第28話 殺してよ

 ショッピングモールの階段を駆け上がる。四階、五階とひたすら駆け登り、屋上を目指した。


 シナリオ通りなら、夏輝なつきくんは屋上にいるはず。階段を駆け登りながら、シナリオ通りであってくれと祈っていた。


 屋上に繋がる重い扉を、体当たりするように開ける。がらんとした屋上に、いた。


「夏輝くん!」


 フェンスの前に立つ夏輝くんが、ゆっくりと振り返る。感情が抜け落ちたかのような虚ろな瞳をしていた。


(ああ、本当に闇堕ちしている……)


 ゲーム内でも見てきた姿だけど、いざ目の前にするとゾクッと寒気が走る。放っておいたら、フェンスを乗り越えて飛んでいってしまいそうな危うさがあった。


 夏輝くんのもとに駆け寄る。少しでも危険から遠ざけたくて、腕を掴んでフェンスから遠ざけた。


 屋上に設置されたベンチまで引っ張っていくと「座って」と指示する。夏輝くんは大人しく従ってくれた。


 ひとまず合流できたけど、ここからどうやって話を切り出せばいいか分からない。夏輝くんは空っぽのまま、ぼんやりと地面を見つめていた。


 沈黙が続いた後、夏輝くんが口を開く。


「幻滅、したよね?」


 こちらに視線を向けることなく、虚ろな瞳のまま呟く。


「そんなわけ」

「俺さ、中学時代、アイツに虐められていたんだ」


 こちらの言葉を遮って話を始める。僕は言葉を飲み込んで、夏輝くんの話に耳を傾けた。


「地獄だった。何度も死にたいって思った。でも、死ねなかった」


 奥歯を噛み締める。心臓が痛い。息苦しい。吐き気がする。


 もしこれがゲームだったら、いったんスマホを放り出して、深呼吸していたと思う。リビングに行って、お茶でも飲んで、覚悟を決めてから続きを読んでいたはずだ。


 だけど、現実ではそんな猶予はない。


「でも、ある時気付いたんだ。弱い自分だけを殺せばいいんだって」


 本当に嫌だ。こんな話は聞きたくない。いっそ耳を塞いでしまいたかった。


 推しが苦しんでいる姿なんて見たくない。スキップでも何でもして、さっさとこの地獄のようなイベントを終わらせたかった。


「それなのにアイツと会ったら、また出て来ちゃった。ちゃんと殺せていなかった証拠だね。しおりんには、こんな惨めな姿、見せたくなかったのに」


 そうだ。これはイベントなんだから、ちゃんと終わりが来る。正しい選択肢を選んでクリアすれば、またいつものように笑ってくれるはずだ。


 拳を握りしめながら、選択肢が現れるのを待つ。だけどいつまで経っても選択肢は現れなかった。


 俯いていると、夏輝くんがふらっとベンチから立ち上がる。


「やっぱり痛みを伴わないと、殺せないんだろうね」








「…………え」


 頭の中が真っ白になる。


(待って。ゲームではそんなセリフはなかったはず)


 ゲームでは、この辺りで夏輝くんが『暗い話してごめんね』と微笑んでくれた。それからプレイヤーは、夏輝くんを励ます言葉を選択して、イベントが終了する。


 それなのに、何故?


 シナリオが改変されたことに驚いていると、夏輝くんが再びフェンスに近付く。金属音を立てながら、金網を握りしめた。


「ここから飛び降りたら、殺せるかな?」


 氷のような冷たい声が聞こえる。力が抜けて、ぐらりと倒れそうになった。


(夏輝くんは、何を言っているんだ?)


 頭が正常に働かない。夢でも見ているようだ。


「あー、でも、ダメか。ここから飛び降りたらアイドルの涼風夏輝まで死んじゃうね」


 夏輝くんは金網を掴んだまま肩を揺らしている。表情は見えないが、笑っているようだ。


 夏輝くんはゆっくりと振り返る。ドロンとした虚ろな瞳がこちらを捉えた。


「ねえ、しおりん。お願いがある」

「な、に」


 どうにか言葉を絞り出して尋ねると、夏輝くんは信じられない言葉を放った。


「俺の首を締めてよ。気絶するくらい思いっきり締めて。そうすれば、今度こそ殺せるかもしれない」


 こんな夏輝くんは知らない。


「ねえ、殺してよ。虐められっ子の弱い涼風夏輝が、もう二度と出てこないように」


 嫌だ。


「殺してよ」


 嫌だ。


「殺してよ、殺してよ、殺してよぉぉ!」


 嫌だ、嫌だ、嫌だぁぁ!


