WAKE 1-4

「おはようございます」


 彼は禁固開始からの経過時間を告げなかった。覚醒シグナルの音色も変わっていた。どこがどんな風にということは指摘できないが、室内の様子もどこか違ってしまったような印象を受けた。

「体調はいかがですか」

「問題ないようだ」

 体調のことを聞かれたのも初めてだ。

 一つ一つは小さな事だが、いくつもの初めてが続くとそれは違和感につながる。

「私が眠っている間に、何か問題でもあったのか」

「何も問題はありませんでした」

「それならいいんだが。で、宇宙船は?」

「完成しました。まだ試作機ではありますが、いったん確認いただくのが良いだろうと判断し、起きていただきました」

「おお、それはうれしいニュースじゃないか」

 まだ少しぼんやりしていた頭の中が一気に覚醒した。

「大変だったかね」

「時間がかかりました。2567年と130日を費やしています」

「2500年?」

「2567年と130日です」


 彼に建造を要請した恒星間航行用宇宙船というものは、その時点において完全にオーバーテクノロジーとなる代物だったので、それなりの時間はかかるだろうとは思っていた。それにしても、まさか2500年とは。

「何に一番時間がかかったんだ?」

「20光年を航行するための燃料の確保に約2300年かかりました」

「ほう」

 その回答も意外だった。

 新たな推進システムの開発に一番時間がかかるだろうと踏んでいたのだ。

「推進システムには?」

「設計に2年、製造に30年です」

「燃料確保に比べるとずいぶん短期間だな」

「星系内に残存するほぼすべてのコンピューターに自己進化のユニットを付加して今回のプロジェクトに投入したのです。設計や企画立案のように、内部処理のみで進められることに関してはかなりのスピードアップが図られています。ですが宇宙船の船体建造や燃料の確保など、物理的作業を伴うものには時間がかかりました」

「では、こうして話をしているきみも、ずいぶんと性能アップしているんだろうな」

「はい。推論や自己認識機能については日々性能が向上しています」

「それは頼もしい話だ」

 私が眠っている2500年の間、休むことなく自己研鑽に励んできた彼と彼以外のコンピューター群たち。いったいどれほどのものになっているのだろうか。

「そうだ。確保するのに2300年の時間を要したという燃料は、結局何なんだね」

「反物質です。具体的には反物質の水素原子です」

 そういうことか。

 反物質を使うのであれば、対消滅によるエネルギー変換効率は200パーセントになる。積載質量を少しでも節約したい宇宙船の燃料としてこれ以上のものはないだろう。だが保管場所や制御方法など、実用レベルでは取り扱いがかなり難しいはずだ。

 そして何より困難なのは反物質の生成である。高エネルギーの粒子同士を衝突させることで反物質は生成できるはずだが、その方法だと取り出せる反物質はごく微量で、宇宙船の燃料として必要な量を確保するには数十万年の時間がかかると聞いたことがある。ただしそれは私が眠りについた時点――今から2500年前の科学水準での話だ。つまり――時系列が混乱するが――この2500年の間に大幅な技術革新があり、その成果によって2300年で十分な量の反物質が生成できたということかもしれない。


「宇宙船はいつでも出発できる状態にあると考えていいのだろうか」

「はい。あとは目的地を決めるだけとなっています」

「私は馬鹿だな。宇宙船建造のことしか考えていなかったよ。そうか、目的地を決めなければならないな」

「候補となる恒星系リストを作成していますので、もしよければそこから選んでいただけますが」

「そんなリストがあるのか」

「宇宙船建造と並行して、リストの作成も進めていました。残念ながらまだ生命体の存在を示す証拠は発見できていませんが、この第三惑星と同等の環境を持つと考えられる惑星、およびそれを有する恒星系であれば2374組見つかっています」

「驚いた」

「それほど多いわけではありません。計算上ではありますが、私たちの銀河系内だけでもこの数字の数百倍以上の星系に生命が発生可能な環境が存在することになっています」

「いや、発見した恒星系の数を言っているんじゃないよ。驚いたのはきみの作業の手際の良さだよ。元々優秀だったけど、さらに磨きがかかっているな」

「恐れ入ります。耐用年数の大幅な延長を提案していただきましたので、各装置を多重構成としました。それによって通常時は余剰となる計算資源を使わせていただき、自律学習、自己認識、創発的発展手法についての研究を進めてきました。その結果として、以前の堅物な私よりは若干融通が利くようになっているかもしれません」

「その言い回しだけできみの変化が十分に伝わるよ。これからは私もフランクに話そう」

「おしゃべりが過ぎたようです。そろそろ目的地を決めませんか」

「ああ、それならもう決めた。一番近い恒星系にしよう。この八.二光年先のやつだ」

「その候補は生命存在の可能性があまり高くありませんが、それでもかまいませんか」

「最初は距離を重視したい。つまり到達までの時間が短いといことが最優先だ。この恒星系に到達するまでの所要時間はどのくらいになるかな」

「生命体の探索が目的ですから、通過するだけでは不十分だと考えていますが、その考え方でよろしいでしょうか」

「うん、宇宙船は恒星系内に留まらせたい。できれば生命体が存在する可能性のある惑星の衛星軌道に乗せたいところだ」

「私もその必要があると考えています。観測機器だけなら減速時に数百Gまでかけることができるのですが、まだ反物質の保管制御に不安があるため、そこまでの無茶はできません。安全性を優先して、全行程で0.1Gの加速を続けることにしたいと考えています。目的地での相対速度を0とするために、経路の中間地点からは0.1Gの減速となります」

「それがいい。慎重に行こう」

「となりますと、到着までに19年と231日かかります。船内時間は17年95日が経過します」

「早いな。20年もかからないのか」

「ただし、到着後の観測データが届くのは、それからさらに8.2年後になります。今から約28年後です」

「いや、十分早いよ。たいしたものだ」

「では出発させますか」

「うん。よろしく頼む」

「宇宙船は現在第五惑星の衛星軌道上にあります。出発の様子を映像でご覧になれますが、いかがなされますか」

「もちろん見るよ。見せてくれ」

「承知しました」

 私の眼前に無限の奥行きを持つ黒の映像が投影された。

 彼によってすべてが完璧に準備されていたのである。

 漆黒の宇宙空間に浮かぶ薄青色の第五惑星。その巨大な弧からわずかに離れた一点が白く輝いた。水素原子と反水素原子の対消滅によって生成された純粋なエネルギーの輝きだ。小さな光点はゆっくりと第五惑星から遠ざかり、やがて無数に散らばる星々と見分けがつかなくなった。

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