第13話 彷徨う蜜蜂

つーつー。


俺の耳に、掛けた電話が切られた音が流れ込んだ。


「え?」


困惑が襲ってくる。


約束の時間になったため明里に電話を掛けたが、なぜか切られてしまった。


間違って指でも当たったか・・・?


そう思った俺はもう一度電話をコールする。


『お掛けになった電話は、電源が入っていないか、電波の届かない場所にあるため・・』


今度は無機質な女性の声が響いた。俺の頭がさらなる困惑に飲み込まれる。


明里は、何もなければ一階にいるはずだ。つまりスマホが圏外にあるなんてことは有り得ない。


だけど電源が切ってあるのも謎だ。別れ際、俺は明里に電話を掛けると言ったはずだから、普通スマホの電源は入れっぱなしにしておくはず。


そもそも、一回目のコールは切られたわけだから、電源はたった今落とされたことになる。そうすると、明里は俺からの着信を拒否して、その上で電源を落としたことになる。まるで、俺との繋がりを断つかのように。


何かがおかしい。


明里が突然そんなことをし出す理由がわからない。


言いようのない不安が、腹の底からこみ上げてくる。


明里の身に、何かあったに違いない。


そう思った次の瞬間には、俺は走り出していた。


「明里・・・!」


エスカレーターを駆け降りて、一階に降り立つ。


周囲を見渡してみる。


年齢性別問わず、多くの人々が歩いている。ぱっと見たところ、明里らしき顔は見当たらない。俺は大きく息を吸い込み、肺を膨らませる。


「明里ー!!どこだ明里!?」


大声で妹の名を叫んだ。道行く人たちが驚いた顔で俺を見てくるが、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。


「ここだよおにいちゃん!」と、いつもの明るい声で返事が聞こえてくるのを期待したが、俺の耳に入ってくるのは人々の喧騒だけだった。


「くそっ・・」


俺は本屋の方へ駆けた。昼間凪沙たちとまわった一階の店で、現在位置から最も近いのが本屋だ。もしかしたらそこに明里がいるかもしれない。


すれ違いざまに向けられる視線を無視して走る俺の背中に、聞き覚えのある女子の声が飛んできた。


「間宮くん、なにしてるの?」


振り返ると、先程顔を合わせた杵村さんが立っていた。


「きっ、杵村さん・・・」


一度ならず二度までも。まだ帰っていなかったのか。


「そんなに慌てて、何かあったの?」


不思議そうな顔で尋ねてくる杵村さん。俺は一瞬のためらいを経てから、素直に今の行動の理由を説明することに決めた。


「明里と・・・妹の明里と、連絡が取れないんだ」


「え?間宮くんの妹って、さっき本屋で顔を合わせた?」


杵村さんの問いに、俺は小さく頷いた。


「詳しい事情は後で話す。だから、杵村さんも俺と一緒に明里を探してくれないか?おそらく、まだこのモール内にいるはずなんだ」


あつかましいのは承知で、俺は頭を下げた。


杵村さんは、数少ない信頼できる人間の一人だ。彼女の協力ほど心強いものはない。


「それは全然いいけど・・・。いつから連絡が取れないの?」


「別れたのは大体三十分くらい前で、電話しても繋がらないことに気づいたのはほんのさっき・・・」


言いながら、俺はポケットからスマホを取り出した。時刻は午後十六時きっかりだった。


「あ!」


その時、俺は大事なことを思い出した。


凪沙との約束の時間。結局髪飾りは見つからず、あろうことか明里の行方も見失い、焦燥と不安が俺の頭を埋め尽くして、タイムリミットの存在をすっかり忘れていた。


「どうかした?」


首を傾げる杵村さん。


俺は頭をフル回転させ、状況の整理を図る。


凪沙はスマホを持っていない。つまり連絡手段がない。いつまで経っても俺が帰って来なければ、凪沙は不安に駆られて俺を探し出すだろう。


そうなれば俺は凪沙ともはぐれてしまい、事態が複雑になる。だから今すぐ俺は凪沙の待つ駅前に向かわないといけない。


しかし、もしかしたら今このモールのどこかで、明里が何かの事件に巻き込まれているかも知れない。俺が駅前に行ってしまったことで、防げたはずの不幸が現実になる恐れがある。そう思うと、俺はこのモールから一歩たりとも離れたくなかった。


