WAKE 2-1

「おはようございます」


「おはよう」

「体調はいかがですか」

「問題ないようだ」

 私の記憶に間違いがなければ、彼に体調のことを聞かれたのは二回目だ。

 あまり深く考えずに返事をしてしまったが、それでよかったのだろうか。本当はいつもと同じではないのである。

 そう、いつもより、ずいぶん――調子がいいのだ。

 ん?

「ちょっと待ってくれ。私は肉体の限界が来て死んだのではなかったのか」

「亡くなられました」

 やはり死んだのではないか。

 いやまて、生きているぞ。

「からかうんじゃない。死んだ者がこうやって話ができるわけないだろう。そうか、蘇生技術を開発したのか。183万年もあればそれぐらいのことは実現できてもおかしくはないからな。違うか?」

「おそらく、あなたが想像されている状況ではありません」

「何がどう違うと言うんだ」

「状況を説明する前に、いくつか質問をさせてください」

「もったいぶるじゃないか。まあいい。何でも聞いてくれ」

「宇宙船からの一番最初の報告を覚えておられますか」

「水の惑星のことか」

「そうです」

「もちろん覚えている。調査の結果、惑星自体が巨大な水滴だったというのが驚きだった」

「では二番目の報告はいかがでしょう」

「知性体の痕跡かと思われたセラミックの構造体だな」

「そうです」

「結局、シリカ系の柱状結晶だとわかったときは失望したが」

「はい。残念でした。では最後にもう一つ」

「まだあるのか。どの惑星だね」

「正確には惑星ではなく衛星なのですが」

「ああ、火山衛星か。最近のことだから良く覚えている。最近とは言っても、私の感覚でのことだから、実際にはずいぶん前かもしれないが」

「調査を行ったのは2万8000年前です」

「そんなに前だったか。あそこは生命体が存続するには過酷な環境だったけど、多種多様な化学反応が起きている海があったからな。もしやと期待したがだめだった。その次に報告のあった発光ガス星雲内のメタン星も、超巨大彗星表面の泥氷も、報告があるたびに今度こそはと思ったが生命体は見つからなかった。もしかしたらこの宇宙で生命体というものは相当に稀有な存在なのかもしれないな。だとすれば――おっと、話がそれてしまった」

「ありがとうございます。ここまでのやりとりで、あなたの移行が問題なく行われたことを確認できました」

「移行?」

「先ほどあなた自身がおっしゃっていたように、あなたの肉体は限界を迎え、完全に機能を停止しました」

「それは、死んだということではないのか」

「その通りです。あなたは亡くなられました。ですがあなたの自我は私が構築したシステムに移行することによって存続しています」

 では、今こうして考え、話をしている私は、肉体を持たない自我だけの存在ということになるのか。

 そんなことが可能なのか。

 いや、少なくとも私は今、こうして自分の存在について考えている。

 そのことだけは間違いない。

 しかし、考えるだけの存在とは。

 そんなことが可能なのだろうか。

「説明しましょう」

 彼は私の思考を読んだかのように――実際に読んだのかもしれないが――絶妙なタイミングで話を進める。

「あなたをあなたたらしめているものはたった二つの要素なのです」

「二つ?」

「それは意識と記憶です」

 たしかにそれは私が私であるために必要な要素だろう。だが、その二つだけというのは簡略化しすぎではないのか。


「まずは意識の話をしましょう。あなたの肉体には光や温度、音、化学物質の性質、圧力などを覚知する各種の感覚器がありました。感覚器は外部の状況をそれぞれの特性に応じて受け取り、電気信号に変換し、中枢に向けて送信し続けます。中枢では送られてきた電気信号を質的感覚へと逐次変換します。たとえば光を受けた『目』という感覚器は、光の周波数と強度に応じた電気信号をそれぞれ中枢に送り、中枢ではそれを色と明るさという質的感覚に変換し、視野というフィールド上に展開します」

 聞き慣れない言葉もあるが、ここまではまあ理解できた。

「ですがこの段階ではまだ意識は生じません。何かのきっかけによって、視野というフィールド上に展開されている色と明るさの変化に『注意』が向けられたとき、つまりあなたによる主体的な観測が行われてはじめて、外界が持つ属性のある一面が明るさと色という質的感覚で――つまり視覚的に――認識されます。この認識の瞬間が『意識』の生じている状態だと考えてください」

「わかるような、わからないような感じだ」

「意識を生じさせるためには、感覚器からの電気信号と、それを変換して質的感覚へと変換する中枢が必要だということです。これらはあなたの肉体に付随する機能でした」

「つまり、君はその機能をシステム上に再現したということか」

「その通りです。生命体探査用に開発したセンサー群をあなたの感覚器に合わせてチューニングしました。中枢に該当する制御システムは、センサーの制御およびデータの処理装置を大幅に改良し、私にも使われている自己認識機能とリンクさせています。センサーから受け取った電気信号を質的感覚に変換するというプロセスの開発が一番やっかいでした。ここだけで30万年の試行錯誤を行っています。生命体がその進化の過程において、外界の認識機能を獲得するために要した時間とほぼ同じなのではないかと推測しています」

「システム上に生命体を創り出したと?」

「それは違います。あくまでも意識を生み出すための環境を構築しただけです」

「では、今私が見ている部屋の様子や、こうして聞こえている君や私自身の声は、センサー群からの電気信号を変換処理したもの、ということなのか」

「その通りです。ちなみに『意識』は『注意』をそらした瞬間に消失します。気を失うという意味ではありません。見えてはいる――中枢内の視覚フィールド上で明るさや色の変化は続いているけれど、それに『注意』は向けていない、つまり見えているものを『意識』していない状態になるということです。感覚器がとらえた外界のイベントは、それに注意を向けた(観測した)ときにはじめて認識され(ある状態が確定する)、意識を生じさせます」

