第6話 推しのユニットにスカウトされた!?

 原作ではマネージャーだった夢野ゆめの詩音しおんが、あろうことかアイドルにスカウトされてしまった。これは由々しき事態だ。


 音楽室から飛び出した僕は、早足で廊下を歩く。


 夏輝なつきくんから誘われたのは嬉しかったが、アイドルになるなんて冗談じゃない。こんな陰キャにアイドルなんて務まるはずがない。


 もし加わったとしても、足手まといになるだけだ。僕が加わったことで『カンパネルラ』の魅力が損なわれてしまったらと考えると、ゾッとした。


 星は地上から眺めているだけでいい。彼らと一緒に輝こうだなんて、図々しいにもほどがある。


 身のほどをわきまえて辞退したものの、追いかけてきた夏輝くんに掴まってしまった。


「ねえ、待ってよ。なんでダメなの?」


 縋りように腕を掴む夏輝くん。僕は咄嗟に腕を払った。


「僕は、アイドルになるような人間ではないので」

「ええ? だったらなんでこの学園に来たの?」


 ……確かにその通りだ。アイドルになるつもりのない人間がこの学園にいるのはおかしい。


 転生して目を覚ましたらここにいた、なんて言っても信じてもらえないだろう。またおかしなやつだと思われる。


「それは……事情があって」

「その事情はアイドルにはなれない事情?」

「そうじゃ、ないけど……」


 恐らくアイドルになってはいけないなんて縛りはない。アイドルにならないのは僕の個人的な事情だ。


「とにかくっ、陰キャにアイドルなんて務まりません! 僕なんかが加わったら『カンパネルラ』のイメージダウンになります」

「そんなの分かんないじゃん」

「分かります!」


 陰キャが入って『カンパネルラ』に暗いイメージが付きまとうのは容易に想像できる。やっぱり僕のような人間が加わるわけにはいかない。


「大体、どうして僕をスカウトしているんですか?」

「好きになったから」


 しれっと告げる夏輝くん。思わぬ言葉が飛び出してポカンとしてしまった。


(好きになった? 僕のことを? そんな馬鹿な……)


 意味が分からず放心していると、夏輝くんは言葉を続ける。


「君の歌声を好きになったんだ。ひと目惚れ? いや、聴いたから、ひと聴き惚れなのかな?」

「ああ、歌か……」


 歌と聞いて納得したが、すぐに「いやいやいや」と否定する。確かに夢野詩音は聞き惚れるような甘い歌声をしていたが、それだけで好きになってもらえるはずがない。ましてやあの夏輝くんに。


「僕なんか、誰かに好きになってもらえるような人間じゃないですから」


 前世でだって、他人から好きになってもらえることはなかった。応援されることも、注目されることもなく、透明人間のようにひっそり生きてきただけだ。そんな人間が誰かに好かれるはずがない。


「何それ? なんでそんなに卑屈なの? 俺は君の歌が好き。その気持ちに嘘はないよ」


 夏輝くんに真っすぐ見据えられる。ヘーゼルの澄んだ瞳から、目が離せなくなった。


 呆然と固まっていると、突然両手を握られる。逃がさないという意志を感じさせるように、力強く掴まれていた。


「一緒にユニット組もう? ねっ?」


 夏輝くんの瞳は真剣そのもの。ずっと憧れていた人に求められるのは素直に嬉しい。期待されたからには応えたい。だけど……。


「無理ですっ」


 僕は夏輝くんの手を振りほどいて逃亡した。


 やっぱり陰キャにアイドルなんて無理だ。ましてや推しのユニットに入るなんてとんでもない。


 流石に逃げれば諦めてくれると思いきや、なんと夏輝くんは走って追いかけて来た。


「待ってよ! まだ話は終わってないんだけど!」


 ダッシュでこちらに向かってくる姿を見て、思わず「ひいっ」と悲鳴を上げてしまった。ここで捕まるわけにはいかない。僕は走るスピードを上げた。


 階段を一段飛ばしで駆け降りる。踊り場で方向転換をしたところで、信じられないものを見た。


 夏輝くんが上の階から勢いを付けてジャンプする。ふわっとスローモーションで宙に浮かび、ブレザーの裾がひらりと舞った。まるで天使が羽を広げたようだ。


 見惚れているうちに、スタンっと片膝をついて踊り場に華麗に着地する。


「よっとっ」

「あっ、危なっ! 足でもくじいたらどうするんですか!?」

「平気だよ、これくらい。俺、運動神経いいんだ」


 にこっと爽やかに微笑む夏輝くん。可愛いんだけど、いまは見惚れている場合ではない。


「ほら、観念して捕まりなよ」

「や、です!」


 腕を掴まれそうになったところで、サッと身をかわす。再び一段飛ばしで階段を降りてから、昇降口に向かって走り出した。


 全力で走っていると、経堂きょうどう先生を追い越す。案の定、背後から怒りの声が飛んでいた。


「コラ、そこ! 廊下を走るなと言っただろう!」

「はーい、スイマセン」


 夏輝くんは軽い口調で謝罪する。チラッと振り返ると、経堂先生は頭を抱えていた。ごめんなさいっと心の中で謝罪したけど、足を止めるわけにはいかなかった。


 直線距離を全力ダッシュする二人。夏輝くんの方が足が速いから、距離はどんどん縮まっていく。


(もうダメだ、捕まるっ)


 諦めかけたその時、廊下の窓が1つだけ開いていることに気付く。一階だから外に逃げることもできそうだ。


(飛び越えられるか?)


 窓枠は胸の高さまである。イチかバチかで窓枠に手をかけ、一気に身体を持ち上げた。窓枠に足をかけて、外へ飛び出す。


 ふわっと浮遊感に包まれた後、足に衝撃が走った。よろけながらも、なんとかアスファルトに着地した。


「えー、うっそ。普通乗り越える?」


 驚いたような夏輝くんの声が聞こえる。何とでも言えばいい。逃げてしまえばこっちのものだ。


 僕は振り返ることなく、上履きのまま中庭へ走り出した。

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