第14話 守るべきもの

だいだい色が滲んだ空。カナカナと、どこかで寂しげに鳴くひぐらし。


俺はスマホの画面に目を落とす。


午後十七時二十分。


山口と名乗る男から電話があって五十分、タイムリミットまで残り十分となった今、俺と凪沙と杵村さんはとあるマンションの駐車場に立っていた。


そびえ立つ、鉄筋コンクリート造りの四階建てマンション。


ここの三階の一室に、明里が監禁されている。


「じゃあ最後に作戦を確認するわよ」


緊張を顔に浮かべた凪沙が言った。俺と杵村さんがそれぞれ視線を上げる。


「奴らの指示に従って、間宮くんは明里ちゃんの待つ部屋に一人で乗り込む。ただし、間宮くんのスマホと杵村さんのスマホを通話状態にしておいて、こちらに状況が伝わるようにする。これ以上放っておくとマズいとこちらが判断した場合は、すぐに警察に通報して助けを求める。・・・何か異論はある?」


「いや、特には」 「私もよ。これでいきましょう」


俺と杵村さんが交互に答えた。凪沙は真剣な顔で一度頷き、俺に視線を送ってくる。


その視線に相槌で返した俺は、スマホを操作して隣に立つ杵村さんに電話を掛けた。


軽快な着信音が鳴る。杵村さんが電話に出て、俺のスマホと杵村さんのスマホが通話状態に入る。


これで下準備は全て整った。あとは俺が奴らの部屋に乗り込むだけ。


心臓の鼓動が早まるのを感じ、俺はそれを一度落ち着かせるために、ゆっくりと深呼吸をした。


「間宮くん、絶対に通話を切らないでね。もしも途中で切れたら、奴らに通話を繋げているのがバレたと判断して、すぐに警察を呼ぶから」


凪沙が念を押すように言ってくる。


「わかった、俺の命綱は預けたよ。それじゃ、そろそろ」


俺は右足を後方に突き出して、スタートダッシュの体勢を作った。


「間宮くん、死んじゃ嫌よ」


杵村さんが心配に満ちた顔で言った。


「縁起でもないこと言うなよ。必ず生きて、明里を連れて戻ってくるから」


「今のは死亡フラグね」


「だからやめろって!」


本気なのか冗談なのか、判断のつかない調子で言う杵村さんに俺はツッコむ。


「間宮くん」


今度は凪沙が俺の名を呼んだ。見ると、凪沙は顔を俯けていて、目にかかった前髪のせいで表情がわからなかった。


ただ、切れかかった糸のように心許こころもとない心境であることは、発している雰囲気からよくわかった。


「私のせいで明里ちゃんを酷い目に遭わせて、あなたにまで危険を負わせてしまって、本当にごめんなさい」


そういって凪沙は頭を下げた。長い髪が下に流れる。


「凪沙・・・」


「気にすんなよ」と軽口を叩いて励ましたかったが、今の俺にそんな余裕はなかった。重苦しい空気が俺たちの間に流れる。


「この借りはいつか必ず返す。だから、本当に申し訳ないのだけど、最後にもう一つだけ我儘を聞いてくれるかしら」


頭を上げた凪沙。先程と打って変わって、その表情は熱で満ちていた。



「間宮くんと明里ちゃん、必ず二人とも無事で帰って来てちょうだい」



凪沙の力強い瞳が向けられる。俺はそれをしっかりと受け止めるように、見つめ返した。


「今日の夕飯はハンバーグだ。凪沙、作るの手伝ってくれよ?」


「・・・ええ、喜んで」


凪沙はふっと一瞬微笑んだ。俺も薄く笑って返し、マンションのエントランスへと走り出した。


杵村さんと凪沙を背にして、俺は妹の待つ部屋への道を力強く駆けた。




階段を駆け上がり、305号室まで辿り着く。


扉を前にして、俺はごくりと唾を飲み下した。


この扉の向こうに、明里がいる。たった一人、小さな身体で、押し寄せる不安と恐怖に必死で抗っているだろう。俺が現れるのを、今か今かと待ちわびているだろう。


俺は今すぐにでも明里を抱きしめてやりたい気持ちに襲われる。しかしそのためには、俺への復讐心を燃やすハイエナのような連中と対峙しなければいけない。


明里はともかく、俺が無事にこの部屋を出られる確率は無に等しいだろう。血反吐を吐くほどの暴行を加えられるかもしれない。


それでも明里を助けるためなら、何をされたって構わない。地獄だって味わってやる。


「ごめん凪沙、お前の我儘は聞いてやれそうにない・・・」


俺は一人呟いて、そっとインターホンを鳴らした。


がちゃっと受話器を掴む音がした。


『来たか間宮。開いてるから入れよ』


男の低い声。意を決した俺は扉を開いた。


狭い玄関に、靴が乱雑に脱ぎ捨てられていた。明里の白いサンダルもあることを確認して、少しだけ安堵の息を漏らす。


細い廊下を進むと、扉に突き当たる。中から人の気配を感じたので、ドアノブに手をかけ、一気に開いた。


「・・・・っ!」


目の前に広がる景色を見て、俺は思わず息を詰まらせた。


六畳ほどのリビング。左の壁際にはテレビや棚が置かれていて、中央部には卓上テーブル。その周りに長髪の男と金髪の女が座っている。そして右の壁際に置かれたソファの上には、ツーブロックの男と茶髪の女に挟まれ、膝を抱えて座る明里の姿があった。


