第16話 本物のアイドル

(あれ? 今日は学園内にやたらと人がいるな)


 放課後。昇降口でローファーに履き替えていると、学園の敷地内に私服姿の人がわらわら歩いていることに気付く。正門からアリーナに続く桜並木を、大勢の人が列になって歩いていた。普段は男子生徒しかいない学園内に女性の姿もある。


「今日はイベントでもあるんですかね?」


 隣にいた夏輝なつきくんに尋ねると、驚いたように目を瞠る。


「しおりん、知らないの? 今日はプリズムのライブがあるんだよ」

「プ、プリズムのライブ!?」


 勢い余って叫んでしまった。だけど無理もない。


『プリズム』といえば、星架せいか学園で1番人気のアイドルユニットだ。ゲーム内だけに留まらず、現実世界でも人気を集めていた。


『プリズム』は王子様をコンセプトにしたユニットで、異世界の王子様に扮した衣装をまとい、観客をお姫様に見立てたファンサをする。


 メンバーは、リーダーの九条くじょう奏多かなたくんをはじめとした個性豊かな四人。爽やか系王子、クール系王子、お兄様系王子、癒し系王子と、バラエティーに富んだメンバーがいる。学年は僕達よりも二つ上だから、高校三年生だ。


 そんな『プリズム』のライブが今日開催されるなんて……こうしてはいられない。


「ど、どうにかしてライブを観ることはできないでしょうか?」


 うずうずしながら願望を口にすると、夏輝くんは「うーん」と考え込む。


「チケットは完売しているらしいからどうだろう? 立ち見だったら行けるかもしれないけど」

「立ち見でも平気です!」


 この際、席の良し悪しにはこだわらない。『プリズム』のライブをこの目に収められれば十分だ。


「そしたら経堂きょうどう先生に聞いてみよっか」

「はい!」


 方向性が固まったところで、別のレッスンを受けていた海斗かいとくん、瑛士えいじくん、ひじりくんが昇降口にやって来る。


「おー、お前らもいま終わったところか?」

「カイくん! ちょうどいいや。折角だしみんなで行こうよ」

「行くってどこに?」

「プリズムのライブだよ!」


~☆~☆~


「わあぁ! 僕、ライブって初めてなんですよね!」


 アリーナの外にできた行列に並びながら、うずうずと拳を握る。その様子を見て、夏輝くんはほっこりしたように目を細めた。


「経堂先生から許可を貰えて良かったね」

「ですねっ!」


 あの後、『カンパネルラ』のみんなで職員室に向かい、経堂先生に相談をした。「立ち見でも構わないので、ライブを見せてもらうことはできませんか?」とお願いしたところ、経堂先生は眼鏡の奥の瞳を細めながら「先輩のライブを観るのも勉強になる。三階席の一番後ろで立ち見をするなら構わない」と許可してもらった。


 寛大な対応に感謝し、僕達は急いでアリーナ―に向かった。


 ライブ会場にいる人々は、みんな浮足立っている。アリーナをバックに写真撮影する人、物販の列に並んでいる人、ファン同士でアイドルトークに花を咲かせている人。ライブ前の期待に胸を膨らませた空気感に包まれているだけで、ワクワクしてきた。


「はあぁ。楽しみです。早く始まらないかな」

「しおりん、楽しそうだね」

「そりゃあもう! 夏輝くんだって、さっきからうずうずしているじゃないですか」

「えへへ、バレた? 俺もプリズムは大好きなユニットだから、生で見られるのはワクワクしてるんだ」


 夏輝くんは照れ臭そうに笑う。はしゃいでいるのは僕だけじゃないと分かって安心した。


 開演時間が迫ると列が動き出し、順々にアリーナに誘導される。『星架学園生徒』というネームプレートを首から下げた僕達は、入り口ですんなり通してもらった。


 階段を登って三階席の最後列にやって来る。そこからはアリーナが一望できた。


 開演間近ということもあり、座席はほぼ全て埋まっている。観客は女性がほとんどだけど、チラホラと男性も混じっていた。


 観客席を見渡していると、海斗くんにちょんちょんと肩を突かれる。


「詩音、経堂先生からコレを貸してもらったぞ」

「なんですか? コレ」

「オペラグラスだ。それがあればステージもよく見えるぞ」

「わあああ! ありがとうございます! みんなで回して使いましょうね」

「ああ、そうだな」


 オペラグラスも手に入って準備万端。できればペンライトも欲しいところだけど、流石にそこまでは準備できなかった。急なことだったから仕方ない。


 ソワソワしながら待っていると、会場の照明が消える。いよいよライブが始まるらしい。


 しんと静まり返る会場内。その直後、ファンファーレのような華々しいメロディーが流れた。観客たちは一斉にペンライトを灯す。


 イエロー、ブルー、レッド、グリーン。観客達は推しのモチーフカラーのペンライトを灯していた。


 照明の落ちたアリーナに、色とりどりの光が浮かび上がる。ペンライトが星のように輝いて、まるで宇宙空間に放り出された感覚だ。


(綺麗……)


 見惚れていると、ドラムの音が流れる。その直後、『プリズム』のメンバーがステージに登場した。


「今日は来てくれてありがと~! 特別な時間を過ごそうね、お姫様~!」


 リーダーの奏多くんが叫ぶ。甘い美声に呼応するように、会場内から割れんばかりの歓声が上がった。


「奏多くん、ヤバい……カッコ、良すぎて、しぬ……」


 ステージで手を振る奏多くんを見て、手が震える。感動のあまり泣きそうになっていた。


 オペラグラスを覗いてじっくり観察する。煌びやかな金色のショートヘアに、宝石のような翠眼。顔立ちは精巧に作られた人形のように整っている。スラリと細身な身体には、王子様風の真っ白な衣装がよく似合っていた。


