花音のヒール

阿良々木与太/芦田香織

第1話

 私の親友は背が高い。元の身長の170センチに加えて、ヒールでプラス12センチ。人混みの中にいても、彼女は目立つ。背が高いのもあるけれど、単純に美人だから目を引かれるのだ。待ち合わせ場所にいる彼女の周りだけ、なんだか輝いているような気がする。


 しゃんと背筋を伸ばして立っている彼女を数メートル先に見つけた。スマホを見るでもなく、辺りをきょろきょろと見回すでもなく、ただ私に見つけられるために前を見ながら待っている。



「花音、ごめんお待たせ」



 そう声をかけると、花音は私に目を向けて、柔らかく微笑む。白いふわふわのアウターに埋もれてしまいそうなほど小さな顔。それに施された派手すぎないメイクが、彼女の顔立ちを際立たせていた。女の私でも、ついため息をつきたくなるような笑顔だ。



「全然、さっき来たとこ」



 彼女はそう言って、ふと私の手を取る。思わず心臓がはねた。花音の細くて白い指先が、私の手を撫でる。



「麻里のネイル、かわいい」



 花音と遊ぶからと、昨日サロンに行って新しくしたネイルだ。グラデーションのピンクにハートのパーツ。カタログとにらめっこしながら選んだ。彼女はそういう部分にすぐ気が付いてくれる。



「コートも見たことないやつ。買ったの? かわいいね」



 言葉を返す間もなく、花音の手が今度は私の黒いロングコートを撫でる。たまたま出かけた先で一目ぼれして買ったものだが、私のセンスと花音の好みがずれていないようで嬉しい。



「よく気づくね、ありがとう。花音もかわいい」



 謙遜すると花音は怒るから、そう言ってありがたく誉め言葉を受け取る。返した言葉はまるで付け足しのようになってしまったけれど、本当にそう思っているのだ。恥ずかしくて彼女みたいにうまく言えないだけで。



「ありがと」



 私が言うとお世辞を勘違いしたみたいになってしまう感謝のセリフは、花音が発するととても自然に聞こえた。彼女の容姿は褒められるに値すべきもので、花音自身もそれをわかっている。それくらい、自分に自信がある。


 どこのモデルかと見紛う彼女のスタイルは、当然のように視線を集める。休日で人が多いのもあるけれど、さっきからちらちらと周りの人がこちらを見ているのがわかった。私はその瞬間が、1番


 こんな美人を連れ歩ける関係にある。それだけで背筋が伸びた。あの子は美人だけど横の子はちょっと、と思われないように、花音と遊ぶ日は服もメイクも気合を入れる。それは別に面倒でもなんでもない、彼女と一緒にいるための義務だ。


 

 そんな花音との出会いは8年前、高校1年生のときだった。入学式のときから彼女はやはり人の目を引いていて、あっという間にクラスの注目の的になった。そして1カ月が経たないうちに、学年中、学校中の花となった。


 私はそんな彼女を遠巻きに見ているうちの1人だった。美人だなあ、とか、話してみたいなあとか思っていたものの、花音を取り囲んでいる1軍グループが怖かったのだ。


 花音と仲良くなったきっかけは体育の授業。健康診断が終わって背の順で並ばされたとき、そこそこ身長の高かった私の順番は彼女の前だった。体育の授業は今後その順番で並んでもらうと言われたとき、思わず嫌だと思ってしまった。私の前にいた子は花音のグループの1人で気まずかったし、自分の身長がその子より1cm高かったことを恨んだ。


 けれどそんな思いはあっという間に消える。ちょんちょんと肩を叩かれて後ろを振り返ると、花音のぱっちりとした瞳と目が合った。



「よろしくね、藤崎さん」



 可愛い子ってずるい。そんな顔で微笑まれたら、もう嫌だなんて思えない。みんなと同じださい体操服を着ているはずなのに、彼女だけ別物のように似合っているし、ハーフパンツから伸びた足はすらりとしていて白い。みんなが花音に夢中になるのがわかる。



