第7話 夢のステージ
「はあ……はあ……。ここまで来れば流石に大丈夫かな」
校舎から離れた場所で、僕はようやく足を止める。全力で走ったものだから、ぜえぜえと息を切らしていた。
呼吸を整えながら周囲を見渡すと、半球状の白い建物が見える。野球場かライブ会場のように思えるが、この学園の場合は後者だ。
アイドル養成学校の
一般のお客さんはイベント時にしか立ち入りできないから、何でもない今日はがらんとしていた。興味本位で建物に近付いてみる。
(でっか……。ここでライブをするのか……)
もとの世界にもあった大規模なドームよりは小さいけど、学園の施設とは思えない広さだ。たしか1万人は収容できたはず。
ゲームのCGでしか見たことがなかった建物を間近で見られるなんて感激だ。この大規模なステージに立つのは相当緊張するだろう。
ライブ会場の外周を歩いていると、中へとつながる入り口を見つける。どうせ締まっているだろうと思いながらも、分厚いガラス扉を押してみると意外なことに開いてしまった。施錠はしていないらしい。
(ちょっとだけ、中見てみたいな……)
施錠をしていないことを良いことに、ちょっとだけ覗かせてもらうことにした。そーっと扉を開けると、ピカピカの床をした綺麗なエントランスが広がっている。照明は消えているから少し薄暗い。正面には二階席に続く階段があった。
しんと静まり返ったエントランスに、僕の足音だけが響く。会場へと続く分厚い扉に近付くと、そーっと押して開けてみた。
会場を見て、僕は息を飲んだ。
(わぁ、アレがステージか……)
フロアの中央には真四角のステージがある。その周囲を囲むように客席が並んでいた。客席は1階、2階、3階と段々に続いている。どこからでもステージが見えるような構造になっていた。
本格的なアリーナを目の当たりにして呆然とする。ここに観客が埋まったらどんな景色になるのだろうか?
ライブに来たイメージをしながら、観客席に座ってみる。
この場所から『カンパネルラ』のライブが見られたら最高だ。曲が始まったら、僕は全力でペンライトを振るに違いない。
「きっと綺麗なんだろうなぁ。ここから見る景色は」
ステージの上で夏輝くんが歌う姿を想像すると、胸が高鳴る。眩しいライトを浴びながら歌う姿は、カッコいいに決まっている。爆音で響く音楽も、観客の声援も、会場の熱気も、全部全部エネルギーに変えて輝くはずだ。
彼らのライブをこの目で見られたら最高だ。舞台の上からファンサでもされたら、嬉しさのあまり気絶するかもしれない。
会場内で妄想に浸っていると、不意に1階の扉が大きな音を立てて開く。ビクッと肩を震わせながら振り返ると、息を切らした夏輝くんがいた。
「あー! やっぱりここにいた!」
「なっ、
「逃げていった方向からここかなって思って。そしたら本当にいた」
行動パターンが読まれていた。ここなら見つからないと思ったのに。
とはいえ、この場で追いかけっこを再開するつもりはない。僕は大人しく夏輝くんに捕まった。
「捕まえた」
夏輝くんは鬼ごっこに勝った子どものように笑いながら、僕の肩に手を置く。無邪気な表情は、堪らなく可愛かった。
「捕まりました」
素直に負けを認めると、夏輝くんは僕の隣に座った。その横顔をこっそり盗み見る。
夏輝くんはステージの上を眺めている。その瞳は星を閉じ込めたようにキラキラ輝いていた。
「この学園のアリーナって立派だよね。テレビに出ている人気アイドルも、このアリーナを使うこともあるんだよ」
「そう、なんですね」
突然話を振られて、慌てて視線を落とす。いつまでも見ていたら、また変に思われるかもしれない。そんな心配もよそに、夏輝くんはステージだけを見つめていた。
「ここで見る景色は最高なんだろうね。俺も早く見てみたいなぁ」
考えていることは同じなのかもしれない。僕は小さく頷きながら同意した。
「僕も見てみたいです。ここから、みんながパフォーマンスするのを」
願望を口にすると、夏輝くんがようやくこちらを向く。
「ここから?」
「へ? あ、はい」
何かおかしなことを言ったかなと思い返していると、夏輝くんは勢いよく座席から立ち上がった。
「違うでしょ」
そのままステージに向かって走り出す。脇目もふらず一直線に走り出し、ステージ上に続く階段を一気に駆け上った。
そのまま夏輝くんはステージの中央に立つ。堂々とした佇まいで、思いっきり叫んだ。
「俺はここからの景色が見たいんだよ!」
興奮を抑えきれずに頬を上気させる夏輝くん。その姿を見て、ハッとさせられた。
(そっか。僕と夏輝くんは違うんだ……)
観客席からステージを見たいと願う僕。ステージからの観客席を見たいと願う夏輝くん。僕たちの願いはまるで逆だった。
同じ世界線にいるけど、やっぱり僕たちは住む世界が違う。僕はステージの下から夏輝くんを応援するただの観客だ。
隣にいた夏輝くんが、遠い存在に思えてきた。そもそも隣にいたこと自体がおかしいんだ。いまの状況の方が正しい。
自分の立ち位置を自覚した直後、夏輝くんは真っすぐ右手を差し出す。それから弾むような声で叫んだ。
「君もこっちにおいでよ。一緒にこっち側の景色を見よう」
