9-4:第1章
「シーカ!!?」
シーカがビルから表に出ると、左の方向、そのずっと先からギリギリ声が届く。
エンジン音にかき消されながら、本当に届いていたのかもわからない声。
けれどシーカは自分が呼ばれた、そんな予感がして左を見た。
ずっと遠くからバイクがものすごいスピードで近づいてくる。
乗っているのはレザージャケットの女性。
シーカは思い切り手を振りながら道路まで飛び出す。
「シーカ!危ないから!
せめてこっちの歩道に!」
バイクを止めて早々、道路の真ん中で立っていたシーカをペットのように抱きかかえ、歩道に乗せる。
「……あれ?
シーカ一人か?
ってか、なんか様子が……?」
怪我はないか?と下から上にとシーカの様子を確認していたら、流石にバジュラも違和感に気が付き始めた。
バジュラとしっかりと目を合わせた瞬間から、シーカの喉は渇いて仕方がなかった。
それでも、そんな自分のくだらないセンチメンタリズムなどにかまけている暇はないのだと、たどたどしくも口を開けた。
「……騙して、ごめんなさい。
私は、灰色じゃ、ないの。
普通の、ひと」
「おお!
そうなのか!よかった!」
あっけらかんとしたバジュラの言葉に、今度はシーカが唖然とする。
言わなければならないことがあるのに、また喉が渇いたようになって、口を閉じたり開いたりを繰り返す。
エイジから受け取った『お願い』を果たすためにも、少女はしっかりと話が出来る人間でなければならないのに。
「灰色はなぁ……。
地元に居たばあちゃんもなってたが、知ってる人間がボケ老人みたいになると、あんまり見てても気持ちの良いものじゃないからなあ……。
灰色になってからもばあちゃんは変わらず口うるさいし、その上同じ話しかしなくなるし……まあ、シーカには似合わないよ!
だから、良かった!」
考え込むように顎を手で摩りながら、ピントのズレた話をするバジュラ。
その姿を見れば、シーカは自分が一体何に怯えていたのかと馬鹿馬鹿しくなる。
決して気を遣ったり、言葉を選んでいたりはしていない、素の言葉だった。
それを感じ取ると、途端に無責任な勇気が湧いてくる。
特に自分が何をしたわけでもないのに、悩みが解決した後の解放感がある。
半面、体中から余って落ちてきた自己嫌悪が、お腹の底で食道を引っ張るように、ずしりと重たく溜まっていたりもする。
気分が少し軽くなったから、今度は自分が何か為さなきゃならないと、使命感に前向きになる。
自罰的な感傷が体を重くするから、『今度こそは』とひたむきになる。
間違いなくバジュラに背中を押される形で、シーカはなんとか再び喉を開けるきっかけを掴んだ。
「バジュラちゃん!
エイジから!伝言!
『助けに来たりしないで』って!」
「シーカも下の名前で呼び始めた……。
……ええと、それはなんで?」
肩を落としながらも、真剣な少女の言葉を聞き漏らさないように、バジュラはしっかりと目を合わせる。
その上で、シーカが出てきたビルを横目でちらりと見てみる。
「門番がいるの……!
強力なサイキックで、武装もすごくて……!
きっと銃や刀でなんとかなる相手じゃない……!
だから、バジュラちゃんは私と一緒に来て!
エイジからもう一つ頼まれたことがあるの……!」
バジュラの顔を覗きながら、沈痛な面持ちで言葉を絞り出す。
少女の言っていることは、たとえ本人に頼まれたとはいえ、少年を見捨てていくということに他ならない。
心を削らずにその言葉を口にできる程、少女は大人ではなかった。
『もう一つの頼み事』を思い返しては、免罪符のように、エイジから受け取ったパンフレットを両手で握りしめていた。
「なるほど……。んー……」
顎に手を当てて考え込み、しまいには空を見上げたバジュラには、とっくに覚悟を決めていたような『軽やかさ』があった。
重い決心ではなく、開き直りに近い覚悟。
もう決めたことなのだから。
たとえ死地へ赴くことになろうとも、決めた覚悟に悩む時間は、きっと彼女にとって必要のない物なのだろう。
空を見上げているのは、シーカに対する気遣いに悩んでいるのだ。
そこまでわかるから、尚更シーカは、胸の中心で渦を巻いた焦燥感に苦しんでいた。
「もしかしたら。
その『頼まれごと』ってのは、私に対するものは無かったんじゃないか?」
「え……!?」
確かに、エイジの言葉に、『バジュラと一緒に』という言葉はなかった。
シーカとしても『思い返せば確かにそうだ』といった程度のニュアンスを、どうして彼女が言い当てられたのだろうか。
「賢いアイツなら、きっと私を本気で止める気なら、『シーカを守るために一緒に向かってくれ』とでも言わせるだろう。
それなら私は断らない。
きっと素直にエイジを見捨てて行くだろう。
でも、アイツはそう言わなかった。
――――今の私にとって、戦う理由はそれで充分だ」
一緒にミルクシェイクを飲みながら、一人慌てふためいていた、そんなちょっと鈍い彼女とは思えなかった。
いくら私たちが死なない体を持つとはいっても、傷を負えば痛いし、死んだら生き返るまで、苦しみはずっと続くらしい。
臆病な人だと思っていた彼女が、どうして今日会ったばかりの人間にそこまで体を張るのか、シーカにはわからない。
けれど彼女の指摘は十分な説得力をもって、シーカの次の言葉を塞ぐ。
「お!そうだ!