ならば俺の、いや、俺たちの取るべき行動は一つしかない。


「杵村さん」


俺は目の前の少女の姿を捉えた。続く言葉を待つ彼女に、俺は一つの頼みを告げる。


「ごめんけど、今から駅前の噴水広場にいる凪沙を迎えにいってくれないかな。それで、凪沙を連れてまたモールまで来てほしい」


「わかったわ。間宮くんは引き続き明里ちゃんを探すんだね?」


瞬時に俺の考えを理解した杵村さん。これだから、うちのクラス委員長は頼りになる。


「ああ。モールに戻ってきたら一旦俺に連絡してくれ。そうしたら落ち合おう」


「おっけーよ。じゃあまた後で、妹思いの間宮くん」


「はは・・・。頼んだよ、クラスメイト思いの委員長」


俺の言葉を聞いた杵村さんはにっこり笑い、すぐに出口の方へ駆けていった。




その後、俺はモール内を隅から隅まで走り回った。


昼間凪沙と明里と訪れた店は全てまわって、店員にも明里らしき少女を見なかったかどうか尋ねた。その結果得られた目撃情報はただ一つ。


明里が参考書を購入した本屋の店員が、髪飾りを探している中学生くらいの少女に声をかけられたという。これは疑うまでもなく明里だろう。


ひとまず、明里が一階の本屋に足を運んでいたことが確定した。そうすると、明里は本屋を出た後に、何らかのトラブルに巻き込まれたことになる。


「けどそれが分かったところで・・・」


俺は下唇を嚙みしめる。明里は一体どこに行ってしまったのか。既にこのモールから出て、どこか遠い場所に連れ去られたのか。だとしたらもう、高校生の俺の手の及ぶ範囲じゃない。立派な誘拐事件だ。