「おにいちゃん!」


俺に気づいた明里が叫ぶ。その目には涙が溜まっていた。


「明里!」


ようやく妹に再会出来た俺も、嬉しさの余り駆け出す。


「おっとお!」


喜びもつかの間、長髪の男が俺の前に割り込んできた。


「こっちは感動の再会なんて興味ねえんだよ。とりあえず間宮、そこに座れよ」


「くっ・・・!」


男は俺の肩を掴んで、テーブルの前に強引に座らせてきた。俺は大人しく従ったが、ソファから立ち上がろうとした明里がツーブロックに押さえつけられているのを見て、瞬時に頭に血がのぼる。


「おい!明里に触るな!」


俺が叫ぶと、ツーブロックが「あ?」と射殺すような視線を送ってきた。そしてソファから立ち上がり、俺の前に立つと、いきなり俺の顔面を蹴り上げてきた。


「ぐはっ!」


俺は顔をそむけた。頬の辺りに走る痛みと、口の中に広がる鉄の味。


「陰キャのくせに、随分と偉そうな物言いじゃねえか!」


俺は胸ぐらを掴まれ、体を起こされる。男の血走った目が近づく。


「おにいちゃんに乱暴しないで!」


ソファから飛び出した明里が、男の腕にしがみついた。


「はなせっ、クソガキ!」


「きゃっ」


男が勢いよく腕を振り払う。小さく声を上げた明里は後方に倒れ込んだ。


「明里!」


俺は思わず叫ぶ。明里は尻餅をついて顔を歪めていた。


「おらっ!」


男の声と同時に、俺の腹に強烈な痛みが走った。次いで胃の中のものが逆流するような気持ち悪さが襲って来て、俺は床に膝を突いた。


「うう・・・」


苦痛に顔を歪めながら、俺は男を見上げた。


「これ以上妹に手を出されたくなかったら、大人しく正座してろ」


俺は明里の方をちらりと見る。顔を青くして、寄せた身体を恐怖で震わせていた。


「おい聖也、そう早まるなって。間宮も一旦落ち着けよ」


もう一人の長髪の男が、まるで他人事みたいな軽い口調で言った。


「わかってるよ。ついムカついちまっただけだ」


「聖也短気すぎでしょ~」


「そうなのよ。私といる時もキレてばっかでさあ」


ツーブロックの男の言葉に、緊張感のないケラケラとした笑い声をあげる女たち。


こいつらナメやがって・・・!


俺はぎりぎりと歯軋りした。


「そもそもの発端はさあ、明里ちゃんが俺たちにこれを返せって突っかかって来たことなんだよね」


そう言って長髪が、ポケットから何かを取り出した。俺はそれに目を凝らし、すぐに何であるかを理解した。


「髪飾り・・・!凪沙の・・・」


そう。男の手にあるのは、まさに俺たちが探し回っていた、白く輝く凪沙の髪飾りだった。


「お!やっぱり間宮にも見覚えのある品みたいだな。どうやら明里ちゃんはこれを探してたらしいけど、お前もか?」


髪飾りを手でもてあそびながら、男が俺に尋ねてくる。


「だったら悪いかよ・・。その髪飾りは、とても大切なものなんだ。だから今すぐ返してくれ」


俺はベランダのある窓の方に視線を逸らした。赤黒い夕焼けが空に広がっていた。


「・・・なあこれ、あの東高の女がつけてたやつだよな?」


「え・・?」


長髪の男の言葉に、一瞬呼吸が止まる。


な、なぜそれを・・・?


俺が驚愕に目を見開いていると、男は邪悪な笑みを顔に浮かべた。


「やっぱりな。実は俺にも見覚えがあってよ。以前、岩田と一緒に間宮をイジメてた時、突然乱入してきた東高のカワイ子ちゃんがつけてたやつとそっくりだと思ってたんだよ」


「くっ・・・!」


覚えられていたか。これはマズい。


こいつらは俺だけじゃなく凪沙にも恨みを持っているはずだ。髪飾りが凪沙の所有物だと分かった今、下手すれば壊されるかもしれない。


「あのクソ女のだったのかよ!遥斗、今すぐぶち壊してやろうぜ」


ツーブロックが声をあげた。ヤバい、凪沙の大切な髪飾りが・・!