キラキラとした笑顔でこちらに手を差し伸べる。まばゆい光に圧倒されて思考が停止した。
しばらく固まっていた後、スカウトされていることに気付く。まだ諦めていないらしい。
「僕みたいな透明人間には、アイドルなんて務まりませんって……」
どこにいても目立たない存在で、誰からも注目されることなく、ひっそりと生きていた。そんな人間にアイドルなんて務まるわけがない。
「んー、そうかなー?」
はっきりと拒んだものの、夏輝くんは首を傾げるばかり。僕の言葉に納得していないようだ。
それから夏輝くんは、驚くべき言葉を口にした。
「透明じゃなかったよ。俺にはちゃんと見えたもん。君の色が」
「色?」
「うん、君の歌声は虹のようだった。たくさんの色が混ざり合って、キラキラ光って、凄く綺麗だった」
「そんなはずは……」
歌声に色が付いていたなんてあり得ない。比喩だとしてもイメージが湧かない。ましてや虹のような色だなんて……。
(夏輝くんには僕がどう見えているんだろう? もしかしたら無駄に整ったこの顔のせいで、過大評価されているのかもしれない)
見た目が変わっても、僕は透明人間だ。夏輝くんのようには輝けない。
「僕は、夏輝くんのようにはなれない」
自分自身を卑下していると、どんどん惨めになってくる。こんなネガティブな自分は大嫌いだ。
転生しても、もとの性格は変わらないようだ。折角なら性格も丸ごと変わってほしかった。夏輝くんのような明るくて強い人間に生まれ変われたら、迷わず彼の手を取ることもできただろうに。
俯き黙っていると、はあぁと深い溜息が聞こえてくる。
(嫌われたかもしれない)
最悪の展開が過ってゾッとする。推しに嫌われたら、もうやっていけない。
不甲斐なさで泣きそうになる。泣いたら余計に嫌われるに決まっているから、絶対に涙は見せたくない。俯きながら、歯を食いしばって堪えた。
足音がこちらに向かっていることに気付く。情けない顔を晒してしまいそうで、顔を上げられずにいた。
背中を丸めて小さくなっていると、不意に夏輝くんに手を掴まれる。驚き顔を上げると、ぐいっと手を引っ張られた。
「来て」
「え?」
「いいから」
手を引かれるがままに連れて行かれる。怖くて夏輝くんの表情は見られないが、その足はステージに向かっていた。
観客席を通り過ぎ、ステージに上がる階段を一段ずつ登っていく。そのまま手を引かれて、ステージの中央まで連れて行かれた。
夏輝くんは振り返る。そこでようやく顔を見られた。
夏輝くんは怒っていなかった。むしろ笑っていた。いつもの可愛い笑顔とはちょっと違う。出来の悪い弟を見守るような、大人っぽい笑顔だった。その変化に見惚れていると、夏輝くんは観客席を指さす。
「こっからの景色を想像してごらん」
言われるがままに観客席を見渡す。
いまは誰一人座っていない観客席。もしここに大勢の観客が押し寄せて、目の前の座席が全部埋まったら?
ぞわっと鳥肌が立つ。足が竦んできた。恐怖でそうなっているのではない。興奮にも似た刺激が全身を駆け巡った。
呆然としていると、夏輝くんは言葉を続ける。
「ここに立ったら、みんなから注目されるよ。何百、何千っていう人達の熱量が集まって、会場がひとつになるんだ。それってすごくゾクゾクしない?」
夏輝くんの言っていることは分かる。ほんの少し想像しただけでぞわっとしたから。
夏輝くんは、満面の笑みを浮かべた。
「俺はここで輝きたい。みんなから愛されるアイドルの涼風夏輝になるんだ」
輝かしくて、力強い表情。このシチュエーションを僕は知っている。
スタトレ本編の序盤、マネージャーの夢野詩音は、涼風夏輝とこの場所にやってきた。観客のいないアリーナで夢を語る彼の姿を見て、僕は胸を打たれたんだ。
あの瞬間、僕は涼風夏輝に落ちたんだと思う。そこからどんどん涼風夏輝に惹かれていった。
いま、目の前で同じ光景が再現されている。こんなのは、ときめくなという方が難しい。
僕はまた、涼風夏輝に落ちてしまった。もう既におかしくなりそうなほど大好きなのに、これ以上好きにさせられるとは思わなかった。
推しの沼はとてつもなく深い。とてもじゃないけど抜け出せそうにない。
高鳴る鼓動を感じながら、言葉を絞り出す。
「なれ、ます」
「ん?」
感情がだだ洩れになりそうなのを抑えながら、最大限のエールを送った。
「涼風夏輝は、みんなから愛されるアイドルになれます」
感極まって、またしても泣きそうになる。目元がじんわり熱を持っている。頬も燃え上がりそうなほど熱い。いまの僕は、どうしようもなく腑抜けた顔をしているに違いない。
夏輝くんは驚いたように目を見開く。
「応援してくれるんだ」
「はい、ずっと応援しています」
素直な感情を吐き出すと、夏輝くんは肩を竦めながらはにかんだ。
「その気持ちはすっごく嬉しい。……けどね、それだけじゃダメだよ」
どういう意味だ、と固まっていると、夏輝くんは先ほどと同じようにこちらに手を差し出した。
「俺は、君と一緒に輝きたい」
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