10-5:第1章

 シーカを乗せたエレベーターが目的階へと到着し、扉を開ける。

 目的の部屋は3202号室。

 この広い階層で、二部屋しかない内の、奥の部屋だった。


 部屋番号を確認し、インターホンを鳴らす。

 特に返事はないまま、即座に扉が開いた。

 どうやら、扉の向こうでドアマン兼見張りが控えていたようだ。


「依頼を受けてくださった方ですね。

 どうぞ、お入りください」


 感情の見えない顔と声で入室を促すドアマンの女性。

 シーカの顔を確認した様子から、どうやら受注者の情報は把握されているようだった。


(一人で動くのなんて、随分久しぶりな気がしてきた。

 ……全然そんなことないのにね)


 無表情な女性から感じた威圧感のせいか、それとも見るからにVIP用な部屋の内装に萎縮したからか、シーカは腰にズンと重たい孤独感を覚えていた。

 手に持っていた黒い箱を両手で強く握りしめた後、思い出して、腰のベルトに挿していた銃に触れる。


 何の実用性もない飾りのベルトに挿しているだけなので、動く度に銃が揺れて、抜け落ちそうな気がしてくる。

 そのたび、支えるように銃に触れる。

 パンフレットを挟んだおかげで案外上手に固定出来ていたのか、銃が落ちることはなさそうだ。

 そうは思いつつ、シーカは揺れる重さを感じるたびに銃に触れた。


 玄関先からしばらく廊下が続き、その先正面にもう一つ扉がある。

 きっとこの先でアイテムを渡せばいいのだろう。

 一歩一歩踏みしめて歩く。

 ちらりと目だけで後ろを見れば、ドアマンの女性はついてはこないようだ。


 左手で銃に触れ、ドアノブには反対の手をかける。

 すんなりと扉は開き、覗いた扉の先には、執事のような格好の女性がいた。

 理由はさっぱりわからないが、シーカを見た瞬間に酷く驚いた顔をしていた。


「……御巫、シーカ様ですね?

 ようこそおいでくださいました。

 アイテムも……お持ちいただいているようですね……」


 シーカは何も言わずに、心音に急かされて黒い箱を差し出す。

 これを渡せば仕事は終わり、シーカの使命は果たされるのだから、一刻も早く手放したかった。


 女執事は素直にそれを受け取った。

 一気に肩の力が抜けて、思わずシーカは勢いよく、鼻から肺の空気を全部吐き出した。


「お疲れさまでした。

 後払い分の報酬は、後ほど依頼された方の関係者から受け取っていただきます。

 こちらからも話は通しておきますが、念のためこちらを」


 女執事が手を差し出すと、慌ててシーカも両手を開けて迎え入れる。

 彼女がストンと落としたのは、アイテムに似た形の白い箱だった。


「こちらには報酬の受取先、念のための連絡先、依頼達成の証明書が入っております。

 あなた方三人以外には使えないようになっていますし、これが無くても報酬は受け取り可能ですので、本当に念のための品です。

 ……ええと、大分お疲れの様ですし、こちらでしばらく休んでいかれても結構ですよ?」


 気遣わし気な表情で、女執事はバルコニーにある席を指し示す。

 窓から見える景色は、もう大分暗くなっていた。


 休んでいる場合ではないという気持ちと、私が戻ったところで何ができるという虚無感。

 その相反する感覚が、シーカの思考を邪魔している。


 結果的に促されるまま、気が付けばふらふらとバルコニーへと向かっていた。


(そうか……。

 私が帰ったところで、もう何も出来ることが無いんだ……。

 エイジを助けに行くことも、バジュラちゃんに加勢することも……)