「だめ!それだけは絶対にだめ!」


俺が立ち上がろうとした時、突如大きな叫び声が響いた。俺は視線を上げる。不良

たちも声のした方を見る。



「その髪飾りに手出ししたら・・・絶対に許さない!」



そこには、今にも泣き出しそうな顔に必死に意思を宿した、明里の姿があった。握り込んだ拳がぷるぷると震えている。


「明里・・・」


俺はかすれた声で妹の名を口にした。


「凪沙さんの大切な髪飾りを・・・あなたたちなんかに壊させはしない!今すぐ返して!そしておにいちゃんと私を、今すぐこの部屋から出して!早く家に帰してよ!」


部屋中に響く明里の言葉は、幼い頃から共に過ごした兄の俺ですら、一度も聞いたことがないくらい、強く真っ直ぐなものだった。


少女の必死の叫びに呆気に取られ、場を支配していた沈黙を、長髪の男が打ち破った。


「ははははは。この兄にしてこの妹あり、ってところか。心配しなくても、髪飾りは返すし家にも帰らせてやる。こちらの条件を飲めば、だけどな」


「条件・・・?」


俺は聞き返した。長髪の男はニッと口元を上げる。


「あの女をここに呼べ」


「なっ・・・!」


俺は息が詰まる。凪沙をこいつらの前に?そんなこと出来るわけがない。何をされるかなんて、想像したくもない。


「連絡先くらいあるだろ?ほら、早く呼べよ。そしたらお前と妹、この髪飾りだって返してやるよ」


「ねえそれ、髪飾りは無事でも持ち主は無事じゃないんじゃない?」


「ほんとじゃん!あはは、結局意味無え~」


くすくすと笑う女たち。俺は一度ポケットの中のスマホに目をやる。杵村さんとの通話は繋ぎっぱなしだから、凪沙たちにも今の話は伝わっているだろう。


今ここで、凪沙を生贄にして逃がしてもらう選択をすれば、俺たちは無事に帰れる。仮に俺がその決断をしたところで、多分凪沙は俺を恨んだりしない。きっと自分の責任を果たすために、すぐにこの場に駆けつけてくれるだろう。


「おら間宮、とっとと呼べや!」


ツーブロックが叫んだ。


「おにいちゃんだめ!凪沙さんをここに呼んじゃだめ!」


明里が必死の形相で訴える。


「わかったよ・・・」


俺は立ち上がり、ポケットからすっとスマホを取り出した。


「賢明な判断だな」


長髪がニヤリとした。


「ああ。迷うまでもねえよ」


そう言って俺は、杵村さんと通話中のスマホを、耳元に近づけた。


「おにいちゃん!!」


明里が叫ぶ。だけど俺は構わず、すうっと一度深呼吸して、口を開いた。



「凪沙!聞こえてるか凪沙!いいか、絶対にこの部屋には来るな!何があっても、絶対に来るんじゃねえぞ!」


俺は力一杯、電話口の向こうにいる凪沙に向かって声を張り上げた。


「は・・・?なにしてんの、お前」


長髪が鋭い視線を向けてくる。俺はその視線を真っ直ぐ見つめ返した。


「聞いての通りだ。凪沙はここには来ない。残念だったな」


凪沙を差し出せば、明里は救える。たった一人の大切な妹を救える。


だけど俺にとって凪沙は、明里と同じくらい大切な存在になっていた。


どちらか選ぶなんて、片方を助けてもう片方を見殺しにするなんて出来ない。


だったら、どっちも助けるだけだ。


「ふん・・・。残念なのはお前の頭だぜ、間宮」


長髪が頬を綻ばせて言った。しかしその目は全く笑っていない。


「確かに俺は馬鹿だけど・・・お前らみたいにクズではねえよっ!!」


言い終わると同時、俺は長髪にタックルを仕掛けた。


「おわっ!」


完全な不意打ちに、長髪は勢いよく床に倒れこむ。


「きゃっ!」


女たちの悲鳴があがる。俺は気にせず、長髪の鼻っ柱に拳を叩きこんだ。


「ぐわっ!」


顔を背ける長髪。俺は追撃を加えるためにもう一度拳を振り上げるが、「死ねこの野郎!」という怒号と一緒に、真横からツーブロックに蹴り上げられた。


「おにいちゃんっ!」


明里が悲鳴をあげる。吹っとばされた俺は口元の血を拭って叫んだ。


「明里っ!玄関の鍵は開いてる!今のうちに逃げろっ!」


「・・・!ありがとう、おにいちゃん!」


弾かれたように明里はその場を駆け出した。


「あっ!ちょっと待ちなさいあんた!」


女二人が明里を追う。俺は横目で見やってから小さく舌打ちする。


なんとか逃げ切ってくれ・・・!


そして、目の前の不良二人組に目を向ける。両者とも目を血走らせて、怒りで肩を震わせている。


「ナメたことしてくれるじゃねえか」 「ぶっ殺してやるよ」


そう口々にして、不良たちは俺に殴りかかってきた。


「来い・・・!」


俺は覚悟を決め、構えた拳を握り込んだ。


























































































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