 頭を掻きむしる。獣のような叫び声がいつまでも耳の奥で響いていた。


 苦しくて、苦しくて、気を抜いたら意識を失ってしまいそうだ。ぼんやりと顔を上げると、夏輝くんと目が合った。


「君だって、アイドルの涼風夏輝が好きなんでしょ?」


 乾いた笑いを向けられる。失望が入り交じった冷たい表情だった。


 その姿を前にした瞬間、ようやく気付いた。


(ああ、そっか。いま目の前にいる夏輝くんは、ゲームのキャラじゃない)


 目の前にいる彼は、用意されたセリフを言うだけの存在ではない。複雑な感情を持ち合わせて、自分の言葉で喋っているんだ。


 シナリオ通りになんて動いてはくれない。最初からそうだったじゃないか。初めて出会った日から、夏輝くんはシナリオなんて無視して突っ走ってきた。


 これはゲームではない。予定調和のシナリオなんてない。


 いま目の前にいるのは、トラウマを呼び起こされて、不安定になっているただの男子高校生だ。


 それなら、いまの彼と向き合わなければ。


 夏輝くんのキャラストを読んだ日から、僕はずっと考えていた。夏輝くんが、どうしてあんなに苦しんでいたのかを。


 弱い自分を切り捨てて、理想の自分に生まれ変わった。それでいいじゃないか。一体何を悩む必要がある?


 弱い自分のままで生きてきた僕からすれば、変わろうと努力すること自体が偉大で、尊敬に値する。それなのに、どうして?


 教室の隅で、信号待ちの交差点で、駅のホームで、夏輝くんが抱えている闇について考えていた。それでも、はっきりとした理由は分からなかった。


 だけど、この世界に来て、本物の涼風夏輝と出会って、少しだけ分かった気がする。


『君だって、アイドルの涼風夏輝が好きなんでしょ?』


 多分、そこだと思う。夏輝くんが抱えている闇の正体は。


(ごめんね、夏輝くん)


 推しのことは何でも分かっているつもりでいたけど、本当はちっとも理解できていなかった。僕は、知らず知らずのうちに君を追い詰めていたんだね。


 僕は立ち上がる。走って、走って、夏輝くんを抱きしめた。


 温もりに包まれた直後、目の前に選択肢が現れた。


【キラキラ輝く君が好き】【殺さなくたっていいんだよ】


 僕は迷わず後者を選んだ。


「殺さなくたっていいんだよ」


 服を掴む手に力を籠める。目の前にいる彼を、ちゃんと繋ぎとめておけるように。


「虐められていた君も、アイドルの君も、全部君だ。殺す必要なんてない」


 思いの丈をぶつける。ここからはもう夢野詩音のセリフじゃない。僕自身の言葉だ。


「僕はね、アイドルの涼風夏輝だけなくて、一人の人間として涼風夏輝が好きなんだ。虐められた過去を糧にして、アイドルに生まれ変わろうとする君に惹かれたんだ」


 重すぎる愛は隠さなければと思っていたけど、もう知ったことか。心の内に秘めていた感情を全部ぶちまけた。


「僕だって大概虐められっ子だったんだ。夏輝くんほど酷くはなかったにしろ、辛い思いは何度もしてきた。だから夏輝くんの痛みは分かる。どん底から這い上がろうとするのが、どれだけ大変かも」


 前世の僕は、這い上がることすらできなかった。最下層で縋るように、星空をあがめていただけだ。


 だけど夏輝くんは違う。最下層から抜け出して、高く高く飛び立とうとした。


 アイドルの涼風夏輝にしか価値はない。そんなはずはあるか。


 僕は君の生き様に惚れたんだ。だからこそ胸を張って言えることがある。


「僕は、どんな君でも推せる自信がある」


 夏輝くんは永遠に、僕の最推しだ。アイドルの夏輝くんだって、ただの男子高校生の夏輝くんだって全部推せる。


「なんで、そんな……」


 夏輝くんは、ヘナヘナと崩れ落ちる。地面に腰を落とすと、頭を抱えた。


「どんだけ俺のこと好きなの?」


 もう隠さない。重すぎるって引かれたって構わなかった。


「多分、引かれるくらい大好きだよ」

「ほんっとに、もう……」


 夏輝くんは笑っていた。目元には涙が滲んでいるから、泣いているのかもしれない。顔を上げると、ヘーゼルの瞳に光が指していた。


「引いたりしないよ。だって嬉しいもん」


 肩を震わせながら笑う夏輝くんの頬に、一筋の涙が伝った。手を伸ばし、頬に伝った涙に触れる。


 画面越しに見ていた推しの涙を拭ってあげられる日が来るとは思わなかった。涙の温かさも、湿った感触も、ちゃんと感じる。


 僕はもう、プレイヤーとして物語を傍観しているだけじゃない。涼風夏輝の友人として物語に加わっているんだ。

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