設定が甘かった
明弓ヒロ(AKARI hiro)
改変されてもしかたがない
「こちらが、今回の映画の撮影の舞台となる翡翠荘です。建築におよそ10億円かかりました」
翡翠と言う名称とはうらはらに大理石で作られた厳かな洋館を前に俺の体が震えた。
「すばらしいです! まさに私が想像していたとおりの建物です! まさか、本物を見られるなんて作者としても感無量です!」
「100万部売れた先生のベストセラー作品を映像化するのですから、こちらとしても本気をみせませんと」
プロデューサーの山本が媚びるような目で俺を見た。
「外観だけでなく、内装も原作通りです。どうぞ、お入りください」
山本が両開きの玄関扉を開けると、吹き抜けから外光が降り注ぐロビーが俺たちを出迎えた。見上げた吹き抜けの天井には、豪華なスワロフスキーのシャンデリアが取り付けられている。これだけでも、100万は下るまい。
「こちらの建物は土足で結構です。先生には釈迦に説法ですが」
日本家屋と違い、玄関からリビングへと続く廊下には段差がない。
「こちらが殺人の舞台となるリビングです。奥には暖炉があります」
広さ40畳を超える部屋は、ケチな俺が済んでいるワンルームよりも広い。
「キッチンはこちら。ビルトインの冷蔵庫はドイツから取り寄せました」
冷蔵庫と棚が同じ奥行でフラットになる、海外の豪邸ロケに出てくるようなキッチンだ。奥行40cmの超薄型冷蔵庫はすでに廃版となっている30年前のドイツ製だ。
「階段はこちらです」
さすが豪邸。各階の天井の高さは3mを超えており、二階へいく階段も普通の日本家屋に比べてずっと段数が多い。
俺たちは、階段を上り邸宅の二階も一通り内見した。どの部屋のつくりもまさに俺が想像したとおりの、いや、想像以上の完成度だった。
「いやー、本当にすばらしいです! これなら、私だけでなく、私のコアなファンも大絶賛間違いなしです!」
以前、低予算でドラマ化したときは、俺のコアなファンがネットで文句をたらたらと書き連ね、ちょっとした炎上騒ぎとなった。俺としては知名度も上がり原作の本の売り上げも10倍になったので、多少の不満はあっても十分納得のいくものだったので、有難迷惑というやつだ。
「では、作品ができあがるのを楽しみにしてます」
俺が上機嫌で帰ろうとすると、
「ちょっと、待ってください」
みるからに不機嫌そうな、中年女が俺を睨みつけてきた。
「先生にいくつかお尋ねしたいことがあります」
明らかに喧嘩腰な口調だ。
「ちょっと、森田さん。もう少し、言葉遣いに気を付けて」
「私は、今回の作品の監督の森田と申します」
態度をたしなめようとした山本を振り切るように、森田と自己紹介した女性が俺につめよってきた。
「山本からすでに伝わっているかと思いますが、今のままでは映像化はできません」
「えっ? どういうことでしょうか?」
「山本さん、先生には伝えてあるんじゃないんですか?」
「いや、まぁ、微妙な話題ですので時期を見て……」
「時期を見てって、一カ月以上前にこの話はしているじゃないですか!」
「だから、全体の調整をしながら、タイミングを見てですね」
なんだか、雲行きが怪しくなってきた。
「すみません、ちょっと話が見えないのですが」
俺が揉めている二人の間に割って入ると、森田が山本を追いやって話し始めた。
「先生の作品を元に脚本を制作し、役者を配置して動きを確認したところ、原作には不備があることが判明いたしました」
「不備ですか?」
「はい。不備というか、そもそも先生の作品は小説の中でしか成り立ちません」
「と言うと?」
「例えばですねー」
と森田がキッチンの冷蔵庫を指さした。
「先生の作品では雪で道が塞がれ、この館で一週間、20人が過ごします。ですが、この冷蔵庫では食材が足りません」
「まぁ、そうかもしれませんが、そこは小説なんで。そこまで細かいところに拘らなくても」
「最近は、粗探しをして、やれリアリティがないだの、修正すると原作無視だの、いちいち文句をつけてくる人が多いんですよ」
「では、冷蔵庫を大きくしましょう」
「そうなると、キッチンのレイアウトが変わってきますが」
「それぐらいであれば、修正して頂いて構いません」
「承知しました。それならば冷蔵庫警察も煩いことを言わないでしょう」
細かい女だ。それぐらい、適当に修正すればいいだろう。だいたい、冷蔵庫の中までチェックする奴がいるか。冷蔵庫警察ってなんだ。
「それとですね」
「まだ、他にも?」
俺が面倒くさそうに返事をすると、
「小説では暖炉の煙突が犯人が密室状態のリビングに入るための経路となりますが、特殊なマスク無しでは炭が気管支に入ってしまい、むせます。また、壁も滑りやすいため、そもそも素人には到底無理です」
「では、煙突掃除の経験があるという設定にしましょう」
「日本では、現在、煙突掃除を専門にしている人は少なく、高齢者の銭湯向けの職人がわずかに残っているだけです。先生の小説のように、女子高生が煙突内を通るのは無理があるかと」
