第12話 消失する太陽

ショッピングモールに到着した俺と明里。むわっと暑苦しい空気が、冷たくて心地良い空気に変わる。相変わらず中はそこそこの数の人間が行き来していた。


「まずは落とし物コーナーだな」


俺が言うと、明里は無言で頷いた。


エスカレーターで二階に上がり、店内で発見された落とし物が届けられるインフォメーションコーナーへ向かった。


「どうされました?」


受付の女性が尋ねてくる。


「落とし物を探しているんですが、白い貝殻の形をした髪飾りは届けられていないですか・・?」


「少々お待ちください」と言って、受付の女性はカウンター机の引き出しを探り始めた。それから十秒ほど経った時。


「こちらには届いていないようです・・・」


「わかりました。もし届いたら、店内放送で知らせてもらえますか?」


「かしこまりました。ではお名前を伺っても?」


「間宮律です。えっと、ありがとうございました」


先を急ぎたい俺は、足早にインフォメーションコーナーを去った。

すると、後ろを歩く明里が俺に尋ねてきた。


「おにいちゃん、これからどうするの?」


「映画館に行ってみるよ。それがダメだったら隣の服屋へ」


凪沙は帽子を試着したりしていたので、髪飾りが落ちてる可能性は服屋が一番高く思える。


「どっちも二階だね・・・。だったらさ、私一階のお店を探して来ていい?」


明里が、一階と二階に分かれての捜索を提案してくる。


「そうだな・・。時間は限られてるし、ここは効率を重視した方が良さそうだな」


俺は明里の提案に乗ることを決めた。


「じゃあ一階は任せた。十五時五十分になったら電話するから、その時落ち合おう」


「うん、わかった」


「もし何かトラブルがあったら、迷わずおにいちゃんに電話すること。いいか?」


「もう!子ども扱いやめてよねっ。じゃ、また後で」


明里は駆け出して行った。俺は妹の背中を見送ってから、自らの目的地である映画館の方に足を進めた。


*******


おにいちゃんと別れた後、私は一階の本屋さんに向かった。


ご飯の後、凪沙さんと一緒に参考書を選んだ場所だ。


あと、おにいちゃんのクラスメイトの・・・杵村さん?だっけな。美人の先輩とも顔を合わせたところ。


店内に入る。凪沙さんが通った道を思い出して、足元に気を配りながら慎重に辿っていく。


数々の本棚の間を通り抜け、さっき見たばかりの参考書コーナーへ着く。


色とりどりの表紙に包まれた参考書が並んでいる。


床に目を向けるが、凪沙さんの髪飾りは見当たらない。


「ないなあ・・・」


私はひとりごちた。


もしこのまま見つからなかったらどうしよう。


いつも物静かで穏やかな凪沙さんが、あんなに必死な顔して探す髪飾り。


脳裏にさっきの凪沙さんの言葉が蘇る。


『あの髪飾りは、かけがえのない私の思い出そのものなの。絶対に、何が何でも取り戻したい』


揺るぎない意志をひしひしと感じる、すごく力強い言葉だった。

私と話す時みたいな、柔らかくて、どこか温かい口調とはまるで違う。


あの髪飾りが本当に大切なものだってことが、十分すぎるくらい伝わってくる。


思えば、おにいちゃんも最近あんな話し方をするようになった。


言葉の背後に、何か譲れない思いを感じさせるような話し方。


以前はもっと、投げやりな感じが強かった。


優しくはあるんだけど、少し頼りない。例えるなら、ぷにぷにのスライム。


触ると包み込まれるような優しさはあるんだけど、中に一本の芯が通っている感じはまるでしない。ぐにゃぐにゃしてて、どこを掴んでも変わらない。


