WAKE 3
ここは置き去りにされた場所である。一筋の光も差さぬ冷たい暗闇の底である。もうずっと永くこの場所にいる私は、体の芯まで冷え切っている。その体をただひたすらに重い液体が押し包み、たえずぎゅうぎゅうと締めつけてくる。この圧迫感だけが、私という存在を自覚させてくれる唯一の感覚で、ゆえに私はここに在ると知る。
いったいどれだけの時をここで過ごしてきただろう。何の変化もないこの場所で身じろぎ一つせずにいるうちに、そんな単純なことでさえ、もうすっかりわからなくなっている。ずいぶん昔には、せめてこの場所から少しでも移動できればと願ったような気もするが、今はただこうして在ることが私なのだと受け入れている。
ここは本当に何もない場所だ。しかし退屈はしない。周囲を隙間なく満たす、闇をたたえた液体は、私をこの場に押し込めるだけではなく、実に様々な音、振動、揺らぎを伝えてくるからだ。それはどこか遠い場所、あるいはすぐ近くで行われている、大小幾多の命による営みの気配であった。
小さな、本当に小さな泡粒が弾けたときに発するような音が、数十、数百という数で次々に聞こえてくることがある。ピチピチという固く輪郭のはっきりしたその音に、私は若い命の躍動を重ねてみる。のしかかる大重量、果てしない闇、永遠の低温という世界でも、命は存在し、喜び、つながりあっているのだ。その考えに私は満足し、癒される。
小さな命の気配が突然消滅することもある。消える直前、弱々しい小刻みな振動が深い闇の奥から届き、そこに私は、命が命を食らうときの、食われる命が発する断末魔の叫びを聞く。そのあとしばらくは静かな時が流れるが、ふと気がつけば、新たな命のうごめきを伝える音があたり一帯に満ちている。
遙か遠くから押し寄せるゆったりとした揺らぎは、大きな命がどこからかやってきて、どこへともなく去ってゆくときに生じるうねりの相似形である。揺らぎの中に編み込まれた複雑なねじれの形状が、大きな命の打ち振るう何か平たいもののしなり具合や、命が近づき遠ざかる速さを正確に伝えてくる。
ときに二つの揺らぎが間をおかずにくる場合もある。追うも者と追われる者だろうか、あるいは連れ添う者同士であろうか。真実は決して知り得ぬが、ゆえに想像をたくましくすることが楽しく、飽きることがない。
ところで私には、なぜ「命」という概念があるのだろう。ただの音、振動、揺らぎの中に、どうして見たこともない命を感じてしまうのだろう。そこに強いあこがれを覚えるのは、何か特別な理由があるのだろうか。
――もしかしたら私自身が、無数の命のなれの果てだから?
突然訪れた考えを私はあわてて打ち消した。それこそ命へのあこがれが招いた荒唐無稽な妄想だ。この何もない場所で、ずっと変わらぬことだけが私を私たらしめているのである。それ以前のことなどないのである。そうして時折訪れる命の気配に、こことは異なる世界を想う。ただそれだけの存在であることに、私は満足している。
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