シーカにこれを預けよう」
バジュラはそう言うと、ジャケットの内側、左脇に提げたホルスターから、綺麗に磨かれたリボルバーの拳銃を取り出した。
今日一日、結局抜かれることが無かった強そうな武器は、やっと表に出されたかと思えばすぐにシーカの手に渡される。
「これは……お守りだ!
私も人から貰ったものだが、かなり性能がいいらしい。
威力が高いから、シーカが撃つと肩が外れるかもしれないけれど……まあ、お守りだからな!
きっと持ってるだけで効果があるぞ!」
パンフレットを握る両手にリボルバーを追加して、しっかりと抱え込ませるようにシーカの胸元へ押し付ける。
一旦はされるがままになっていたシーカも、焦ったように声を出す。
「え!?
私は隣のビルに向かうだけで、武器なんて必要ないよ!?
寧ろバジュラちゃんの方が必要なんじゃ……!?」
「あー……実は、私は射撃が全く上手じゃなくてだな……?
持っていても、使い道が……多分、焦るとこんなの一発も当たらない……」
そういえば、銃を携帯していた割に、バジュラが銃を撃った場面を見た覚えがない。
照れ臭そうに頬を引っ搔いているバジュラは、少女の肩に手を置いて、そのままシーカをくるりと回した。
「さあ。そろそろ行くんだ。
エイジはなんか……放っておいてもなんとなく上手くやりそうだけど!
一応向かってやらないとな!
アイツは、どうしようもない盤面だと思えば、途端に諦めが早くなる節がある。
きっと下手に先が読めてしまうからなんだろうが……頭が良いのも考え物だな?
というか、“私”が、勝手にやることだ。
アイツが泣き喚いて『なんで来たんだ!』って文句を言ってこようが、そんなもん知らん!
このまま負けっぱなしなのはムカつく!
アイツが酷い目にあってたら寝覚めが悪い!
だから行くんだ!
シーカも、やりたいようにやればいい。
アイツが自分勝手に『来るな』って言うなら、こっちだって好き勝手に『うるせえ!』って言ってやるんだ」
とんと背中を押され、シーカの足は自然と前に出る。
その勢いのまま前に進みだすと、首だけ後ろを振り返らせる。
「バジュラちゃん!
私、がんばる!
バジュラちゃんは、無理しないで!」
持ったこともなかった銃を、痛いくらい握り締めて、気が付けばシーカの胸中から痛みが消えていた。
バジュラは、真っ直ぐな瞳で、余計なお節介で少年を助けに向かうのだ。
自分勝手に、やりたいようにやるのだ。
カラッとした、よく晴れた日の空気のようなエゴイストは、頼まれもしないのに危険に立ち向かうのだ。
少女はならばと開き直る。
自分には何も出来ないかもしれない。
でも、『やってやった!』と叫んでやりたくなって、とにかく今は走ることにした。
*
軽く手を振って走っていくシーカを見送ると、バジュラはエイジがいるというビルのエントランスを睨みつけた。
「おーい!
……そろそろ、いいか?」
「待たせて悪かったな。
あと、待ってくれて、ありがとう」
「いいってことよ!
一応今日のオレ様の仕事は、ここに不審人物を入れないことだ。
表でいくら時間を使われようと、寧ろこっちとしては都合がいいって話じゃあないか!」
ビルの中からウエスタン風の男――――ディムが現れる。
ディムはカウボーイハットを手で押さえて、楽しそうに笑顔を見せる。
「じゃあ、どうしてわざわざ表に出てきたんだ?カウボーイ」
「なあに!
オレ様も退屈していたところなんだ!
だから嬢ちゃん。
アンタみたいな、活きの良い眼をした奴が相手になってくれるなら、そりゃあもう!我慢できずに飛び出してきちまったってワケよ!」
ディムの体中から、電撃が迸る。
大きく、大きく笑い声を飛ばして、ボディビルで言う“ダブルバイセップス”に近いポーズを取っている。
「ガッハッハッハ!!!!
オレ様の名は“ゼムライト・ディムライト”ォ!!!
またの名を、『
さあ遊ぼうぜえ!!嬢ちゃん!!!」
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