だけど最近のおにいちゃんは違う。


自分の中に一本の芯が通って、たくましさが出てきた。


今だって、凪沙さんの髪飾りを見つけるために奮闘している。


あんな一生懸命なおにいちゃん、妹の私も見たことない。


やっぱりおにいちゃんは、凪沙さんのことが・・・・


「って!今はそんなこと考えてる場合じゃないっての!」


ぐるぐる回る思考を遮断するため、私は自分の両頬を手で叩いた。


レジの方へ歩き、人が並んでないのを確認してから店員さんに声をかける。


「あの、ちょっといいですか」


「はい?どうされました?」


優しそうな顔の男の店員さんが私を見た。


「ここの本屋に、髪飾りが落ちてませんでした?真珠の貝殻の、綺麗なやつなんですけど」


私が言うと、男の人は首を傾げた。


「さあ・・・レジの方へは届けられてませんし、さっき私が床を掃いた時にもそれらしい物は見当たりませんでしたよ」


私は少し肩を落とす。


「わかりました。ありがとうございます・・」


「いえ。こちらこそお役に立てなくてすみません」


男の人は丁寧にお辞儀をしてくれた。私も一応頭をさげて、店を後にする。


「本屋はダメか・・他に一階でまわったとこは・・」


たしか私たちは、本屋を出た後は雑貨屋さんに入った。


「よし、次の目的地決定!」


見落としがないよう足元に視線を向けながら、私は数時間前に訪れた雑貨屋さんを目指した。


すると突然、何かにぶつかられたような大きな衝撃が体に広がった。

いや、ぶつかられたというよりは、私からぶつかりに行ったという方が正しかった。


「君、ちゃんと前を見て歩かないと」


背の高い男の人が、眉間に皺を寄せて私を見下ろしていた。


下を見ながら歩いていたせいで、この人に衝突してしまったみたいだ。


「すみません。落とし物を探してて・・・」


私は慌てて頭を下げた。するとその人は「チッ」と小さく舌打ちをして去っていった。


私は顔を上げ、周囲を見渡した。


老若男女問わず、たくさんの人たちがモールの中を歩いている。


私と同じ中学生くらいの女の子、制服を着た高校生の集団、笑って歩くカップル、主婦らしき人、そして小さい子どもやお年寄り。


ちゃんと前を向いて、人にぶつからないよう気を付けよう。


私は視線を少し上げて、なるべく広い視野で景色を捉えるよう努めた。


人と当たらないよう、だけど落ちている髪飾りを見落とさないよう。


そうしてせわしなく視線を上げ下げしながら歩いていると、先の方でキラリと光る何かが見えた。


目を凝らしてみる。


白くて艶やかな、貝殻の形をしたアクセサリー。


遠目ながら、それが凪沙さんの落とした髪飾りであることが一瞬でわかった。


「やっと見つけた・・・!」


私はお宝を発見した子どもみたいに、その場で小さく飛び跳ねた。


これで凪沙さんが喜んでくれる。おにいちゃんもきっと、「よくやった」って褒めてくれるだろう。


私は床に転がっている髪飾りの元へ、一目散に駆け出した。


「なにこれ~?すっごい綺麗じゃん」


甲高い声がしたかと思うと、私の視界から凪沙さんの髪飾りが消えた。


見ると髪飾りは、ひょい、と知らない女の人に拾い上げられていた。


髪を茶色に染めた、ギャルみたいな服装の女の人。隣には目つきの悪いツーブロックの男の人が立っている。黒いTシャツに十字架のネックレス。


怖い感じの見た目だけど、多分年はそんなに変わらない。おにいちゃんと同じ高校生くらいだろうか。


「髪飾りってやつか?里美、もらっちまえよ」