【九条奏多 ライブVer】

 本物がこんなにカッコいいとは思わなかった。ほぼ泣きながらステージを見入っていると、さっそく曲が始まる。


「じゃあ行くよ! 1曲目『誓いのキスを君に』」

「はわあああああ~」


 曲名を聞いただけでノックアウトする。『プリズム』の曲の中でも1番人気の曲だ。


 ファンファーレのような華やかなイントロが流れる。序盤で目一杯盛り上げてから、歌い始めた。


『♪~初めて出会った時から、運命を感じていた』


 甘く囁くような奏多くんの歌声。イヤホン越しに聴いていた歌声と何一つ変わらなかった。


 バトンタッチするように他のメンバーに歌を引き継ぐ。その繋ぎもスムーズで、一瞬の隙もなかった。


 惹きつけられるのは歌だけではない。息の揃ったダンスで会場を盛り上げていた。時折、ウインクをしたり手でハートを作ったりとファンサも忘れない。完成され尽くしたパフォーマンスだった。


(これが、本物のアイドルのライブ……)


 楽しそうに歌っているだけのようにも見えるが、そんなことはない。舞台上での動き、目線の送り方、息遣いなど、全てが計算され尽くしていた。


 心が惹きつけられる。彼らのパフォーマンスから目が離せなかった。


 圧倒されっぱなしのまま1曲目が終わる。会場内には再び歓声が沸き上がった。


 レベルの高いパフォーマンスを目の当たりにして呆然と立ち尽くしていると、隣にいた夏輝くんにブレザーの袖を引っ張られる。


 咄嗟に隣を見ると、夏輝くんはステージ上を真っすぐ見つめていた。その表情は真剣そのもの。いつものような愛らしい笑顔は浮かんでいなかった。


「凄いね」


 唐突に話を振られる。僕はすぐさま頷いた。


「ですね」

「俺達もさ、あそこまで行けるかな?」

「え?」

「先輩達のようなパフォーマンスができるのかな?」


 その言葉で息を飲む。


(そっか。僕らはアイドルなんだ)


 いちファンとして『プリズム』のライブを観ていたけど、それだけではダメだ。僕達もいずれ、あのステージに立つのだから。


 ふと、自分がステージに立つ姿を想像する。満席になった観客席。1万人の視線がステージに集まる。その中心に自分が立つ。


(こんなに大勢の人の前で、僕は歌えるのか?)


 想像したら足が竦んだ。力が抜けて、その場にしゃがみ込む。


「しおりん?」


 夏輝くんが心配そうに見下ろす。情けないと分かっていても、立ち上がることはできなかった。先ほどとは違う意味で、涙が溢れ出しそうになる。


「無理、です」

「え?」

「こんな大勢の前で、歌えない……」


 怖かった。大勢の人の前に立つことが。緊張とかそういう次元を超えて、頭が真っ白になる。


 ただでさえ、注目されることなく隅っこで生きてきた人間だ。そんな奴がいきなり1万人の観客の前で歌うなんてできっこない。


 身体が震える。鼻がツンとして涙が零れそうになったが、奥歯を噛み締めてグッと堪えた。


 すると隣にいた夏輝くんがしゃがみ込み、僕の背中をそっと擦ってくれた。


「怖いよね。分かるよ」

「夏輝くんも?」

「うん。俺だって怖いよ」


 夏輝くんの口から怖いなんて言葉が出て来るとは思わなかった。


「でもさ、怖がらなくてもいいんだよ。ほら、見てごらん」


 夏輝くんは腰を上げると、僕の腕を掴む。そのままぐいっと引き上げた。


 なんとか立ち上がった僕は、不安を抱えたまま夏輝くんを見つめる。夏輝くんはにこっと微笑んだ後、会場を見渡した。


「観客の表情を見て。みんな笑顔でしょう?」


 夏輝くんの真似をして会場を見渡す。ステージに注目している観客の横顔は、笑顔に包まれていた。夏輝くんは言葉を続ける。


「ここにいる人たちは敵じゃない。俺達を応援してくれているんだ」


 会場を見渡した後、視線が交わる。夏輝くんは輝かしいほどの笑顔で僕を勇気づけた。


「だから怖いことなんて何もないんだよ」


 ジンと胸に響く。


(応援してくれている人達。そっか……)


 1万人の観客の前で歌うのはやっぱり怖い。だけど向けられているのが、温かな笑顔だったら?


 ほんの少しだけ恐怖心が和らいだ気がした。自信なんてまだこれっぽっちもないけど。


「ありがとう、夏輝くん。恐怖心がちょっと薄れた」

「それなら良かった」


 にこっと愛らしく笑った後、夏輝くんはトンと僕の背中を叩いた。


「いつか、あのステージで一緒に歌おうね」


 真っすぐステージを見つめながら夢を語る夏輝くん。なんて眩しいんだ。ヘーゼルの瞳が宝石のようにキラキラと輝いている。


 推しと同じステージに立つなんて恐れ多い。だけど本当に叶ったら、これほどまでに素晴らしいことはない。


 ステージに立って、一番近くで推しの尊い姿を拝む。そんな日が来ることを密かに願っていた。

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