第2話

 麻里に紹介したい人がいる。そう言われて待ち合わせたカフェで私の目に入ったのは、花音の隣に座る、さえない男の人だった。



「麻里、こっち」



 私がその2人の並びを呆然と眺めているのを、花音はこちらに気が付いていないと勘違いしたのか、細い腕を伸ばして手を振った。呼びかけられてハッとし、花音の正面に座る。私が席に着くと、男の人はぺこりと軽く頭を下げた。



「この人、私の恋人の中野誠司さん」



「はじめまして、中野誠司です。花音から、お話はかねがね」



 そう言われて、一瞬むっとする。私は今日までこの人の存在を知らされていなかったのに、花音は私のことを話していたなんて。けれど私も大人なので、そんな感情は表に出さないように頭を下げる。



「はじめまして。藤崎麻里です」



 簡単な自己紹介を終えてから、落ち着くために店員さんを捕まえてコーヒーを注文する。何となくお互いの雰囲気を探っているぼんやりとした会話をしている間に、テーブルにコーヒーが届けられた。


 うっすらと気まずい状況の中、手元にやることがあるとほっとする。砂糖とミルクをカップに注いで、くるくるとかき混ぜた。軽い沈黙の中でスプーンがカップに当たる音が響く。



「えっと、花音とはどこで?」



 2人がどっちから何を話すか悩んでいる空気があったので、えいやと私の方から質問をする。2人は同時に私の質問に答えようとして、声が被ってあわあわとしていた。めんどくさい、と思ってしまう。



「誠司が私のいる部署に異動してきたの。元々同じ会社だったんだけど、そのタイミングで、ね?」



「そう、だから、今年の春くらいかな。異動してちょっとしてから付き合うことになって」



 そのちょっとして、の間のことが知りたいんですけど。そう思いながらも口には出さない。こういうことをぐいぐい聞かれるのを、花音があまり好まないことを知っている。


 誠司さんは落ち着きなくテーブルに置いた腕を組みかえている。白い襟付きのシャツに、ブランド物ではなさそうな時計。正直、今までの花音の彼氏とはタイプが違っていた。



「私、ちょっとお手洗い」



 また沈黙が訪れたタイミングで、花音がそう言って席を立った。いつも通りヒールを履いている彼女は、立ち上がると突然背が伸びたように見える。


 誠司さんは、彼女の後ろ姿を愛おしそうに見つめていた。そうなる気持ちはわかる。私も、彼女の背中をずっと目で追ってしまう。



「……花音の、どこが好きなんですか?」



 花音がこの場所にいたらそんなこと聞かないでと恥ずかしがりそうなことを、誠司さんだけにぶつける。誠司さんは彼女の背に向けていた視線を私に移した。



「ああやって、しゃんと背を伸ばして歩いているところが、かっこいいと思ったんです」


 誠司さんはそう言って、はにかみながら頬をかく。

 わかります、と素直に言えなかった。長いこと彼女と一緒にいた私と、半年くらいしか一緒にいない彼の、花音の好きな部分が同じなのが悔しかったから。



「あんな高いヒールで歩くのって、大変なんでしょう? でも、それで綺麗に歩いてて、かっこいいなあって思ってたら、もう目が離せなくなっちゃって」



「……わかります」



 そう返さざるを得なかった。歴代の彼氏に嫌われていた彼女のヒールを、それを履いて歩いている花音をかっこいいと言ってくれる男の人が、ようやく現れたのだ。


 花音が戻ってきて、他愛もない会話をし、全員のカップが空になった頃に席を立った。立ち上がった誠司さんはやっぱり花音よりも背が低い。けれど、花音を見上げる彼の表情はなんだか誇らしげで、多分花音と一緒にいるときの私と同じ顔をしている。


 電車が反対方向だという誠司さんと別れて、花音と並んで駅のホームに立つ。さっきのカフェは2人の最寄りの中間地点らしい。だからよく来るのだと、何気なく惚気られた。



「なんで、誠司さんのこと紹介してくれたの?」



 静かなホームで電車を待ちながら、花音にそうたずねる。写真で恋人の顔を見せてくれたり、お互いの彼氏と合同でデートしたりすることはあるけれど、改まって紹介なんてされたことがなかった。



「誠司と付き合い始めたときに、いつかきっとこの人と結婚するなあって思ったの」



 そんな恥ずかしいことを、花音があっさり言ってのけたから驚いた。私が目を丸くして彼女を見つめると、照れたようにはにかむ。



「でも、気のせいかもしれない。浮かれちゃってるだけかもしれないって、そう思ったから今まで麻里には言ってなかったの。ごめんね」



 私が気にしていたことを、さりげなくフォローされてしまって何も言えなくなる。妬いている自分が少し恥ずかしかった。



「誠司さんのどこが好きなの?」



 そう聞くと、花音はいよいよ照れて自分の頬を両手で包む。恥ずかしいときの、彼女の癖。



「気を張らないでいられるところ、かなあ」



 そう言う花音の目は、今までの恋に恋しているような、自分に居場所を与えてくれる人を探しているような、寂しい目はしていなかった。いつもよりきらきらしていて、でも彼と生きていく未来を見つめている。そんな感じがする。


 きっと花音はここで誠司さんに出会う運命だったんだ。それまでの恋愛で散々傷ついてきたけれど、ようやく彼女が彼女のままでいられる人に出会えた。


 誠司さんはきっと、彼女がどんなに高いヒールを履いても気にしないだろう。過去の恋人のようにプライドだけ高くて、花音にぺたんこの靴を履くように強要なんて絶対しない。


良い人だ。少し話しただけの私でもそう思うのだから、花音が彼を結婚相手にと望むなら異論はない。でも、やっぱり少し寂しかった。



「結婚式には、呼んでね」



「呼ぶよ! 麻里を呼ばないで誰を呼ぶの」



 そう言ってもらえて素直に嬉しい。ウェディングドレスを着た彼女はきっと世界一美しいだろう。私がお嫁さんにもらいたいくらい。いいなあ、誠司さん。


 その流れのまま理想の結婚式の話題で盛り上がっているうちに、花音の最寄り駅についた。



「スピーチは絶対に麻里がしてね」



 そう言い残して、彼女は降りていく。電車の扉が閉まるまで、花音は手を振ってくれていた。いつも別れるときはそうしてくれているのに、今日はなぜかその姿に涙が出そうだった。


 駅から離れて花音が見えなくなり、私は1人、扉にもたれ掛かる。外はすっかり暗く、少し疲れた顔をした自分の顔が窓に反射していた。


 喜ばしい日に、そんな顔をしている自分の顔は見たくないと目を瞑る。瞼の裏には、今日の幸せそうな2人の姿が浮かんだ。


 きっと、いい夫婦になるだろう。誠司さんは麻里を幸せにしてくれる。


 花音はずっと、私の隣にいるのが当たり前だった。その立場を、誠司さんに譲る。でも、彼女はこの先も、私を親友と呼んでくれるだろう。それだけでいい。


 まだ日付も決まっていない結婚式のスピーチを頭の中で考える。彼女とは高校のときから友達で、本当にいい子で、語りつくせないくらいの思い出があって、それから、それから。


私の隣に立ってくれていたことが誇らしく思えるような、親友でした。

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