 自分のやるべきことさえ済めば、それで何かが好転するような気さえしていた。

 けれども結果残されたのは、何も出来ない無能な自分だけ。


 せめてもの抵抗のように、シーカはバルコニーの端まで向かう。

 ここは高すぎて、ちゃんと見えるかも怪しいが、地上を見下ろしてみることにした。


***


 ニュータウン東地区、バイリーフコーポレーション所有オフィスビルの三十階、応接室。


 カモッラのボスである『ビアンキ・デ・ルカ』がソファに座り、その側近アンダーボス二名が後ろに控えている。

 対面のソファに腰掛けているのは、とある企業の重役である片眼鏡モノクルの女性。


 女はモノクルの向こうで、鋭い目元をにっこりと細めて、微笑みかけながら口を開く。


「聞くところによると……こちらが依頼した『仕事』の件で、なにやら大変なご迷惑をおかけしたとか……。

 こちらが意図しないトラブルとはいえ、弊社を代表して謝罪を……ああ、“ミスタビアンキ”と、お呼びしても?」


「ええ。勿論、構いませんよ。

 “トラブル”の件にしても、大半はこの街の裏社会における、“しがらみ”のようなモノが発端と言っても過言ではありませんから。

 この街の事情に詳しくない方でしたら、知らずに依頼を持ち掛けたとて責められる謂れは無いと、そう思います。


 今回の件に関しては、私の部下の配慮が足りない為に起こった……悲しい行き違いのようなものです。

 今回の件についてはその部下に責任を取らせる形で事は収まりましたので。


 ただ……今後はそちら方の方でも、ある程度の配慮はしていただけるものと、そういったを前提に、私もこの席に座っておりますので……ね?」


 言葉の所々でアクセントを強めた語り口。

 あからさまな“圧”を込めて、ミスタビアンキはゆっくりと丁寧に語る。


 女はそれを受けても笑みを少しも崩さない。

 細めた目を、寧ろしっかりとギャングのボスと視線を合わせる。


「“信用”、ですか……。

 元より弊社と致しましても、今後ともお互いに配慮を欠かさない、そういった『良きお付き合い』が出来たらと考えております。

 今後は“悲しい行き違い”の無いよう、こちらとしても気を配ってまいりますので……。

 この街の事情に疎い我々に、何卒ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いできたらと」


「ええ、それは勿論。

 私の組織としても、確執のようなものは望んでおりませんので。

 今後とも宜しく願います」


 ミスタビアンキの方から差し出された手を、女も力強く握り返す。

 お互いに目は逸らさないままに座り直して、女はティーカップを持ち上げる。


「それで、本題……と言ってはなんですが、“荷物”の方は問題ありませんでしょうか?」


「それは勿論。

 “カモッラ”の名を出して受けた仕事は、名誉にかけて遂げるというのが、ウチの基本方針ですので」


 ティーカップを傾けながら問いかける女執事に、ミスタビアンキは緩やかな笑みを返す。

 そのまま視線を逸らさずに、手を肩の上程に上げ、ぷらぷらと揺らすことで合図を出した。


 後ろに控えていた花尾マルツェラが滑らかに前に出る。

 手に持っていたジュラルミンケースをソファの間にあるローテーブルに置くと、それを開いて女に見せるように回転させた。


「……確認致しました。

 これにて、依頼全ての完遂を確認致しました。

 依頼報酬ですが……迷惑料込で、気持ち程度ですが上乗せした額を、即時指定された順路で送金致します。

 こちらは友好の証としても、是非受け取っていただきたいのですが……?」


「なるほど。

 友好の証と仰られるのであれば、ありがたく頂戴するとしましょう」


「感謝致します。

 ……良き取引でございました。

 この度はありがとうございました」


 女はジュラルミンケースを閉じ、それを持ち上げながらソファから立ち上がる。

 それを見たミスタビアンキも立ち上がると、二人は再び握手を交わした。


 「ああそうだ、ミスタビアンキ。

 お帰りの際には、またお見送りに一人ますので。」


「ご配慮、感謝します」


 話しながら応接室の出口へと向かう。

 側近のもう一人、御嶽みたけ・ヨハン・ドミニクが扉を開き、部屋の外に出る。


 そこには、今まで話していた女性と全く同じ顔をした、執事服の女がいた。


「私がお見送りを担当致します。

 よろしくお願いいたします」


「……なるほど」


 少し止まって、ミスタビアンキは頷きを返した。

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