「そこは、祖父が煙突掃除人とか」
「彼女は両親に捨てられて、孤児院で育ったのでは?」
「おっと、そうでしたね。じゃあ、バイトで」
「プロのテニス選手を目指して、朝から晩まで練習していますが?」
「えっと、そうでした。じゃあ、テニス選手を目指すのは止めて、バイトを色々掛け持ちということで」
「色々と言うのは?」
「そこは、そちらで適当におまかせします」
「承知しました」
煙突なんか、小説や映画の中で、いくらでも通ってるだろう、と言いたくなったが、また煙突警察がーとか言い出されるとめんどくさいことになる。
「それとですね」
「まだ何か?」
「犯人は犯行後、30秒でリビングを後にして二階にある自分の部屋へと戻りますが、計算すると100mを8秒で走ることになります。おいおい、金メダルとれるだろうっと突っ込まれます」
「はぁ」
「どうしますか?」
そこまでは考えていなかった。
「じゃあ、2分ぐらいで戻るように」
「そうすると、アリバイトリックの辻褄が合わなくなりす。ご自分の小説なのだから、おわかりですよね?」
そうなのか? もう、細かいところまで覚えていない。
「それとですね」
「まだ、何か」
「車椅子の探偵が犯人に追いかけられて、玄関の段差が越えられずにハラハラさせるシーンがありますが、この館は洋館なので段差がありません」
「……」
そこまでは考えが回らなかった。かっこつけて設定を洋館にしたのが失敗だった。
「まだあります。犯人がジャンプして、シャンデリアに捕まるシーン。何が言いたいのか、おわかりですね」
「はい、おわかりです……」
森田が天井から吊り下げられたシャンデリアを指さした。ここに飛びつくためには、3mはジャンプする必要がある。人間の脚力では無理だ。
「他にも、あと200ヵ所ほど致命的な問題個所がありますが、先生の方で修正可能でしょうか?」
「200ヵ所も! さすがにそれは無理かも」
「先生、それは困ります!」
弱音を吐いた俺に、山本が血相を変えた。
「もう、トム・クルーゼも主演で契約済みです。そもそも、先生ともすでに契約して手付金も払っています。撮影延期や中止の場合は、手付金の返却を含めて賠償を請求することになりますが、よろしいですか!」
先ほどまでのへりくだった態度を一変させ、どこから取り出したのか、俺の実印が押してある契約書を突きつけてきた。
「そんなことを言っても……」
「そんなもこんなもありません! どうにかしてください!」
どうにかと言われても、すでに手付金はギャンブルですってしまった。手元には一円もない。それどころか、35年マンションのローンを抱えている。
「正直、ちょっとやそっとの修正じゃ済まないと思うんですよ。たぶん、一から書き直さないと」
「どれくらいで書けますか?」
「半年ぐらいあれば」
「半年ですか!」
俺は自慢じゃないが遅筆なのだ。
「もしかすると、三年ぐらいかかるかも」
「さ、三年! ふ、ふざけるなぁ!!」
山本がマジ切れだ。完全に目がいっている。このままだと、この洋館が本当の殺人現場となってしまう。
「一つ提案があります」
この状況で、一人だけ冷静な人間がいた。
「念のために、修正案を用意してきました。先生さえ、よろしければ、こちらで進めたいのですが」
森田が脚本を差し出した。
◇◇◇◇◇◇◇
大雪で閉じ込められた洋館で起きた殺人事件。悲しい過去をもつ女子高生の犯人が起こした不可能犯罪を、車椅子探偵が神業のような推理で謎解くが、真実は自分の胸にそっとひそめ、生涯唯一の未解決事件となる。
それが俺の原作だった。
しかし、映画館では、驚異的な身体能力を持つ宇宙人が女子高生に偽装し、トム・クルーゼ扮する両足を失った元グリーンベレーの隊員と、死闘を繰り広げていた。
一人、また、一人と、宇宙人に殺されていく登場人物たち。初老のやくざ、無差別級格闘技のチャンピオン、全身改造されたサイボーグ。最後にただ一人残ったのがトム・クルーゼ扮するもはや探偵の面影は全くないただの軍人。これまでと思ったその瞬間、トム・クルーゼは立ち上がった。両足を失ったというのは偽装だったのだ。『俺の方が騙すのは上手かったな』の台詞とともに、容赦なく宇宙人の頭を隠し持っていた銃で撃ちぬいた。
映画は日本では全くヒットしなかったが、なぜかアメリカでは大ヒットし、日本映画の海外興行収入記録を塗り替えた。
内心、複雑な気持ちを抱え、俺が新作を書こうとPCに向かってキーボードを叩いていると、山本からメールが来た。
『先生の作品、大ヒットです! ぜひ、次の作品もご一緒しましょう! 契約金は前回の10倍です!』
俺は返信した。
『監督は、森田さんでお願いします!!』
―了―
設定が甘かった 明弓ヒロ(AKARI hiro) @hiro1969
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