「ん~。まあ私好みではないけど、せっかくだしもらっちゃおうか。メルカリとかで売ってもいいし」


『もらっちまえよ』 『売ってもいいし』


その言葉を聞いた途端、私の背筋に冷や汗が流れた。


凪沙さんの大事な思い出の髪飾りが、見ず知らずのこの人たちに奪われる。


そんなこと、絶対にあってはならない。


私は勇気を奮い立たせて、女の人たちに近づいて言った。


「あの・・・その髪飾り、渡してもらえませんか?」


ガラの悪い男女は私を見て、「ふん」と鼻を鳴らした。


「え、なんで?これ君のなの?」


男の方が問うてくる。


「いえ。実は知り合いが髪飾りをどこかで落としてしまったらしくて、私も今探すのを手伝ってるんです。それで、その髪飾りが私たちの探しているものとよく似ているので」


自分の声が少し震えているのを感じながらも、なんとか説明しきる。


すぐに渡してくれると思いきや、女の人は髪飾りを宙に投げてはキャッチしてを繰り返して、嫌な笑みを顔に浮かべた。


「でもそれさあ、言ったもん勝ちじゃない?あんただって噓吐いてコレ自分のものにしようって魂胆じゃないの?」


「え・・・・?」


予想してなかった言葉を返され、一瞬頭が真っ白になる。


「この髪飾りが君の知り合いのものだっていう証拠はあるの?」


男がニヤニヤと笑いながら聞いてくる。


「そ、それは・・・でも、私の知り合いが落とし物をしたのは事実で、それとよく似た髪飾りがさっきまでそこに落ちてたのも事実なんです!」


髪飾りを取り戻したい一心で、私は弁解を試みる。


「だからさあ、その『事実』っていうのが本当である証拠を出せって言ってんだよ。それが無理なら、心優しい俺たちがちゃんとに届けてあげるから」


「聖也の言う通りよ。あとは私らに任せなよ」


唇を歪める二人。「どこか」って、一体どこに届ける気なの?


インフォメーションコーナー?いや、申し訳ないけどこの人たちが素直にそうするとは到底思えない。きっとこの場は適当に収めて、自分たちの物にするに違いない。


嘲るような笑みを浮かべる男たちを、私は力強く見上げた。


「証拠が出せないので、その髪飾りは私がに届けます。おにいさんたちは結構ですので、今すぐ私に渡してください」


きっぱり言ってやると、二人の顔が露骨に歪んだ。


しまった。つい熱くなりすぎた。


そう思った瞬間、私の体は強い衝撃と共に後方へと倒れた。


「お前、なんか生意気だな?」


どうやら突き飛ばされたらしい。尻餅をついた私を、男が怒気を孕んだ目で見下ろしてくる。周囲の人は私の方をチラリと見るだけで、我関せずといった感じで過ぎ去って行く。


「ちょっと。ここじゃ人目が多いって」


女が耳打ちする。それに男が頷いた時、背後からまたしてもガラの悪い男女二人がやって来るのが見えた。長い髪をかきあげた男と、ショートヘアを金に染めたギャルの見本みたいな女。


「聖也、どうした?」


新しく来た長髪の男が尋ねる。


「俺たちの拾った髪飾りを返せって、このガキがうるさくてよ」


「へえ。・・・・ん?なんかコイツ、見覚えあるな」


私を見つめる長髪の男。少ししてから再び口を開く。


「おうお前、名前なんつーんだよ?」


男に問われ、立ち上がった私は口を開く。


「・・・間宮明里です」


そう言うと、やけに納得したような顔を作った長髪が、ツーブロックの方へ話しかけた。


「コイツ、間宮律の妹だぜ」


「は!?マジで?」


驚いた様子のツーブロック。


間宮律の妹って・・・この人たち、おにいちゃんの知り合い?