先程から何回か明里に電話を掛け直しているが、流れてくるのは無機質な女性の声だけ。明里のスマホは電源が落とされているか、圏外にあるままだ。それかその両方か。


トゥルルルルル。


ポケットのスマホが軽快な発信音を鳴らした。すぐに取り出して画面を見ると、杵村さんからの着信であることがわかった。


「もしもし、杵村さん?」


『間宮くん、頼み通り凪沙さんを連れて来たわよ。今ショッピングモールの入口にいるんだけど、どこで会う?』


「ありがとう。今からそっちに向かうから、そのまま待機しててくれないか」


『了解よ』


プツリと通話が切れる。俺はダッシュで入口に向かった。




「杵村さん、本当に助かったよ。ありがとう」


モールの入口、ガラス張りになった扉の前で杵村さんと凪沙に合流した俺は、肩で息をしながらお礼を述べた。


「いいのよ気にしなくて。それより・・・」


「明里ちゃんは見つかったの!?」


鬼気迫る表情を俺に近づける凪沙。心配と焦りの色が伺えた。


「店中を探し回ったけど・・・まだ見つかってない」


俺は力なくうなだれた。凪沙は額に手を当て、その顔を暗くさせた。


「くそっ・・・!俺のせいだ、全部俺のせいだ。俺が明里を一人にさせてしまったから。明里が危険な目に遭うリスクを考えなかったから・・・」


俺はぎりぎりと奥歯を嚙みしめた。自分の考えの浅はかさに心底腹が立つ。あの時、明里と別れる判断をした俺を、思い切りブン殴ってやりたい。


「元はと言えば私のせいよ。私が髪飾りを落としたのがいけなかったんだわ。わがまま言って、二人に探すのを手伝わせたばっかりに・・・」


凪沙が悔しさと後悔が入り混じった顔を俯けた。


「今は責任の所在を議論してる場合じゃないわ。明里ちゃんがいなくなった今、私たちが取るべき次の一手を考えないと」


杵村さんが冷静に俺たちをなだめた。


「悪い、杵村さんの言う通りだよ。とにかく明里がモールにいないと仮定するなら・・」


俺は思考を巡らす。


事件性が濃くなってきた今、俺たちが頼るべきは警察だろう。


「誘拐された可能性がある以上、警察に連絡するのが一番だわ」


俺と同じ結論を口にする凪沙。杵村さんも頷いて、賛成の意を示す。


俺はポケットからスマホを取り出した。警察に連絡しよう。


その時、なんと俺の手にあるスマホが軽快なメロディと共に震え出した。


着信だ。


画面に映る発信者の名は、「明里」だった。


「明里から電話!?」


俺は思わず叫ぶ。凪沙と杵村さんが驚いた表情を向けてくる。


「早く出なさい!」


「お、おう」


凪沙に急かされて、すぐに俺はスマホを耳に当てた。


『おにいちゃん・・・』


「明里か!?お前今、どこにいるんだ!?」


数時間ぶりに聞いた明里の声はどこか弱々しく、いつもの明るさは影を潜めていた。


『ごめんおにいちゃん、わたし・・・』


「・・・・・・」


微かに鼻を啜る音。俺は黙って次の言葉を待った。



『わたし、さらわれちゃった』


「なっ・・・・」


俺は言葉を失う。


全身が凍り付いたように動かなくなる。


明里が、俺の妹が、さらわれた。


想像し得る中で最悪のシナリオが、現実となった瞬間だった。


「間宮くん?」 「明里ちゃんは無事なの!?」


ただならぬ気配を感じ取った杵村さんと凪沙が、俺に言葉をかけてくる。


『よお間宮。久しぶりだなあ』


「!?」


突如、唸るような低い男の声が流れ込んできた。


「だ、誰だお前!?明里をさらったのはお前か!?」


俺の言葉に、杵村さんと凪沙が息を吞むのが聞こえた。


『忘れたなんて言わせねえよ。山口だよ。山口遥斗』


「山口・・・?」


『まあ名前言ってもわかんねえか。この前は、東高の謎女と一緒によくも俺をコケにしてくれたよなあ。おかげでこっちは先公にどやされて停学処分だ』


「お前、あの時の・・・!」


思い出した。俺が岩田に絡まれているところを凪沙が助けてくれたあの日、岩田と一緒にいた不良の一人だ。他クラスの人間なので名前までは知らなかった。


『やっと思い出してくれたか。ご存知の通り、お前の可愛い妹は預からせてもらったぜ。返してほしけりゃ、今から俺が言うことに従え』


「この野郎・・・!」


俺は自分の拳をキツく握りしめる。


『今から一時間以内に中島の松田マンション、305号室にお前一人で来い。タイムリミットを一分でも過ぎる、もしくは一人でも他の人間を連れて来た場合、妹のことメチャクチャにしてやるからな』


「く・・・・!」


明里を人質に俺をおびき出そうって魂胆か。本当に性根という性根が腐った野郎だ。


『間宮の妹、普通に可愛いじゃん。なあ、こっち向けよ』

『やめてっ。触らないで!』

『年下に発情するとか、ヤバすぎでしょ聖也』

『きゃはは。あんたのおにいちゃんも可哀想だね~』


電話の奥から複数の人間の声が聞こえてきた。その中には嫌がる明里の声も混じっていた。俺はそれを聞いた瞬間、全身の血が煮えたぎるような激しい怒りがこみ上げた。


「今すぐ向かってやる。ただし、俺が到着した時に妹の身体に傷の一つでもついていたら、俺はお前たちを絶対に許さない。殺しだってやってやる」


『おお、それは怖いねえ。まあ安心しな、妹の無事は保証してやるよ。それじゃ、待ってるぜ間宮』


次の瞬間、プツリと通話が途切れた。これ以上ないくらいの力で握りしめていたスマホを、そっと下におろした。


「間宮くん、明里ちゃんは・・・」

「誘拐されたの!?」


額に汗を滲ませた杵村さんと凪沙が、俺に問うてくる。俺は二人に向き直り、その瞳を順番に見つめた。


「聞いての通りだ。明里はうちの高校の不良連中に連れ去られた」


「不良って、もしかして岩田くん?」


杵村さんがハッとした顔で聞いてくる。俺はかぶりを振る。


「いや、岩田じゃなくて、岩田の不良仲間のやつらだよ。明里を返してもらうために、今から一時間以内に俺一人でやつらのアジトに乗りこまないといけなくなった」


「そんな・・・。彼らの真の狙いは間宮くんってこと?」


「だろうな」


杵村さんの言葉に頷く俺。きっとやつらは俺に復讐する気だ。集団リンチか、もっと酷いはずかしめを受けるか。どちらにせよ、明里を助けるためには俺自身が生贄になる必要がある。


「明里ちゃんをさらった犯人たちって、まさかあの時の・・・?」


凪沙が勘ぐるような視線を向けてくる。「あの時」が、俺と凪沙が不良と格闘した時を指していることは考えるまでもない。


「そうだ。どうやらあの時のことを根に持ってて、俺に復讐するために今回の犯行に及んだらしい」


「ちっ・・・!あの時完全に潰しておくべきだったわね・・・」


凪沙が悔いるように舌打ちする。当然だが、俺と凪沙の話が分からない杵村さんはきょとん、としている。


「ともかく俺は明里を助けるために、やつらのアジトに乗り込む。凪沙、ごめんけど髪飾りの件はそれが終わってからでいいか?」


「髪飾りのことなんて今はどうだっていいわよ!それよりも、間宮くん一人で行くなんて危険すぎる!これじゃヤツらの思う壺よ!」


凪沙が怒ったような顔で言ってくる。


「凪沙さんの言う通りだね。最悪一人で行くにしても、何らかの予防線を張っておかないと」


腕を組んだ杵村さんが言った。俺はもどかしい気持ちをなんとか飲み下して、口を開いた。


「予防線って言っても、何をどうすればいいんだ?こうして俺が足踏みしてる間にも、明里は不良共に囲まれて怖い思いをしているんだぞ!」


つい口調が強くなる。言い終わってから、申し訳なさと同時に自己嫌悪する。


杵村さんは俺の心を読み取ったかのように、小さく微笑んでから首を横に振った。


「付け焼き刃だけど、たった今作戦を思いついたわ」


凛とした声で、凪沙が言った。俺と杵村さんが同時に顔を上げる。


「ひとまず私の話を聞いてくれるかしら」


俺と杵村さんは頷き、凪沙が思いついた作戦内容に耳を傾けた。











































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