いていても花音の顔はぐちゃぐちゃにならない。映画のワンシーンみたいに、綺麗なしずくが頬を伝う。


 緊張でいっぱいいっぱいだった心が緩んで、私の目からも思わず涙がこぼれた。それがバレないように会釈をして、壇上を降りる。さっき散々泣いたのに、まだ泣いてしまうなんて恥ずかしい。


 でもこれでようやく、花音を送り出せたと思った。私じゃない人の隣で幸せになる彼女のことを。



「麻里、スピーチありがとう」



 2人の元に挨拶に行くと、お色直しをしてオレンジのドレスに着替えた花音がそう言って微笑んだ。



「こちらこそ。本当に結婚おめでとう」



「やめてよ、また泣いちゃう」



 そんなことを言って涙をこらえるように上を向く花音を見て、隣にいる誠司さんも笑っている。初めて紹介されたときはなんだかちぐはぐに見えていた2人だったけれど、今では隣にいるのが当たり前のようだった。高校生の頃の、私と花音みたいに。



「麻里」



 花音に名前を呼ばれて、首をかしげる。



「ずっと、親友でいてね」



 今度は私が泣いてしまいそうになる番だった。もう泣かない、と決めてぐっと目に力を籠める。



「もちろん」



 頷く私を見て、花音は一瞬顔をくしゃっとさせてから泣いた。



「もう、せっかくメイク直したのに」



 そう言いながら、いつの間にか私も泣いていた。


 花音がそれを望んでくれる限り、私たちは親友だ。私はいつだって花音と会うためにとびきりの服を選んで、ネイルも新しくする。


 いつも通り12センチのヒールを履いて、シャンと背筋を伸ばして立つ花音の隣に立つために。

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花音のヒール 阿良々木与太/芦田香織 @yota_araragi

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