「ねー間宮律って誰なのよ?」


ギャル二人が声を揃えて言う。どうやらおにいちゃんを知ってるのは男たちの方だけのようだ。


男二人は女の問いかけを無視して、ひそひそと何か話し合っている。やがて長髪の方が貼り付けたような笑みを浮かべて私に言葉をかけた。


「俺たち、実は間宮と同じ高校の同級生でさ。まさか妹の明里ちゃんとこうして会うとは思ってなかったよ。髪飾りの件、もう少し話したいからちょっとついてきてくれない?」


形こそ疑問形だが、最初からこちらに答えを決めさせる気はないような圧を感じる。


「わ、わかりました。髪飾り、返してくれるんですよね?」


歩き出す男の背中に問う。男はこちらを振り返ることなく、ピースサインを作ってみせた。


これ以上話すことは何もないけど、おにいちゃんの知り合いであることは間違いなさそうだし、何か酷いことをされる恐れは低いだろう。


それにいざとなったら走って逃げればいい。どうせこの人たちも歩きなんだから、完全に私を捕まえるなんて無理だろう。


「何かあったら電話しろ」っておにいちゃんは言ってたけど、私はおにいちゃんに頼ってではなく、私一人の力で髪飾りを取り戻したいと思った。


前を歩くガラの悪い男女四人の背中を、私は追った。


髪飾りはもう目の前だ。


待ってて凪沙さん。



男たちはショッピングモールを出て、駐車場に止まる黒い車の前で止まった。


「あの・・・話って、ここでするんですか?」


困惑気味に私が問う。すると突然、ツーブロックの男が私の背後に周り込み、羽交い締めにしてきた。


「ちょっと、何するの・・・!」


「話は車の中でゆっくりしようや」


長髪が目の前の黒い車の扉を開ける。薄暗い車内が見えた。


「いやっ!誰か助け・・・ん!?」


私は口を塞がれ、そのまま強引に車内へ押し込まれた。


後部座席に追いやられた私の両隣に、ツーブロックと茶髪のギャルがそれぞれ座り込んできて、サンドイッチ状態になる。


運転席には長髪の男、その隣にはもう一人の金髪ギャルが座る。車の扉が閉まる。

ぶおおん、と音がして、エンジンが入ったのがわかる。


「この車・・・高校生じゃなかったの?」


私は運転席へと話しかけた。


「これは親父のだよ。アイツ、昼間っから酒飲んで寝てやがるから、ちょっと借りさせてもらったんだわ」


「心配しなくても、遥斗は安全運転だからよ。安心しな」


右隣のツーブロックが私に言った。


「いやあ、私らも遂に人さらいデビューかあ」


「それな!マジヤバすぎ!」


前後に座るギャルたちがけらけらと笑う。


「なんでこんなことするんですか・・・。私は、ただ落とし物を返してほしいだけなのに」


恐怖と困惑で泣きそうになるのをこらえて、私は訴えた。


「間宮の野郎には恨みがあるからなあ。せっかく妹と出会ったんだから、これを利用しない手はないわ」


長髪の男が言った。私はその言葉を聞いた瞬間、顔から血の気が引いた。


「おにいちゃんに何かする気なの!?」


「なあに。ちょっと分からせてやるだけさ。俺たちをコケにしたらどうなるかってことをよ」


「岩田の野郎がやり返す素振り見せねえからな。あー思い出しただけで腹立ってきた。あの東高のクソ女もぶん殴りてえ」


長髪とツーブロックが順番に答える。


岩田?東高のクソ女?この人たちが何を言っているのか全然わからない。


その時、ポケットの中の私のスマホが鳴った。


咄嗟に確認する。発信者の名は「おにいちゃん」。

約束の十五時五十分になったため、電話をかけてきたのだろう。


暗闇の中に光が差し込んだ気がして、私はおにいちゃんからの電話に出ようとする。


が、ツーブロックが無慈悲に私の手からスマホを取り上げた。


「あっ・・・!かえしてっ・・!」


「ひゃはは!『おにいちゃん』だってよ!おい遥斗、間宮の野郎から電話だぜ!」


ツーブロックは楽しそうに私のスマホを運転席へと向けた。ブーブーとスマホは発信音を鳴らし続けている。


「過保護なヤツだな。切っとけ」


長髪は目だけ後ろに向けて言った。


「また掛かってきたらうぜーから、電源ごと落としとくわ」


ツーブロックは私のスマホの電源を切った。画面が真っ暗になる。


おにいちゃんとの繋がりが今、断たれた。


私は目の前が暗くなり、かと思えばじわりと熱いものが滲んできた。


頬を一筋の涙が伝う。


「おにいちゃん・・・。助けておにいちゃん・・・」


かすれた声で、届くはずのないSOSを訴える。


「んだようるせーな。遥斗、そろそろ向かおうや」


「なにこの子もしかしてブラコン?マジうけるんだけど」


両隣から耳に入ってくるのは、冷ややかな嘲笑と苛立ちの声。


聞き慣れたおにいちゃんの声は、どこからも聞こえない。


「行くぞ」


エンジンが響き、車が動き出す。


私はこれから、どこへ連れて行かれるのか。


自らの軽率な行動を悔いながら、私は窓の外へ目を向けた。


徐々に小さくなっていくショッピングモールが、わずかに西に傾き出した太陽に照らされていた。


私は心の中で、切に願った。



おにいちゃん、どうか私を助けて・・・・・



























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