第11話 要するに永遠の片想いです

 昼休み。僕は教室の隅でパンを齧りながら、午後に受けるレッスンのことを考えていた。目の前にはステータス画面が表示されている。


夢野ゆめの詩音しおん

高校1年生

アイドルランク ノーマル

ダンス 6

歌 27

演技 10

スキル スタートレイン


(圧倒的にダンスが低いんだよなぁ……)


 プレイヤーとしてレッスンを選択するならダンス1択だけど、僕自身が受けるとなると話は変わってくる。人前で踊るなんて恥ずかしいし、上手くできる自信がない。大人しく歌っていたほうがまだマシだ。


 とはいえ、ダンスのステータスが低いのだから、このままでいいはずがない。僕のステータスが低いせいで、みんなの足を引っ張ってしまうのは絶対に避けたい。


(しょうがない、ダンスのレッスンを受けるか……)


 ダンスのレッスンに挑む覚悟をしたところ、


「しおりん、次はなんのレッスン受けるのー?」


 背後からにゅるんと腕が伸びてきて抱きつかれた。振り返らなくても分かる。夏輝くんだ。


(近い、近い、近いっ!)


 僕は慌てて椅子から立ち上がる。すぐさま身を隠すように、ぴゅんっとカーテンの中に逃げ込んだ。


「急に抱きつかないでください!」

「えー、いいじゃん減るもんじゃないし」

「減ります!」


 夏輝くんにドキドキさせられるたびに、HPがじわじわ削られていく気がする。こんなんじゃ、あっという間にゲームオーバーだ。


 ゲーム内でもそうだったが、夏輝くんは人との距離が近い。男同士でも平気で抱きついてくる。


 ゲーム中はとくに気に留めてなかったけど、実際にやられたら堪ったもんじゃない。これ以上おかしなことをされないためにも、カーテンの中で籠城した。


 視界から夏輝くんが消えてホッとしたのも束の間、ぺろんとカーテンをめくられて侵入されてしまった。想定外の行動に慌てふためく。


「ちょっと! なんで入ってくるんですか?」

「だって、しおりんが逃げるから」


 シュンと落ち込んだ顔をする夏輝くん。避けるような態度を取ってしまったから、傷つけてしまったか?


 とはいえ、この状況はよくない。薄いカーテンの中で夏輝くんと二人きり。教室はクラスメイトの声で騒がしいのに、ここだけは切り取られたかのように静かだった。なんだかイケナイことをしている気分になる。