「それが自我だと」

「まだです。意識があることと自我(私という一人称の存在)があることは、同じではありません。自我が生まれるには意識に加えて記憶がなければならないのです」

 だんだん話が込み入ってくる。

 だが一つだけ確かなのは、彼の理論は正しいということだ。その理論に基づいて構築されたシステムによって、今の私は「私である」という自覚の上に、こうして意識を保持できているのがその証拠である。


「次に記憶の話をしましょう。あるイベントに伴う各感覚器からの電気信号と、その信号を処理して得られた質的感覚は、元のイベントと関連づけられ再生可能なデータとして中枢内に保存されます。このデータが記憶です。意識は外界からの刺激によって生まれますが、中枢の処理機能が発達すると、記憶に対しても意識を向けることができるようになります。記憶は複数の質的感覚の組み合わせによって構成されています。この記憶に意識を向けるということは、外界のイベントによって得られる質的感覚と同等の体験が再現されることを意味します」

「難しいな」

「では実例で説明しましょう。あなたは宇宙船の第一号機出発の様子を当時の肉体的視覚によってご覧になりました」

「ああ、あれは印象的だった。水素と反水素の対消滅で生まれた光が、ゆっくりと星の海に向かって進んでいくんだ。感動的な光景だよ」

 そう答えて、彼の意図に気づいた。

「今、あなたの内部で記憶の再生が行われたということが自覚できたと思います」

「たしかに記憶の再生だった」

「記憶はあなたが意識した出来事を元に構成されています。意識したということは、あなたが関心を持ったということです。関心を持たなかったイベントは記憶に残りません。記憶というのはあなたが関心を持ったイベントの集積です。つまり、あなたらしさ、あるいは、あなたを、あなたたらしめている素材集なのです」

「なるほどな」

「話を戻しましょう。あなたに意識があるうちは、記憶は逐次生産され続け、蓄積されていきます。その記憶にはあなたというバイアスがかかっています。あなたが意識を持ちはじめてからの記憶の集積は、あなたの存在記録でもあります。当然ですが、この記憶の集積は生命体ごとに異なった内容となります。自我とはこの記憶の集積に紐付けられた意識のことなのです。よって、あなたの感覚器と同等のセンサー、あなたの中枢と同等の処理装置、あなたのこれまでの記憶、およびその記憶を再生するための領域をシステム上に構築できれば、そこにあなたの自我が生まれるのです」

「ぼんやりとではあるが理解できたかもしれない。その上で念のために確認しておきたいのだが、生命体としての肉体にあったときの私と、君が構築したシステム上に移行した私は、まったく同じ存在なのだろうか」

「同じです。それを先ほど確かめさせていただきました」

「先ほど?」

「過去の宇宙船からの報告について、いくつかの具体的事例を思い出していただいたときのことです」

「ああ、氷の惑星のことか。過去の記憶を正確に引き継いでいることが確認できたから問題ないと」

「それもあります。さらに少し複雑な確認もしています」

「聞かせて欲しいな」

「これまでの183万年は、そのほとんどが待ちの時間でした。あなたには眠っていただきましたが、私はこの時間を使ってあなたの意識と記憶をシステム上に移行させるための方法を研究していました。研究は理論の構築だけではなく実験も合わせて行っています。たとえばシステム上にあなたの自我を生成するエリアを確保し、別なシステム上には疑似的なあなたを作成して、感覚器データのチューニングも行うといったものです。こうした試行錯誤を新たな理論を構築するたびに最低でも数億パターンで行います。ほんのわずかなチューニングのずれが、あなたの自我を破壊、あるいはまったくの別人格に変容させてしまう恐れがあるからです。実験は失敗の連続でした。あなたが目を覚まし、生命体探査の調査に関するやり取りをされている時間は、貴重なサンプルデータの採取時間でもありました。システム上の疑似的なあなたに覚醒時のあなたから採取したサンプルデータを落とし込み、実験環境の精度を上げることで、少しずつではありますがチューニングが進みました。こうして移行準備が完了したのが2万8000年前のことです」

「それはずいぶん前なのか、最近のことになるのか」

「あなたの肉体的寿命に関する懸念が出始めたのが10万年前ですから、ぎりぎりで間に合ったというところです」

「時間感覚が麻痺する話だ」

「システムは完成しましたが、念のためにテストを行いました。ある探査船から目的地到着の連絡が入った際に長期睡眠中のあなたを目覚めさせずに、システム上に構築した『あなた』を起動し、一連のやり取りを行ってもらったのです。テストは一度きりで、その次の報告では、あなたに目覚めていただいています」

「そのテストで行ったやり取りというのは?」

「火山衛星の調査に関する指示と報告の受領です」

 その調査のことははっきりと覚えている。探査船から送られてきたマグマの映像も、複雑な化学反応を起こしていた熱い海のことも。

 彼の話を聞いた上であっても違和感は何もない。あの火山衛星調査に関する記憶は、他の惑星調査に関する記憶とまったく同質の、まぎれもない「私自身の記憶」である。

 ちょっとまて。それはつまりどういうことになるんだ。

「先ほどのあなたの話をうかがい、記憶の接合にも問題ないことは、今、あなた自身が実感されていると思います。システム上のあなたも、生身の肉体時代のあなたも、あなたであることに変わりはないことが実証されたわけです。ですから――」

 彼はそこでわずかに間を取った。

「肉体を失ったあなたが、今もあなたとして存在していることを疑う余地はありません」

 彼はそう宣言し、「生命体の探査は継続しますか」と聞いてきた。

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