「こちらこそ、坂田さん」



 その日の授業では、最初にバレーのパス練習を行った。先生の指示で背の順の前から2人ずつペアを組む。当然、花音とペアになった。


 ボールを前からとってきて、不慣れな動きでサーブを送る。へろへろととんで彼女の腕に当たったボールはあらぬ方向へ飛んで行き、私は自分のサーブが悪かったかと焦った。



「坂田さん、ごめん!」



 取り巻きに睨まれてやしないかと、一瞬辺りを見回す。けれど、周りは気づいていないようだった。ほっと胸を撫でおろし、彼女のサーブを待つ。とてとてと小走りでボールを取りに行った花音は、ちょっと不安になる姿勢でサーブを打った。


 案の定、ボールはまたあらぬ方向へ飛んでいく。今度は私がボールを取りに行く番だった。パスの続いているペアの横をそそくさと通り、ボールを拾う。



「ご、ごめんなさい藤崎さん……」



 花音はしゅんとして、大きな体を縮こまらせている。気にしないでと手を振ってまたサーブをするも、やっぱりボールは返ってこなかった。ボールは2人の真ん中に転がり、お互いボールに向かって駆け寄る。



「……坂田さん、あの、もしかしてバレー苦手?」



「バレー……ていうか、運動全般っていうか……」



 彼女の言葉尻はどんどん萎んでいく。ボールを両手で抱きしめるようにしながらごめんなさい、とつぶやいた。



「いや、全然大丈夫だけど。私もそんな運動得意じゃないし」



 むしろ完璧な美人だと思っていた花音にも苦手なことがあると知ってほっとしている。結局その時間は、1度もパス回しは成功しなかったけれど、あまりにも上手くいかないことが面白くなってしまって、2人ともボールを取りに行きながらけらけらと笑った。


 体育の時間は毎回ペアだったこともあって、私と花音は教室でも時折話すようになった。それでも次の時間割を聞いたりとか、たまたまお互い1人のタイミングで言葉を交わすとか、その程度。


 親友と呼べるような関係になったのは、花音がお昼ご飯を私と食べるようになってからだ。


 彼女は1学期の終わりごろ、花音をずっとちやほやしていた1軍グループに仲間外れにされるようになった。何でも、グループのうちの1人が好意を寄せていた男子が、花音に告白したことがきっかけらしい。美人で人気な彼女をもてはやしていたくせに、その不利益を被ると気に食わなかったのだろう。もしくは、日頃からひそかに嫉妬していたのが爆発したか。


 ある日の昼休み、花音はお弁当箱を持って、私たちのグループが集まっている机の前に立った。私も、私以外の2人も、彼女の言いたいことはすぐにわかった。数日前から、花音は1人でお弁当を食べていたのだ。


 周りからの視線や、前のグループからのひそひそ笑いに耐えかねたのだろう。花音は困ったような顔をして、私たちを見下ろしている。背が高いのに、まるで子犬のようだった。



「一緒に、お弁当食べてもいい?」



 許しでも乞うような声音で、花音は小首をかしげる。嫌とは言えない。むしろここで断ったら私たちが罪人になる。幸いうちのグループは別のグループのひそひそを気にするたちではないし、快く彼女の椅子を用意した。


 以前はお姫様のような扱いを受けていた花音だけれど、うちのグループに入ってからはそんなことはなくなった。必要以上にちやほやしないし、だれそれが花音のことを好きなんだって、なんて話も出ない。花音もそれで快適そうだった。前はいつも、みんなの真ん中にいるのにずっと居心地悪そうな笑顔を浮かべていたから。


 ちやほやはしなかったけれど、花音が同じグループにいるのは私の自慢だった。それは今も変わらない。


 居場所が変わっても、彼女は相変わらずモテた。美人で優しくて可愛い花音が、学校の普通の男子と付き合っているとはらわたが煮えくり返りそうだった。告白してくるだけでもおこがましいと思う。でも花音はそのとき彼氏がいなければ大抵の男の子を受け入れて、数カ月でふられる。彼女がふるのではなく、ふられている。



「なんか、思ってたのと違うんだって」



 ふられるときの文句は決まってそうだった。男子たちは彼女に一体何を想像しているのだろう。こんな見た目で、完璧じゃないのが花音の良いところなのに、何もわかっていない。



 有象無象の男にふられたくらいで悲しまなくていいのに、彼女は失恋するといつも1週間は落ち込んだ。悲しむ花音を見るのは私の心も痛かったけれど、それでよかったと思う。


 普通の男に花音はもったいない。花音はいつか、本当に素敵な男性と結ばれるべきだと、そう思っていた。ヒールを履いた花音よりも、背の高い王子様みたいな人。

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