「しおりん、顔真っ赤」


 顔を覗き込みながら指摘する夏輝くん。その言葉で余計に顔が熱くなった。息遣いを感じるほどに近くにいるのだから仕方がない。


「そんなに俺のこと好き?」


 まただ。またしても見透かされてしまった。これはマズい。


 動揺のあまり視線を泳がせていると、夏輝くんが溜息をつく。チラッと表情を窺った瞬間、僕は息の仕方を忘れた。


 穏やかに目を細め、口元は緩やかに弧を描いている。頬はほんのり上気していた。


 こんな表情、公式では見たことがない。嬉しそうなんだけど、どこか切なげで、何かが満たされていないような……。そんな表情をされたら、ドキドキしてしまう。


 パニックになっていると、夏輝くんはさらに距離を縮めてくる。何をされているのかと身を固くして構えていると、内緒話をするようにそっと耳元で囁かれた。


「いっそキスでもしてみる? 気持ちいかもよ?」


 耳元から下肢にかけてぞくぞくと電撃が走る。これはマズイ。本当におかしくなる。


 僕は咄嗟に夏輝くんの肩を掴んで引き剥がした。


「やっ……だ」


 距離を取られた夏輝くんは、驚いたように目をぱちぱちとさせている。その隙を見て、カーテンから脱出。机に戻って、なんとか危機を逃れた。


 夏輝くんは大きな誤解をしている。平穏な学園生活を送るためにも、ここは一度きちんと説明しておいた方が良さそうだ。


「あの、誤解があると良くないので、ちゃんと説明します」

「ん?」


 真面目な空気を察したのか、夏輝くんは空いていた前の席に座って話を聞く態勢になった。


 本人に伝えるのは小恥ずかしい。だけど誤解されたままは嫌だったから、意を決して伝えた。


「僕は、夏輝くんが好きです」

「おお? ストレートに告白? 意外と男らしいんだね」


 夏輝くんは感心したように目を丸くする。確かにこれは告白だけど、いま重要なのはそこじゃない。大事なのはその先だ。


「好き、なんですけど、付き合いたいとかそういうのではないんです。この感情はあくまで自己完結するものといいますか……」

「どういうこと?」

「つまり、夏輝くんは僕の推しなんです」

「推し?」


 夏輝くんはきょとんとしたように首を傾げる。この世界では、推しという言葉が一般的ではないのかもしれない。イマイチ納得していない夏輝くんに説明をする。


「夏輝くんのことは、応援したい対象として見ているだけです。頑張っている夏輝くんを傍で見ているだけで幸せなんです」

「見ているだけでいいの?」

「はい」

「それ以上のことは?」

「望みません!」


 夏輝くんに対する感情はあくまで一方的なものであって、見返りなんて求めていない。付き合いたいなんて思ったこともないし、下心を抱くなんてもってのほかだ。


 僕は純粋に夏輝くんを応援している。そこに邪心はない。


 そんな中、ふと前世の忌々いまいましい記憶が蘇る。


 あれは忘れもしない、高1の夏の出来事だ。姉さんの部屋から漫画を借りようとした時に、とんでもない代物を発見してしまった。


 本棚の奥にしまわれていたのは、夏輝くんが表紙に描かれた薄い本。興味本位で開いてしまったのが良くなかった。中身を見た瞬間、あまりの衝撃に膝から崩れ落ちた。


 薄い本に描かれていたのは、夏輝くんが男に抱かれながらアンアンと喘いでいる姿。快楽に溺れたような泣き顔を晒し、破廉恥な言葉を叫んでいる。その瞬間、とてつもない嫌悪感に襲われた。


 こんなのは僕の知っている夏輝くんじゃない。夏輝くんは純真無垢な男の子だ。たしかに見た目は可愛いけど、男に抱かれて悦ぶような子じゃない!


 崇めていた神が穢されたような感覚になった。


 その日はショックのあまり寝込んでしまった。以来、スタトレのBL二次創作は僕にとって地雷となった。


 夏輝くんにエロは邪道。乱れた姿を想像するなんて冒涜ぼうとくに値する。


 そんな考えを持っているからこそ、僕が夏輝くんをいやらしい目で見ているなんて絶対に思われたくなかった。薄い本のようにエッチなことがしたいと誤解されているなら、直ちに撤回しなければ。


 そもそも夏輝くんはゲームのキャラだったのだから、実際にどうこうなりたいなんて考えたこともない。どう足掻いたって、交わることのない存在だったのだから。


 何とか伝わるように、なけなしのボキャブラリーを引っ張り出した。


「要するに、夏輝くんへの感情は永遠の片想いみたいなものなんです」


 この表現が1番近い。成就しないことを前提で始めた恋に似ている。手の届かない相手を遠くから眺めているような感覚だ。見ているだけで幸せだし、満たされる。まあ、恋なんてしたことがないからよく分からないけど。


「とにかく、僕はいちファンとして夏輝くんを応援しているだけです」

「んー、それって結局、しおりんはアイドルの涼風夏輝が好きってこと?」


 厳密には少し違うけど、大まかに言えばそういうことになる。


「そう、ですね」


 俯きながら肯定すると、夏輝くんは小さく息をつく。


「なんだ。そういうことかぁ……」


 いつもより声のトーンが低い。どこか落ち込んだような表情のまま夏輝くんは言葉を続ける。


「美人に好かれたと思って嬉しかったのに、俺一人で舞い上がってただけか……」


 シュンとしたわんこのように机に伏せる。その反応に戸惑っていると、夏輝くんはチラッとこちらを見てから微笑んだ。


「まあでも、応援してくれるだけでもありがたいか。ありがとね、しおりん」


 感謝されているのに、お互いどこかすっきりしない。


(なんだろう、この感じ……。がっかりさせた?)


 微妙な空気に戸惑っていると、少し離れた場所から声がかかった。


「おーい、夏輝、詩音。午後のレッスンは何を受けるんだ?」


 海斗くんがこっちにやって来る。その後ろには瑛士くんと聖くんもいた。


 三人が来たことで、レッスンのことを思い出す。僕はみんなのステータスを確認した。


涼風すずかぜ夏輝なつき

高校1年生

アイドルランク ノーマル

ダンス 12

歌 11

演技 27

スキル ハイパワーサンシャイン



水瀬みなせ海斗かいと

高校1年生

アイドルランク ノーマル

ダンス 11

歌 23

演技 12

スキル ハイパーアシスト



神宮寺じんぐうじ瑛士えいじ

高校1年生

アイドルランク ノーマル

ダンス 18

歌 16

演技 9

スキル ビッグバン



矢神やがみひじり

高校1年生

アイドルランク ノーマル

ダンス 15

歌 15

演技 10

スキル ラピッドグロウス


(歌のステータスがみんな上がってる。昨日のレッスンの成果かな?)


 夏輝くん、海斗くん、瑛士くんは歌のステータスが4上昇、聖くんは6上昇していた。


 スタトレではステータスの上がり幅がキャラによって異なる。ほとんどのキャラは1~3の範囲で上昇するが、聖くんのようなタイプは伸び率が良い。これは彼の持つスキルが影響している。


【ラピッドグロウス】

レッスンで得られる経験値を上昇させるスキル。一緒にレッスンを受けたメンバーにも高確率で効果が及ぶ。


 昨日の歌のレッスンには、聖くんも参加していた。だからスキルが発動して他のメンバーの伸び率が通常よりも上昇したようだ。


 聖くんのスキルは、キャラクターを育成するうえで非常に役立つ。このスキルを有効活用しない手はない。


(とりあえず一桁台のステータスをなんとかしたいな)


 一桁台の項目があると、ライブ中にミスをしやすくなる。まずはその穴を埋めたい。


 一桁台の項目があるのは僕と瑛士くんだ。僕はダンス、瑛士くんは演技が一桁台になっている。そこを優先的に上げていくべきだろう。


(とはいえ、僕がいきなりみんなのレッスンを指示したら変に思われるよな……)


 加入したばかりの新参者が、偉そうにみんなのレッスンを指示するのは図々しいような気がする。どうしたものかと考えていると、夏輝くんが僕の顔を覗き込んだ。


「しおりん、何か言いたそうだねぇ」

「え?」

「言いたいことがあるなら、遠慮しないで言って良いんだよ」


 話を振られたことでみんなから注目される。そこで自分の役割に気付く。


(そうだ、僕にはステータスが見えるんだ。みんなが効率よくレッスンを受けられるように教えてあげなきゃ)


 注目を集めながら、おずおずと提案する。


「午後のレッスンなんですけど、夏輝くん、海斗くん、聖くん、僕はダンス、瑛士くんは演技のレッスンを受けるのが良いと思います」


「その心は?」


「全体的にダンスの技術が不足しているので、そこを補いましょう。瑛士くんに関しては、もともと基礎体力が高いので、ダンスに関しては他のメンバーよりもずば抜けています。なので、苦手とする演技のスキルを磨いた方がよいかと……」


 聖くんのスキルの恩恵を受けるためにも、なるべくまとまってレッスンを受けた方が効率が良い。瑛士くんに関しては、演技を克服してもらうために別行動をしてもらう。これで一桁台のステータスは解消しつつ、ほかのメンバーも効率よく育成できる。


 とはいえ、彼らにスキルやステータスの話をしても通じないだろうから、客観的に見える部分で説明をした。


「すげーな。詩音、マネージャーみたいだ」


 海斗くんは感心したように目を丸くしていた。その反応を見て、ちょっと誇らしくなる。


(これでもみんなのマネージャーだったからね)


 自分の育成論が認められたような気がして嬉しかった。それから聖くんと瑛士くんも賛同する。


「詩音の言う通りだ。瑛士、お前は演技の技術を磨いた方がいい。すぐに感情的になるようではアイドルは務まらんぞ!」


「うっせー! 言われなくても演技のレッスンを受けるさ。うるさいお前と別行動したいと思ってたからちょうどいい!」


 方向性が固まったところで、4人はわらわらと教室を出る。その背中をワンテンポ遅れて追いかけた。


 みんなに追い付いたところで、夏輝くんが振り返る。


「行こ、しおりん」

「はいっ」


 夏輝くんは笑顔を浮かべているけど、どこか元気がない。一瞬伸ばしかけた手も、すぐに引っ込められた。


(なんだろう、ちょっと距離を置かれた?)


 先ほど感じた違和感は、いまだ解消されずにいた。

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